任天堂ゲームの変容(が本当に嫌だという話)

 ゲーマーが増えた。

 そもそも、ゲームが登場してからの歴史はそれほど長くない。生まれた時からプレステがありDSがあった今の世代にはその感覚があまりないものの、現在 四、五十代の人達が、子供の頃にやっと源流的なゲームが登場したくらいのもので、実際のところ、その歴史は半世紀程度でもその変遷を賄えてしまうぐらいの長さしかない。

 だから、所謂オタクの増加とサブカルが消失した更に最近の文化的側面がその加速を後押ししてはいるものの、ゲーマーの増加はゲームの登場に伴って自然なことと言える。

 そんな中、近年は圧倒的にオンラインゲームが増えた。一人で遊ぶものから、家族で遊ぶものになり、今ではオンラインで友達とも見知らぬ人とも自宅にいながらにして気軽に遊べるようになった。

 そういうわけで、子供からお年寄りまで広い層を楽しませてきた任天堂ゲームも、最近は有名タイトルをゲーマー狙いのタイトルへとシフトさせていっている。子供でも楽しめる難易度設定と理解しやすい説明過多とも言える親切設計を保ちつつ、ガチのゲーマーを楽しませるモードも用意する……という理想を掲げてはいるのだろうが、

 正直なところ、任天堂ゲームだけを昔から家族と楽しんできた身としては、近年の殺伐としたガチゲーマーの戦いに巻き込まれることにウンザリしている。

 ソロプレイ〜ファミリープレイの範疇において、ただ楽しみたいだけ、いわゆる「エンジョイ勢」に対して、ゲームの上手さが求められることなどなかった。下手なら下手で内輪で笑いになって、それが楽しかった。
 それが近年はオンラインプレイの増加によって「上手くなければいけない」風潮が強く、伴ってソロプレイにもそれなりの能力が求められる。最近のゲームは、子供の頃の私だったらと考えると楽しめる自信が全くない。
 
 分かりやすいのが、CERO Aであり有名タイトルながらほぼほぼオンラインプレイを前提としたゲームである「スプラトゥーン3」。ガチ勢とエンジョイ勢が渾然一体となって戦うものだから、ネット上ではどうでもいい行為に対してまで晒しが散見される。

 さらにこの前、noteでとある記事を読んだ。「好きか向いているかは別だから、早く向いていないことに気付いてブキを持ち変えろ」といった内容であったが、いやいや、好きなブキを持たせてくれ。なんでゲームしてまで好きなことできないんだよ、という気持ちでいっぱいだった。

「これだからガチ勢は」と主語デカになるのも許して欲しい。ガチ勢は周囲もみなガチっていて当然だと思い込みがちな節がすごい。そういう人を見かける度に、「任天堂のゲームだぞ」と泣きたくなる。頼むから任天堂ゲームにそういうことを求めないでほしい。その感覚を持ち込まないでほしい。エンジョイ勢を間引いた任天堂ゲームなどもう任天堂ゲームじゃない。そんなの許せない(泣)。

 協力ゲームなのだから、協力しようとしないやつが非難されるのは当然だが、それもある程度の範疇までの話だ。プレイスタイルは人それぞれで、常にベストコンディションでいることを強要する権利は、幅広い層を楽しませる任天堂ゲームにおいて誰にもないと思って頂きたい。
 嫌なら任天堂ゲームから降りてくれ。一定以上のガチゲーマーしかいないようなコアなゲームをやってくれ。

 最近はゲームをただ純粋に楽しんできたこちら側の肩身が狭くてしかたがない。シェアを広げるにはガチとエンジョイを混ぜ合わせて楽しませるのが一番なのだろうが、どうしたって相容れない存在である。

 これ以上任天堂ゲームがゲーマーに擦り寄っていくなら、エンジョイ勢に行き場はない。

 ゲームの未来が不安すぎる……。

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