短編小説:『便利』な世界の君たちへ。
なあ、おまえさん、こっちきて座んなさい。
ちょっとこの年寄りの話を聞いておくれ。ほんのちょっとでいいから。
わしらの若いころは、なんて言うとおまえさんみたいなもんには、煙たがられるかもしれんが、とにかく、わしらの若いころは今みたいにチップも衛星も、網膜スクリーンも、この地下シェルターだって、なかったんじゃ。
世の中はなんていうか、ずいぶんとまあ、『便利』になってしもうた。
今じゃあ、一言も会話せんでも物が買えてしまう。会ったこともない人と、結婚だってできる。
最近は、お腹の中で赤ん坊を育てる人のほうが、少なくなっとるらしいじゃないか。
このあいだ、おまえさんの友達の……なんていったかなあ。あ、そうそう。あの子じゃ。あの子がうちに荷物送ってくれたことがあったじゃろ?
あの配送ロボットが、その場で寿司を握り始めたのには、わしは驚いて言葉もでんかった。包丁を取り出したときは「ついに来たか」と身構えてしもうた。
でも、でもな。わしが言いたいのは、こういうことじゃ。
『便利』になるのはいいことかもしれん。ただそれに支配されてはならん。
おい! ちゃんと聞いておるのじゃろうな!
いいかい。おまえさんのような若いものは特にそうじゃ。『便利』なものがあればあるだけ、それを享受したがる。
でも大事なのはそこじゃあない。
大事なのは、手間をかけることそのものなんじゃ。
それはたとえ不便でも、面倒でも、時間がかかっても変わらん。その手間のひとつひとつに、人生の価値があるんじゃ。
それは外に出かけるたびに、靴紐を結びなおすようなことかもしれん。まあ、もっとも、今の若いもんは靴も履かんじゃろうが。
でもとにかく、その手間をかけるとき、自分の中にたしかな手応えを感じるときがくるはずじゃ。
それはどんなに荷物が早く届こうが、寝ながら金を稼ごうが、庭師ロボットのスイッチを入れようが、感じられん。
人間という生き物は、闇雲に便利になれば、幸せになれるわけじゃない。……わしらの世代は身をもってそれを体験しておる。多くの犠牲も払ってきた。
自分の手で、足で、肌で、感じなくてはいけない手応えがあるんじゃ。
わしはおまえさんに、それを感じられる人間になってほしい。それが本当の豊かさなんじゃよ。忘れんでおくれ。
……
メッセージを終了。
このメッセージを、この子が目覚めたときに流しておくれ。
人類最後の、この子の目覚めに。
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