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ロールモデルがいないことへの焦りを25歳社会人が語る

2023年1月31日 深夜
1月ももう間もなく終わる。あ、2月になったや。
明日は仕事だというのに寝れない。土日に寝過ぎたか。
仕事が億劫すぎて眠気がどっかいったか。
こういう場合、大抵目を閉じても無駄な時間を過ごすだけなので、ここは切り替えてブルーライトを全力で顔面に浴びながら、思っていることをつらつらと書いてみようと思う。今日はもうぐっすり寝ることは期待しない。

私は焦っている。ロールモデルがいないのだ。

さて、タイトルの通り、私は焦っている。
最近ロールモデルや尊敬する人、人生の師匠、先輩、メンターをものすごく欲しているのだ。

ロールモデルについては以下を参照。
ロールモデルって何?期待される6つの効果と求められる要件を紹介! | ITエンジニア派遣なら夢テクノロジー (yume-tec.co.jp)


さて、私は人生で25年も生きてきて、そのような人に出会えていない(もしくは気付けていない)自分に焦っている。もちろん周りの友人や家族は尊敬でき、見習いたい部分は沢山ある。だけどそうじゃない。

ルフィにとってのシャンクス(あるいはレイリー)、ナルトにとっての自来也、炭治郎にとっての鱗滝左近次(あるいは柱たち)。
目標とする人物像、困ったときに導いてくれる、人生の師匠的な存在。

そうか、私は私の人生を誰かに導いてほしいと思っているのか。
目の前を誰かが走っていて欲しいのか。
それは聖書であり宗教のようなもの。
誰かにとっての音楽でありアーティストのようなもの。

迷いが多い人生という迷路で手を引っ張って欲しい。
自分で選択するという責任を負いたくない。
なんて自分勝手なやつなんだ。

ということで、今日は「ロールモデルや師匠がいないこと」
今日はこれについて自分なりに深堀りしてみようと思う。
まず、私にロールモデルがいないのには、3つ理由があると思っている。

理由①紆余曲折ある人生の中で人に過度に期待しなくなってしまった

私は普通の人の中でもかなり移動が多い生活を送ってきたと思う。そしてその分所属するコミュニティも多かった。小学校〜高校までは5回転校しているし、大学も県外へ、そして社会人は東京へ。留学や海外旅行にも何度か行った。

その度に色んな人に出会っては忘れ、忘れられ、裏切られたり酷いことをされたりしたこともあった。
それは大人でも子どもでも同じで、その中で「所詮人はこうだな」「この人はこの人、私は私だな」と人との境界線を自分の中で引くようになったと思う。

でも、だからこそ人に優しくできるし人に期待しないし自分のことだけに集中できるし、「別れがあってもまた良い出会いがあるし、縁があればまた会えるだろう。」
と物事を軽く考えられるようになった。

理由②自分のありたい姿がブレブレ

私は基本的にふらふらしていると思う。米津玄師もびっくりのふらふらふら、フラミンゴっぷり。それは興味の幅が広いのと、飽き性なのも関係している。

自分がどうありたいか、そしてどう生きていきたいかが自分の中でも定まっていない。だからこそブレる。
そしてだからこそロールモデルを求める。
因果の逆転…。

理由③自分が尊敬できるような人がいる環境に飛び込めていない

実際、本当に「かっこいいな」「憧れるな」そう思う人がいないわけではない。

本を読んでいれば、あるいはTVやYouTubeを見ていれば、「この人の生き方は素晴らしい」「こんな風に生きてみたい」そう思う人はいる。(インフルエンサーというやつか?)

ではなぜそういった人たちが自分のロールモデルにはなり得ないのか。

それは自分にとってその人たちが遠い存在だからだ。
どうして遠い存在なのか。

自分がその人たちのいる環境に飛び込めていないからだ。
アプローチ方法はきっといくらでもある。
ただ結局自分で自分に蓋をして、言い訳を探して、
今の環境に甘んじているのである。


3つの原因を解決するには?

①の人に期待をしないという原因に対して、「人に期待をするようにする」というのは少々安直な解決方法である気もする。
そもそも人に期待をすることで生まれてくるメリットが自分の中であまりないのと、「人に期待をしない」という自分の価値観を変えるには、その期待を超える人に出会う必要がある。よって解決法を他者に委ねてしまうことになるので、やはりこれはすぐには解決できるものではない。

③に関しては、自分のありたい姿から逆算して尊敬できる人を導き出せ、その人がどのような場所にいるかを考えることで、尊敬できる人がいる環境に飛び込むことができるだろう。

つまり、②自分のありたい姿がブレブレという点。
これに全ての原因が詰まっている気がする。

さて、私はこれまで「なんだか楽しそうだなぁ」と思うことに手を出しては辞めてきた。基本的に熱しやすく冷めやすい部分がある。

社会人になって上京してからも、映るもの全てがキラキラしていて、とにかくなんでも挑戦!呼ばれたらすぐに行く!飲み会、合コン、目的もよくわからないイベント、クラブ、映えを狙ったカフェ…。
それはそれで楽しかったが、お金は貯まらなかったし結局そのキラキラしていたものも、今じゃあまり覚えていない。

浪費』…自分で無駄だと感じるお金の使い方
『消費』…お金を出す価値があるお金の使い方
投資』…支払ったお金よりもさらに大きな価値がある、もしくは価値を生み出すお金の使い方

そう考えると、私が社会人1年目の頃にしていたことのほとんどは浪費だったのかもしれない。(まあ、でも経験してみたからこそわかるものでもあるのでいい勉強代だったと割り切ろう。)

この1年~2年、社会人として働きながら自分の中で感じてきたギャップやもやもやを、そして主に読書や数少ない『投資』の中から得た自分なりの考えを言語化したい。これを機に改めて自分の理想像について考えてみようと思う。(なんて有意義な夜の使い方なんでしょうか。)

自分のありたい姿とはなんだ?

〈内面的な部分〉
・すべてを自責として考える
・人にポジティブな影響を与える
・お金に囚われない考え方を持つ(稼ぐことや安定ばかりを考えない)
・贈与できる人間になる(giverになる)
・学びに時間を使う
・取捨選択ができ、常に身軽なミニマリスト

〈働き方や周りの環境〉
・使命をもつ
・社会的に意味のあることを仕事にする
・チームで働き、チームを選べる
・時間と場所に囚われない働き方をする
・時間ではなく能力でお金を稼ぐ

うん。挙げるとキリがないが、少なくとも今の会社に勤めるサラリーマンという形態は自分の望む働き方ではない。
そして、会社という環境の中にいる「サラリーマン」には自分の求めているロールモデルはいないことが分かる。
(これは、あくまで私個人の価値観としてロールモデルに当てはまらないという意味であり、日本経済を支えているサラリーマンは素晴らしいと私は思う。)

ここから、③自分が尊敬できるような人がいる環境に飛び込めていないという事実が明確になってきた。

つまり私は、(少なくとも)自分のありたい姿とは関係ない場所にいて、
ロールモデルとなる人たちが集まらない環境で仕事をしてしまっている
のである。

では、私がまずやるべきことは何か。
仕事をやめよう('ω')ノ

ということである。あら、なんて安直…。

さぁロールモデルを探しに行こう


といってももちろん生活もかかっているので、ある程度お金を貯めて、
さぁ今年の4月。いよいよ仕事を辞め、改めて自分が興味のあることに挑戦する。とりあえずいったん日本を出てみる。

そして時間と場所に囚われない働き方をしてみる。まずはここからだ。
そしてそのような働き方をしている人とつながる。
ワクワクしてきた。

もちろんこの2年、サラリーマンとしてやってきたことは決して無駄ではない。むしろ無駄だと思われる所から学びを見つけようと、搾り取って、全てむしゃぶりつくしてきた。回り道をしたけど、浪費だって何だってやってみないと分からないし語れない。何かの糧になる。

さて、おのぼりの人生第2章の幕開けだ。

あ、でも履き違えちゃいけないのが、導いてもらう為に目標を立てるんじゃないってことだよね。
自分が前を向いて最短距離で目標に向かって進むために、中間地点で目標になる人を置く。
マラソンと一緒だなあ。

もしかしたらもう既にロールモデルはいるのかもしれないしね!明日から人を見る目がまた変わるかも。
人のいい所たくさん吸収していこう。

ということで、思考の整理終わり〜そろそろ寝なきゃ
ではまた!


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