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私の考えるポスト資本主義へのシフト【前編】

今回はポスト資本主義について考えてみたい。この手前の3つの記事にも関連し、重複することもあるが、私の基本コアコンセプトでもある。もしよかったらこの前の記事も併せてご覧いただきたい。なるべくシンプルに表現したいが長文となりそうなため、前編と後編に分けて書いてみた。

1.資本主義と組織に働く原理

まず、みなさんは資本主義をどのようにとらえているだろうか。一般的な定義としては「資本家が資本を増やすために生産手段を使って労働者を雇い、生産を展開する仕組み。」という表現がシンプルかもしれない。時代背景をみても1500年頃から生まれたとされる仕組みで、物質的に豊かになることを望んでいた時代に生まれた社会づくりのコンセプトだといえる。つまり、若干辛辣に言い換えると「ライスワーク(食べるためや生きるため、裕福になるためにお金を稼ぐ)の発想に基づき、利益追求を目的として、資本家のお金を増やすためのゲーム」である。そして、より高い生産性を競い合うことになるため、労働者として雇われる側は、能力が高ければよりよい報酬を得ることが可能になり、そのために学ぶことが奨励され、人々に「努力すれば報われるモデル」という、時代的には平等と自由と言える道が示された。日本におけるこのムーブメントは福沢諭吉の「学問ノススメ」によって加速した。

この思想を真っ向から否定するつもりはない。人類の進化の過程に必要な先人たちの知恵の試行錯誤の過程であり、そうした積み重ねで1900年代の歴史の紆余曲折がありながら、おかげで物質的には豊かな時代が訪れた。しかし、一方で行きついたこの現代に起こっている象徴的構図とは何か。それは、世界の縦と横の大きな分断である。それを代表する構図の一つは、世界で最も裕福な8人の資産の合計が経済的に恵まれない世界人口の下位半分に当たる38億人の資産合計とほぼ同じという「格差=縦の分断」。ピケティの「21世紀の資本」で論じられているように、この先にあるのは投資家とその他の人々との格差の拡大の一途である。そして、もう一つはトランプ大統領の国境の壁に代表される「境界=横の分断」である。私はこれを「奪い合いのための囲い込み」と理解している。そして、その結果、「経済的に豊かな人は皆幸せか?」の問いに多くの人がNOと答える実態。しかし、マズローの欲求段階でいう『生存欲求』を満たすレベルの段階で始まった仕組みに対して、はるか上の欲求段階にあたる「幸せか?」を問うこと自体、本質的には愚問なのかもしれない。幸せを目的に始まった仕組みではなく、生きていくために物質的に豊かになることを目指した仕組みだからである。そう考えると、この時代に人が求めるものと仕組みが適応していないということもできる。

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現在、組織の支援で様々な大企業に関わっているが、その中でわかったことがある。それは、この資本主義社会の中で成功といえる結果を残してきた多くの大企業には、この縦と横の分断の原理が強力に働き、この原理に基づいて組織も運営されているということである。結果として、大企業であっても働く人たちのほとんどが「幸せです」と自信をもって言うことができず、忖度と自己制御の中で不満をためながら働いている。その原理によって、知らないうちに人の心の中にもその縦と横の分断が反映されるようになり、密な関わりよりも境界を設け、相手との差を明確にすることが当然となってしまっているのだ。そこに苦しむ人たちも多く存在している。しかし、この資本主義社会の原理に忠実にビジネスを行ってきたのだから、相似形ともいうべき原理が組織の仕組み、文化、人に働いても当然かもしれない。むしろ、それを強力に推進し、浸透させてこの資本主義社会に完全に適応させてきた企業だからこそ成功してきたといえるのだ。

2.これから何が必要か?

私は次のステージに移るためにしなやかなシフトを推進・加速していきたい。これまでのモデルを「囲い込み・格差モデル」と名付け、これが限界と気づいたならばこれからはその対照的な表現となる「つながり・分け合うモデル」を目指すことになるように思う。それは極端な話、「お金で回る世の中」から究極は「お金が存在せず回る世の中」への移行なのかもしれない。なんとなくそんな動きが世の中で始まっているがまだまだ本格的ではないように思う。そのためには「持つ者が与えていく心」という成熟した本来の人間らしい精神が単に個人努力で高めていくのではなく、社会のあらゆる仕組みの中でよりいっそう磨かれ、育まれていくことが不可欠なのではないだろうか。ちなみに、原始的な物々交換の世界観に戻ろうと言っているわけではない。つまり、人の本来性が活かされた『GIFT』や『GIVE』の進化である。私はここがポスト資本主義に移行するための我々人類のチャレンジなのではないかと思っている。

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そのシフトのための鍵は何か?

これは私なりの考えだが、それは①大企業の「人を活かす概念のシフト」と「イノベーションの質的転換」、②世の中ひとりひとりのセカイ創造という2つのマージにあると考える。

3.なぜ大企業か?

資本主義の生態系の頂点は投資家である。しかし、実態は企業活動によって社会が回る。日本でいうと約99%が中小企業であり、1%に満たない割合で大企業が存在する。しかし、中小企業が影響を受けているのはこの約1%の大企業である。さらに現在の政治においては介入が小さく企業優位となる「小さな政府」の経済政策。したがって経済の変化を促すために最も有効なシフトは間違いなく大企業にある。ちなみに大企業以外がシフトしても意味がないといっているのではない。大企業にファーストペンギンになってもらうことが有効だと考えているのである。

4.「”人を活かす”という概念のシフト」とは何か?

昨今、多くの企業では「個性が大事」「強みを生かそう」、そんなメッセージが発信されているが、実態は既存の役割や期待される成果に対して個性や強みを当てはめて、働く人をモチベートし成果をあげようとする試みのように見える。例えば「一流の営業マンになるために、あなたの●●という強みを生かして成果を上げよう」といったように一流の営業マンというある種の型に「自分自身の一部」を当てはめに行くような感じだ。これでモチベートされることもあるため、否定されるものではない。しかし、このままだと今までとこれまでのパラダイムがあまり変わらない。なぜならあくまで起点は組織の中の既存の役割や仕事にあるからだ。私が思う「人が活かされる組織」の姿とは、起点が「既存の役割や仕事」ではなく、「人」にある。これまでの仕事には必要とされてこなかったかもしれない、その人のユニークな部分を開花させて新しい役割や事業を考えるような発想である。

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そうすると人は自分を見つめ、探求するようになる。本当に自分を活かすために自分の本来性を見つめるようになるのである。そして、行きつく先はユニークに生きていることで、誰かのために存在している、存在出来ている自分のはずである。このnoteでも何度も触れてきているが、人は誰かの救い手でありたいはずであり、必ず「あなただからこそ救いになれるソーシャルマイノリティ」(私の造語である)が存在するというのが私なりの考えだ。つまり、あなただから救いになれる少数の対象が存在するはずである。それを見つけることができ、そのために動き始めると、社会が動く。(どのように見つけることができるかはここでは省略する)例えば、国内最大のオンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所を運営し、お笑い芸人、絵本作家としても若い世代や社会にも大きな影響力を持つ一人となっているキングコングの西野亮廣さんにとっては、「挑戦して村八分にあっている人・声の小さい人・無名の正直者」。もちろん「ディズニーを超える」という大きな目標を掲げつつ、このために得意な絵やモノを書くという自分ならではの才能を活かして絵本やビジネス書を書いている。昨年れいわ現象を起こしたれいわ新選組の山本太郎さんにとっては「生きづらさを感じて自信を奪われている人」に対して自分ならではの政治の知恵・俳優業をバックボーンと下スピーチの才能・人並外れた行動力を活かして国政に声を届けていると言えるかもしれない。横に並べるような立場ではないが、私にとっては「大企業で個性や可能性を封じ込められてくすぶっている人・良い(善い)ものを社会に届けようとしているのに不遇にも上手くいかない人」である。どんな人にも自分を探求すれば見えてくる。そんな対象を見出しながら仕事を通じて自分らしい何かをGIFTすることは可能なはずである。

後編へ続く




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