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短編小説:『ストレス化身会議』

部屋の中央には、黒檀の長机が置かれていた。

それを囲む者たちの風貌は様々だった。

年寄りがいて、子供がいて、女がいて、男がいる。髪が短い者、派手な化粧をしている者、くたびれた服を着ているもの。

しかしその誰もが、一様に同じような表情をしている。それは部屋の仄暗さと相まって、非常に神妙な色を醸していた。

きっと僕も同じような顔をしているのだろう。

「諸君、今宵はよく集まってくれた」

テーブルの最奥、議長席に座るブロンドで長髪の男が声をあげた。

「招集は百年ぶりか。今回は新顔も多い。皆、節度をもって臨んでほしい」

僕は議長のその言葉を、そのまま紙に書き写す。議事録というお役目は、何度やっても緊張するものだ。


「まずはオレさまからだ」

そう言って上座から立ち上がったのは、髭面の強面だった。

髭面はなんとも威圧感のある男で、背丈は天井に届いてしまいそうなほどだ。

「オレさまは『家具にぶつけた小指の痛みの化身』だ。オレさまはこの百年、変わらず人を苦しませてきた。そしてこれからも苦しませる。オレさまの力はゼッタイ。エイエンだ!」

髭面は興奮して、大きく息を吐いた。

「ありがとう。我が友『家具にぶつけた小指の痛みの化身』よ。彼の協力なくしては、我々の目的が成就することはないだろう。心から、感謝をする」

議長がそう言うと、髭面は満足げににやりと歯をみせた。


「ホッホッホ、おぬしはまだまだ血気盛んなようじゃのう」

髭面の隣に座る禿頭の老人が声高に笑う。

「では次はワシが。ワシは『卵を割るときに入る殻のかけらの化身』じゃ。人間が生卵の殻を割るという行為をやめない以上、ワシの身も安泰じゃろうて」

老人はおだやかな調子でそう語った。


それを聞いて、机の反対側でにわかに笑い声が起こった。

「安泰、ねえ。ほんとにそうかなあ?」
「今は機械も進化してるからねえ」
「そのうち、卵を自動で割る機械、なんてのも出てくるかもねえ」
「そうなったら、おじいちゃん。消えてなくなっちゃうねえ」

煽るようなその口ぶりは、二人の子供のものだった。

「なんじゃ、貴様らは?」

「ボクたち『イヤホンケーブル断線の化身』さあ」
「アタシが右でえ、こっちが左。アタシたち双子なのお」
「ボクたちがこれから、おじいちゃんの分のストレスも溜めてきてあげるよお。今はBluetoothの混線も増えてるからねえ」
「だから安心して、消えちゃっていいよお」

「貴様ら若造に、ワシの代わりが務まる、とでも?」

そう問う老人の目尻に、鋭いものがみえた気がした。

僕は思わず『一触即発』という言葉を書き込みそうになった。


「いい加減にしないか」
議長がぴしゃりと言った。

「『イヤホンケーブル断線の化身』たちよ。我々は競争をしているわけではない。皆、一つの目標に向かって、切磋琢磨するべき同志なのだ。我々はたがいに協力関係を結ばなければならない。それは消されていった同志のためにも、だ。『会計のときにほんの少し足りない小銭の化身』を知っているか? 彼のように、ここには来れなくなるほど弱っている者もいる。近ごろは『Paypay』などのコード決済が使われるようになり、『会計のときにほんの少し足りない小銭の化身』はクレジットカード・ショックのときにも増して衰弱している。その『会計のときにほんの少し足りない小銭の化身』のためにも、皆で新しい可能性を模索していかなければならない。これは、そのための議会でもあるのだ」

僕は、彼の堂々たる演説をすべて書き写した。

面倒なので『会計のときにほんの少し足りない小銭の化身』の部分は、端折って『会計さん』とだけ書いた。意味は通じるとおもう。


「しかし我々の悲願が成就するのもそう遠い話ではない。おい、『NumLockの化身』よ。データを頼む」

議長の呼びかけで、末席の眼鏡をかけた女性が立ち上がる。

彼女は『人類にちょっとだけストレスを与える』という目的のためだけに生まれた、存在そのものがちょっとだけストレスという特異な列席者のひとりだ。

人間たちは、BackSpaceキーを押そうとして、数字入力の機能を停止させる『NumLockキー』の存在意義をいまだ測りかねている。

彼女が手にしたテンキーの操作とともに、部屋の奥に大きなスクリーンが現れる。

「私が集めたデータによると、人類はこの百年間で、大きな発展を成し遂げてきました。強力なストレスの化身様たちは、次々に存在を抹消されています。例えば『ストレス御三家』の方々はもう、そこにおられる『靴に入った小石の化身』様しか、ご存命ではありません。『七つの負荷』様方や『四苦八苦連』の方々も同様の見解を示しています」

そうそうたる名前が並ぶ。

しかしそれを口にする『NumLockの化身』は、いたって平然としていた。彼女にとってはそれらはただの数値のひとつに過ぎない、ということなのだろうか。

「しかし、これを御覧ください」

スクリーンに映し出された折れ線グラフは、右肩上がりを示していた。

「このグラフは、ストレスの総量を示しています。おわかりでしょうか? 人類は確かに時とともに、発展してきたのかもしれません。しかし、小さなストレスは増え続ける一方なのです。人はおろかにも自分たちの創り上げた技術で、他ならぬ自分たちへとストレスを強いているのです」

そう語る『NumLockの化身』の口調に、熱を感じたのは僕だけだろうか。

もしかすると、彼女は『人類にちょっとだけストレスを与える』という目的の為に作り出された存在であるが故に、思うところがあるのかもしれない。


「ありがとう『NumLockの化身』よ」

そう告げる声で、みんなの注目は議長に引き戻された。

「さて、諸君。今しがた、彼女が代弁してくれたように、人は自分たちの首を自分たちで締めている。そしておろかにも、そのことに目を瞑っている。『他人のストレスよりも、自分の儲け』というわけだ。そこに我々のつけいる隙がある。『ちょっとのストレスで人類を破滅させる』。我々の宿願が、ついに成就するときがくるのだ!」

議長が言い終えると、部屋は喝采の拍手で満たされていった。


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