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自殺を強いられた子どもたちのコラムの件 東京新聞

▼「死にたくないのに、自殺を強いられた子どもたち」という言葉は、一見、矛盾しているように見える。しかし、たとえば日本の「いじめ」による自殺は、まさにこの言葉に当てはまる。

「自己責任論」を振りかざす人たちは、「自殺を強いられる、などということは論理的に矛盾している。自殺は自殺した人間の自己責任だ」と主張するかもしれない。そう主張することによって何事かを解決したり裁断したつもりになるのかもしれない。

▼「死にたくないのに、自殺を強いられた子どもたち」のなかには、「テロリスト」の烙印(らくいん)を押された子もいる。この場合も、「自殺したのはあくまでもその子が自分で決めたことなのだから、その子の自己責任だ」と主張する人がいるだろう。

2017年11月10日付の東京新聞コラムから。適宜改行。

〈ナイジェリア北東部に住むハディザさん(16)は、かの地でテロを繰り返すイスラム過激派組織ボコ・ハラムに誘拐された。幹部に「最も幸福な所に行かせてやる」と言われて、彼女は帰宅できるのかと喜んだが、違った

▼爆弾が付いたベルトを腰にきつく巻かれ、人混みの中で自爆するように命じられた。そうすれば、多くの人の命を奪うことになる。一緒に自爆を命じられた十二歳の少女に「どうするの?」と聞いたら、こう答えたそうだ。「どこかでひとりきりになって、自分を吹き飛ばす」〉

▼上のやりとりは、16歳と12歳の女の子の会話である。

このコラムの時点で、「ボコ・ハラム」によって「自殺を強いられた」こどもの数は100人超。2018年には国連児童基金(ユニセフ)が、「ボコ・ハラム」が拉致したこどもの数は2013年以降、1000人を超えると発表した。

〈自らの機転と周囲の助けで自爆をまぬがれたハディザさんらの貴重な証言を集めた米紙ニューヨーク・タイムズの報道によれば、人混みを避け、自爆しようとする子も少なくないそうだ

▼自爆テロで何十人もが犠牲になれば、ニュースになって、世界中で報じられる。しかし、他人を巻き込まぬため、たったひとりでの死を選んだ少女たちのことは、まず報じられぬ。

▼このコラムの最後の一文が忘れがたい。

名前も顔も知らないが、「どこかでひとりきりになって、自分を吹き飛ばす」と言った12歳の女の子のことが忘れられない。

(2019年4月7日)

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