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心配性は、ひとつの才能。

僕には、つい物事を悪い方向に考える癖がある。

ゲームで『HP最大で復活する』みたいなアイテムを拾っても、ろくに使えたことがない。「一度使ったらもう拾えないんじゃないか?」という心配があるからだ。

洗剤、調味料の類いは、在庫切れのことを考えて常にストックを買っておく。

彼女には、それがおかしく思えるらしい。

「なくなったら買いにいけばいいじゃん」とよく笑われる。

彼女はその言葉通り、なくなる度に薬局に足を運ぶし、料理は目分量だし、週末ベトナム一人旅に思いつきで行ったりするし、たぶん復活アイテムはそのステージが終わるころには、インベントリから消えている。

でも僕は、心配なものは心配なのだ。

今日は、笑われてばかりも癪なので、この癖の真の力を考えてみたいと思う。


外出の際、僕はいろいろなものを持って出かける。

財布や鍵はもちろん、ウェットなティッシュとそうでないティッシュ、ハンカチ、メモ帳やタブレット、できれば筆箱、お菓子、文庫本なんかも。

これだけ持っておけば、そのぶん心配がなくなるからだ。


例えば出先でいいアイデアが思いついたら、それを書き留めておいたり。

急に商店街でやきとりを買い食いして、ベタベタになった手を拭いたり。

天狗に攫われて、目が覚めたら山奥だった、というときにも、本があれば退屈はしない。

監禁されている際に、知的遊戯に興じたくなった場合も、紙とペンがあれば『ひとりマルバツゲーム』ができる。

その天狗の里で同じように連れ去られた子供に出会ったら、簡単な手品をして気を紛らわせてあげることもできる。

天狗の長のところに行ってそれを見せたり、お菓子を捧げたりすれば、珍しい人間だと重宝されるかもしれない。

寝床にティッシュを敷き詰めて、そこにいるように見せかけているうちに、天狗たちの目をかいくぐり、里を脱出できることもあるだろう。


しかし、書いていて思ったことがある。
これらの不測の事態はすべて、外出することに起因している。

ということは外出しなければ、アイデアを書き逃すこともないし、天狗に攫われる心配もないはず。

つまり、外出はダメ。
外出は悪。

この悟りの境地に至れるのは、僕たち心配性の人間だけなのだ。


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