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梅雨前の夏日に

昨日は昼からの出勤でしたが、外の好天に誘われて少し仕事の前に天日を浴びたくて早く家を出ました。車に備わっている温度計は外気温27度を示していました。


僕はこれくらいの気温であれば車の窓をほぼ全開にしてビュービュー風を吹き込ませて涼を味わうのが好きですが、昨日の風はもうモヤっとしてとても涼を感じるというより夏そのものが飛び込んできているような感じを受けました。


街路樹なんかも“これぞ緑”というような本領発揮の色づき方をしていて、目の前に広がる景色を構成するひとつひとつのパーツ全てがビビッドな色を発して僕の目に飛び込んできます。そのほかの雑草や草花なんかも元気そのものの姿を主張していました。


梅雨が明ければ夏本番とよく言われますが、梅雨の到来を告げる前に夏が来てしまったかのような気温の上がり方です。


おとといは肌寒いような雨の朝。雨の中を少々散歩したくて傘をさし田んぼ道に繰り出しました。遠目の景色は細かい雨粒がモヤをかけていて数百メートル先を見せない、足元では小さなカエルが飛び跳ねては田んぼの中に飛び込んでいくようないかにも梅雨らしい気候だったのに、今日は一変。


おとといの天気と昨日の天気。僕の胸中を表すかのようです。

まさに表と裏の関係みたい。

昔からよく表裏のある人間になるなと言われてきました。社交的を装い表の顔を作り続けている毎日。仕事ってのはお客さんや仲間があってこそ成り立つものですが、そこに対し作られた表の顔を僕の顔として見せていくことに少々疲れを感じています。それでも表を見せていかなきゃいけないと尽力しています。でも時々ハッと気づくと裏の自分が出てきている時もあります。


晴れと曇り、または雨。どれも空の顔。どんな空模様でも表と裏とが共存していて、雨が続けば晴れが欲しくなり、晴れが続けば雨が恋しくなる。

裏があるからこそ表が引き立つってこともありますが、人間社会においてはそれがなかなか許されません。なかなか裏の顔をじっくり見てくれる人なんていないです。表の顔ばかり見せているから裏の顔を見てもらうチャンスってのがないのもひとつの要因ですが。


昔はよくそういう裏の部分も見てくれる親友と定期的に会えていましたが、最近はお互い予定が合わなくて全く会えていません。裏を知った上で表を理解し、時には僕の考え方の間違いを指摘してくれていたその親友に会いたくなりました。近いうちに強制的にでも会いたいです。


昨日は通勤途中の景色に多大な元気をもらえました。梅雨前の不安定な気候に見事に順応し、雨の日には思う存分水を吸い上げ、晴れの日には成長に弾みをつけている植物たちに力強さを感じました。


毎日仕事をしている中で、強い向かい風や雨のような冷たいあしらいを受けることもありますが、力強く順応し、自分の成長に弾みをつけていこうと思いました。


裏の顔だって僕の顔。自分を一番よく知るのは自分だから、自分自身を正しく評価してあげるために、表が裏を、裏が表を相互に理解し、本当の自分を自然に表現していけるよう心をビビッドに、クリアにしていきたいと思います。

梅雨前の夏日にこんなことを教えられました。



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