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ヘイト考 ライターは出版社にとって鵜飼(うかい)の鵜である件

▼「ヘイト」と「フェイク」の狭間を眺めていると、さまざまなものが見えてくる。

2019年4月23日付の毎日新聞夕刊に、〈読み手見え、自責の念/ヘイト本作った理由 依頼を何でも受けた/出版社 外部に丸投げで責任逃れ〉という見出しの記事が載った。(鈴木美穂記者)

かつて10数冊の「ヘイト本」を作ったライター、渡辺哲平氏(30歳)へのインタビューである。

どういう論理で「ヘイト本」を作っていたのか。

〈渡辺さんは「どんなに扇情的な表紙や見出しがついても、本文に『批判的な主張や言葉』は入れないのがルールでした」と話す。

どういうことだろう。

「統計データや報道から数字や事実を抜き出して並べる。結果として読者の嫌韓感情がわき上がる。しかし直接批判することは決してしなかった。事実にどんな感情を抱くかは読者に委(ゆだ)ねていたし、何より『編プロだから』『仕事だから』という、ある種の無責任さがありました」〉

▼編プロというのは、「編集プロダクション」の略。出版社から、さまざまな仕事を請け負うわけだ。

渡辺氏は納期に追われ、大急ぎで原稿を仕上げ、「揚げ足取り」のような記事ばかりを量産した。しかし、本をつくるのは楽しい。

〈渡辺さんが「これだけはやりたくなかった……」と話す本がある。「日韓併合」をテーマにした2014年発行の特集号で、前書きにはこんな一文が書かれている。

〈本書は日本の朝鮮半島統治を美化し、植民地政策が国家の近代化に寄与するのか否か、その是非を問うものではない〉

 だが、内容は日本を過剰に評価するものにした。「特集号は両論併記では売れませんから、どちらかに振り切らざるを得ない。『日本が韓国の近代化に寄与した』という見方がある一方、『日帝が朝鮮半島の文化、言葉、政治的権力を奪った』という評価もある。明暗があることが歴史の本質だと僕は思っていますが、この本にイデオロギーの色をつけてしまった。出版社にとって僕らはウ飼いのウだけど何かやりようがあったのでは、と今でも自問してしまうのです」〉

▼この回想は、ライターとしての良心、編集者としての良心がある人の場合である。よく考える人だから、いまも反省するのだろう。筆者は渡辺氏の心境を気の毒だとも感じる。

ヘイト本をつくる人のなかには、端(はな)からそんな心を持っていないライターや編集者もいるだろう。

▼ノンフィクションライターの大泉実成氏(57歳)いわく。

〈ヘイト本が出まわる背景には、出版社と編プロの「力関係」があるとみている。「出版社が罪悪感を感じないのは外部ライターに製作を『丸投げ』しているからでしょう。自社よりも安価に作れて市場の動向次第ですぐに撤退できる。もし批判を受けても『外部ライターがやった』と責任逃れもできますから。ヘイト本が社会に与える影響を顧みず作りっ放しにできるのはこのためです」〉

もう一人、ジャーナリストの木村元彦氏(57歳)いわく。

本人にも変えることができない属性に対して憎悪をあおったり、『日本はすごい』というカタルシスを読み手に与えたりしようとするため、歴史を修正して一定方向に導いたりする本が、最後はジェノサイド(大量虐殺)を招くことを作り手も送り手も自覚すべきでしょう。読み手にもリテラシー(読解力)が求められると思います。カタルシスを求めるならもっと良質なエンタメがあるはずです」

▼大泉、木村両氏のコメントは、とても真っ当なものだ。そして、「外部に丸投げOK」論と、「属性攻撃がもたらす惨劇」は、この問題を考えるうえで持っておかねばならない認識だ。

しかし、ライターや編プロが、出版社にとっての「鵜飼いの鵜」である構造のなかで、創造的な仕事をするのはとても難しい。

▼この記事を読んでわかったことは、「資本主義」の原理こそがヘイト本を市場に流通させる原動力になっている、という現実だ。

・資本主義の原理とは異なる次元の原理でもって動ける「場」をつくること。

・出版社が「外部丸投げ」の「責任逃れ」に安住できない社会に変えること。

・変更不可能な属性を攻撃して自慰に耽(ふけ)る人でなしを許さないこと。

ヘイトまみれの社会で出来ることは、少ないようで多いと思う。

(2019年6月22日)

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