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自由帳って、実は自由じゃないよね。

ノートを使い切った。
もう何冊目だろう。

僕が好んで使っているものは、方眼やドットのものだ。自由帳のような、白紙を使うことはほぼない。

当然だが、そっちのほうが書けるものは豊富だと思う。文はもちろん、矢印や※印といった図、イラストも思いのままだ。

でも僕はこの白を前にすると、ある種の絶望感にさいなまれる。


子供のころにも、同じようなものを感じたことがある気がする。

だだっ広く、整えられた芝生以外に何もない公園に連れて行かれ「さあ、好きに遊んできていいぞ!」と言われたときに似ているかもしれない。

子供だった僕は、発射された弾丸のごとく芝生の上を駆け出し、飛び跳ね、転がった。

そして、立ち尽くす。

『このあと、なにしよう……』

そのときの絶望。

圧倒的な自由を前に、ちっぽけなアヤト少年は打ちのめされたのだ。


例えば近い将来、宇宙旅行が実現するかもしれない。

広がる無限の空間に、胸を躍らせるひとも多いだろう。

旅行バッグに最低限の着替えを詰め込み、宇宙船に乗り込む。

発射のカウントダウン。体験したことのないG。離れていく地球。高揚。

でも精密機器がひしめく宇宙船内で、やがて気づく。

『このあと、なにしよう……』


あるいはそれは、宇宙船のエンジントラブルで、とある惑星に不時着しなければいけないときにあるものかもしれない。

近づくあまりにも巨大な球体。その鉛色の表面。着陸の衝撃。気を抜くと体が浮いてしまうほど弱い重力。興奮。

「もしかしたら、生命体がいるかも!」

宇宙船は整備士に任せ、ふわふわと漂うように周囲を探索する。

しかしその惑星にはどこまでいっても、砂漠に似た景色が広がっているだけだった。

『このあと、なにしよう……』

そこにもまた、絶望が待っている。


だけどもしかしたら、その惑星にも局地的にだが、生命体の存在があるかもしれない。

「宇宙人だ! よろしくね!」

「:。@;@。@:9-0-^0^0-8-80:・・」

言葉は聞き取れないが、どうやら向こうも歓迎してくれているようだ。どこかに案内してくれるらしい。

その先には、彼らの居住区があった。

そこでお茶をごちそうになる。
むらさき色だったが、味は悪くない。

しかし彼らの居住区は『住む』という最低限の目的のためにだけ作られたもの、という感じがした。

そこからは、文化や芸術の香りがまったくしない。

「6968;;p;5.609843@;。:。@4」

彼らのわけのわからない言葉を聞きながら、おもう。

『このあと、なにしよう……』

つまり、圧倒的な自由のまえには、僕たち人間はなすすべがないのだ。

まったくの白紙というものは恐怖の対象にさえなりうる。


だから僕は次の宇宙旅行にいくとき、文庫本を一冊、カバンに入れていこうと思う。

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