抱えて泣いた君へ
その子がうちに来たのは、
私が中学2年生になったばかりの夏だった。
受験を控えた姉、
私に構ってあげられない両親は
思春期の私をなだめるように子犬を買ってくれた。
私は、
昔から体の大きいゴールデンレトリバーのような
包容力のありそうな犬に思いっきり抱きつくのが夢だった。
母も私の期待に応えるために
ゴールデンレトリバーを飼うつもりで
一緒にペットショップに子犬を見に行ったけれど
目の前で豪快に店員さんと戯れる憧れの子犬たちに私たちはドン引きしてしまった。笑
ゴールデンレトリバーを潔く諦めた私たちは、
2件目に行った個人でやっている
ブリーダーさんのところで
片隅に震えて座る''うるうるした目''の
小さなダックスフントに一目惚れしてしまった。
「可愛い、可愛い」と
私と母はこの上ないテンションで
うるうるしながら言ったことを今も覚えている。
そして、その子を
大事に大事に抱えて
家に連れて帰った。
子犬を迎え入れる家庭のソワソワ感と言ったら、
人間の赤ちゃんと同等だ。
ケージや餌、おしっこのしつけや初めての家に慣れるまでの注意点など、揃えるモノ覚えることは飼い主側も多い。
とりわけ、
迎え入れた最初の夜
暗闇の中ケージで泣き吠える子犬を
''氣にしない''ようにすることが
苦痛でたまらなかった。
怖いかな
寂しいかな
住み慣れた場所から
突然連れてこられて
可哀想だな
子供ながらに胸を痛めながら寝不足の夜が続いた。
名前は「ブライト」
血統書と共に貰った資料には
子犬の両親(犬)のコンテストでの
受賞履歴が英語で書いてあった。
その中に''輝く''という意味の
「ブライト」という単語があった。
単純すぎる私たちは、
「ブライトという名前なんだ!」と色めき立ち
名前はすぐにブライトと決まった。笑
後に、両親のどちらかがコンテストで獲得した賞に''輝いた''という意味だったと氣づく。笑
ブライトはすくすく育った。
やんちゃすぎるくらいで、
なんでも食べるので
どんどん大きくなった。
カニンヘンという種類のダックスフントの中でも1番小さな品種なのに、普通のダックスくらいの大きさになっていた。
ハチャメチャだし
重くて暴れ回るし
抱こうとしたら
腕は爪痕で赤く蚯蚓脹れのようになっていた。
それでも、
私が帰ると飛びついてきて嬉ションするし、おバカで迷惑だけど可愛くて可愛くてたまらなかった。
♢
ブライトを迎え入れて4年
私が高校3年のとき
両親が離婚した。
家族は5人から3人になった。
ほどなくして姉も留学し
私と母の2人になった。
多忙な母は、離婚と姉の留学の寂しさを私には見せなかった。
でも、夜に
ブライトを抱えてひとり泣いているのを私は知っていた。
私も寂しいとき、ブライトを抱えて泣いた。
あのハチャメチャで
暴れ回っていた食いしん坊の
ブライトは家族の悲しさを包んでくれる立派な成犬になっていた。
それから数年経ち、
私は社会人になっていた。
母も今の再婚相手である人と出会い
関係を深めているころだった。
私も母も、
仕事やプライベートで忙しく
ブライトと時間をとって遊ぶことも少なくなる。
ブライトは相変わらず元氣にしているように見えた。
ある日突然の発作
そういえば、
ゲホゲホとよく咳をしていた。
突然、狂ったように仰け反り
苦しそうに息をしたと思ったら
ビクビクと痙攣する。
私たちもパニックになり
おろおろするだけだった。
その頻度は、時間を追うごとに多くなっていった。
《心臓弁膜病》
心臓の弁が上手く閉じずに
血液が逆流する病氣だ。
晩年のブライトは尿作用のつよい強心剤のせいで
おしっこが近くなっていた。
夜中でも、おしっこに行きたくて裏口で吠えることがあった。
その当時は、母の再婚相手(義父)も同居するようになっていたので
夜中はリビングで彼がテレビを見ていることが多かった。
おしっこに行きたいブライトは裏口の扉の前で吠えている。
彼は無視していた。
私が鳴き声に氣づいて1階におりて
「おしっこ行きたいんだから(扉)を開けてあげてよ」
そう言っても無駄だった。
後に、母から
「前の旦那さんの時からいた犬だから、優しくできないみたい」
と言われた。
''クソじゃん。''
夜中に見たあの光景を
私は一生忘れないだろう。
骨を食べたい
同じ時期、私の彼(今の夫)とも
同居を始めた。
母と私
血の繋がっていない男ふたり
同じ家に4人となった。
もともと寡黙で動物好きな彼は
義父と対照的に
自分の犬のように
ブライトを愛してくれた。
余命があまりないかもしれないと分かっていたので
私とのデートでも
ブライトを連れて行けるところには
なるべく連れて行ってくれた。
散歩もたくさんしてくれて、
たくさん氣持ちいいところを撫でてあげていた。
ブライトも猫のように擦り寄るほど
彼を愛していた。
次第にブライトの発作は
頻度を増していく。
何度となく
車で1時間かかる救急動物病院に彼とふたりで連れていった。
その度の請求額も、
そんなに安い金額ではない。
でも、「子供と同じ」だと
母はクレジットカードを私に貸した。
♢
2008年8月
ブライト11歳
もう強心剤もさほど効かなくなっていた。
前日にまた発作が起きた。
私も眠れずにずっと付き添っていた。
心臓弁膜症になると
横になるのも苦しく
ヨダレを垂らしながら
歩き回り
座っては辛くなり
立ったまま寝ようとする。
ハァハァと苦しそうな呼吸
もう丸1日以上寝ていない。
夜中になり、
私は外の風をブライトが浴びれるように
縁側をガラス戸だけにしていた。
もう外に出れなくなったブライトに外を見て欲しかった。
苦しく動き回るブライトのそばに一晩中ついていた。
もう、長くない
そう分かっていたから
涙が止まらなかった。
その涙を舐めてあげたいと
ブライトは苦しそうな顔で私を見ていた。
朝5時半頃、
心配していた母が起きてきた。
「交代するよ」
私は少しだけ寝るつもりで
2階に上がった。
1時間も経たなかったと思う、
下から呼ぶ声が聞こえた。
階段から落ちる勢いで
ブライトのもとへ駆け寄った。
「ありがとうね、ありがとうね」
柔らかくて温かい体は
もう息をしていなかった。
顔のシワは、
最期に力いっぱい踏ん張った証が残っていた。
♢
出張に行っていた私の彼が
ブライトに対面した時は
火葬を終え、骨壷の中に収まっていた。
彼は「骨を食べたい」と静かに泣いた。
その彼を見ながら、私はもう声も出なかった。
それでも涙は枯れない。
それから、
私たちは壮絶なペットロス状態になった。
特に最期の1週間、
片時も離れなかった私は
もぬけの殻となった。
あの頃の虚無感は、
今思い出しても胸が苦しくなる。
♢
もう、しばらくは犬は飼えない。
(母は耐えきれずに、飼ってしまったけど)
あんなに愛おしくて
あんなに柔らかくて
あんなに氣持ちよくて
あんなに笑えて
あんなに悲しいのは
もうしばらく、
もうしばらく。
今思い出しても
泣いてしまうから。
どれだけ経っても
忘れられない。
会いたいな。
うちに来て1週間の頃のブライト
★ブログ
「全開の私を生きる♡
~変態と呼ばれてもいいじゃない♪」より転載
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