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カレーを作ることと、その抵抗。
昨日のお昼は、カレーだった。
自分で作ったのだ。珍しく。
ルーは以前、彼女と近所のスーパーで選んだものだ。
「辛いのがいい。作るの手伝うね」
彼女はそう言っていたが、結局その時間がとれていなかった。
ならば一人で作って、今日家にくる彼女に振る舞ってあげよう、というはこびだった。
僕が普段、カレーを作らない理由はいくつかある。
ひとつは狭い僕の自宅で作ると、あらゆる衣類の繊維が、香辛料とあめ色たまねぎの香りを抱き込んでしまうからだ。
お風呂からあがると、空気中のカレーの香りが僕を出迎え、カレー風味のバスタオルとシャツが僕を包み込む。
シャンプーとボディソープの香りが、スパイスに上書きされた。
大きな理由のもう一つは、ピーラーがこわいからだった。
僕は調理師の経験があるので、包丁や火にたいする恐怖はとうの昔に飼い慣らしていた。
包丁や火はとても恐ろしい。
しかしきちんとその恐怖と向き合い、正しい知識のもとで管理することで、僕たちはいい関係が築けていた。そこには慢心もない。
ただピーラーは違った。
僕が調理師時代に使っていたピーラーは、刃先が万年筆のようになっているものだった。
しかしそのころ使っていた器具たちは、僕がエクソシストに封印された折に世界中に散り散りになってしまい、いまは所在がわからない。
すべて集めると願いが叶うらしい。
とにかく現在使っているT字のよくあるピーラーは、100円ショップ産の簡易的なものだった。
100円ショップの店員さんは購入時、それの取り扱いについて何も教えてくれなかった。
家に帰ってそのピーラーを使ったとき、僕はそれを後悔した。
「あぶな、これ」
思わず、ひとり呟いてしまった。
何度もじゃがいもの皮よろしく、指先を削ぎ落としそうになった。
削ぎ落としたあと、間違えて一緒に煮込みそうになった。
煮込んだあと、味見をしそうになった。
しかし今回はそのあたり、ちゃんと気をつけた。
バスタオルや衣類はとりこんでから調理をはじめたし、皮をむくときも具材の持ち方を工夫したので、失ったのは小指だけですんだ。
彼女においしく食べてもらえるといいな、と思った。
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