「結婚を祝えるようなライトなオタク」
もう私は「結婚悲報扱いオタク」を一生非難して生きていくんだろうかっていうぐらいずっとそれを引き摺っていて大変申し訳ないんだが、でもマジで多分一年以上前に個人ブログか何かで見たこの表現が、未だに頭に残って離れない。
ライトなオタク。
ライトなオタクという表現は別にdisりではないと思う。別にライトでもいい、というか推される側からすればライトなファンの方が関わりの上では楽だろうとも思う。いい金づるにはならないかもしれないが、激重で家に押しかけてくるとか、そういう重症オタクよりはだいぶん有難い存在であるはず。
しかし「結婚を祝えるようなライトなオタク」の意味は分からない。
私からしたら結婚悲報扱いオタクというのは「表立って結婚という祝事を悲報扱いする自己中オタク」であり、「その分推しのことを想っていない」というふうに捉えられる。
再三言っているが、心中ではどんな想いを抱えていようが自由だ。ふざけんなよ嫁、ナイフで百回刺してやろうかとか思っていても構わない。それは人格に問題がある気もするが、とにかく重要なのは自分の考えを表面化させるのか否かという部分である。
推しを想うのであれば、そんな気持ちはグッと押し殺せよ。せめてリア友とかに話せ。ネット上にばらまくんじゃねぇ。という話であって。
そもそも私は推しに対して、幸せに生きていてほしい、ということ以上に大きな気持ちは持ち合わせていない。綺麗事に聞こえるのかもしれないが、綺麗でもなんでもない事実である。
推しに幸せに生きていてほしいという思いよりも自分の欲望がデカい人間に対して、「ライトなオタク」なんて言われる筋合いはないということであって。
私は推しが結婚しても、推しのグループが解散しても、芸能界を引退しても、どんな仕事をしていても、誰を愛しても愛さなくても、ただ幸せに生きていてくれればそれ以上のことなどないと思う。
こういうことを言っていると、「推しをなんでも肯定するんじゃなく、時には叱ってあげるのも愛」みたいなオタクが湧き出てくるが、私は肯定できなくなった瞬間が担当を降りる瞬間だと思っている。
これは、推しにはやさしくない判断なのだろうと思う。叱られぬまま数字だけが落ちれば、どうしてよいのかわからないのだから。だけどその原因を自分で考えて自戒することもできないのであれば本当にそれまでだと思うし、もしかしたらもうファンなんていらなくって、嫌になってそういうことをしている可能性だってある。
まあそも、私はそんな人ハナから推さない自信があるので、関係の無いことだけど。
まぁ別にこれに関しては、どうあるべきだとか言うつもりはない。逐一文句をつけてくる人がいるので、先に答えておいただけのことで。
そして「結婚悲報扱いオタク」を非難しているのはオタクとはこうあるべき論とかではなく、ネットモラルの話をしているだけであり、
そいつが謎にこちら側へ「お前らは推しに対する感情が浅くていいよな」と暗に言ってくるので、「は?浅いのはてめぇだろ」というのが今回の内容だったわけだけど。
推しが見せたいように推しを見ていたい。
推しが見せたい部分だけを見て、推しが思われたいように思っていたい。
それができないなら、オタクなんて降りてしまうって話です。
推し、今日も推しの生きたいように生きててくれ。
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