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誰が地獄に行くのか?最終章.罪に対する刑罰は地獄の審判に繋がる

 前回の記事:人間は誇ることができない


『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべて隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。』伝道者の書12:13,14

    望みがない人間が死ぬことは、体は墓で朽ちるか火葬場で燃えてなくなるのだが、その魂は決して死なない。イエス・キリストは、イエス様ご自身を救い主として信じる者たちの魂は救いを受け自分の体で復活すると言われましたが、もし彼らが復活しなければ主は人間を相手に嘘をついた事になる。イエス様がなぜそんなことをされる必要があるのでしょうか?

『イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」』ヨハネによる福音書11:25,26

人間はアダムから受け継いだ罪の性質のゆえに罪を犯すようになり、その罪によって死んでは地獄へ行くようになる。

神様がアダムとエバを造ったとき、土のちりで人を形造り、いのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きた魂となった。これはアダムが永遠に生きることができたと言えるところである。

しかし、彼が魂の中に知性、感情、意思を持つ人格人でありながら、彼の意思を神様の命令に従うのに仕えず逆に、サタンの誘惑に負けて神様を失望させた。彼の子孫たちまでそのように罪を犯して生きるのを見て、神様は人を造ったことを後悔し、すべてを滅ぼそうと決心したのである。(創世記6:5-7)
ついに義人であるノアに箱舟をつくらせ、彼の家族8人と動物を種類ごとに生き残した後、呼吸するすべてのものを大洪水によって殺してしまわれたのである。(創世記7:1-9)

 神様のみことばに従順せず、逆らった者たちはサタンのしもべである。ノアの子孫から生まれたニムロデたちも彼らの意志のままバベルの塔を建てて罪の生き方を送ったのである。神様は、彼らの地上での寿命を930歳(アダム),950歳(ノア),969歳(メトセラ),600歳(セム),433歳(エベル),239歳(べレグ),148歳(ナホル),175歳(アブラハム),180歳(イサク),147歳(ヤコブ),その後は100年未満に減らして今日に至るようにされた。

『人生の齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。』詩篇90:10
『ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。』詩篇39:5

神様は人間に自由意志を与えて創造したことを後悔し、彼ら自身が自由意志でサタンの自由意志でサタンの言葉を信頼して従順した事によって、人間たちが地獄に行くようになっている呪いを消そうと神様の御子にその呪いを背負わせ、十字架ですべてを完了されたのである。その十字架によって福音が誕生し、その福音を信じた人は地獄に行かないようにしてくださったのである。

『しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。』1ペトロの手紙 1:25

神様がエデンを創られた目的は、アダムとエバを形造り、完璧な地上での環境の中で永遠にアダムの子孫たちと交わりながら楽しく生きるためであったのである。しかし、アダムとエバの不従順によって彼らは世の中を主管する権力を失い、楽園から追い出され、その代わりにサタンがその権力を持つようになったのである。

 神様はアブラハムをお選びになり、他の民族より数が少ないイスラエルが選ばれて、地上での王国を実現させようとしたのですが、サムエルのときにイスラエルは神様の統治を拒否し、王を望んだので、彼らに王国を許された。しかし、彼らの失敗でサウル–ダビデ−ソロモンが40年ずつ統治し、王国が分けられ、彼らが背教した故にイスラエルはアッシリアに、ユダはバビロンに捕らわれたのである。その後、神様の御子が彼らの罪を赦し、イスラエルに天国(Kingdom og Heaven) を樹立させようと王として来られたのですが、彼らは王を拒絶したあげく十字架に釘付けることで神様は彼らをイスラエルの外に二度も追い出したのである。

彼らは1850年余りの歳月を世界のあらゆるところで流浪し、ヒトラーに六百万人ものがガス室で集団殺害されたのだ。彼らは神様の奇跡で再びイスラエルの地に戻り、1948年5月14日、独立国家として誕生できた事は、神様のみできる神秘だったのである。

 罪の報酬は死であるが、神様の贈り物はイエス・キリスト、我らの主にある永遠の命である。(ローマ人への手紙6:23)
この永遠の命は行いで得られるものではない。また、宗教で得られるものでもない。誰でもキリストが十字架で成し遂げられた救いを神様の贈り物として受け入れれば得られるものである。ここに必要なものは”信じる事”である。

『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』ローマ人への手紙10:9
『あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』エペソ人への手紙2:8,9

他の宗教は、死んだ人を生き返らせないで地獄へ落とすだけだが、福音を信じて救われた人は死んでも復活し、永遠に生きるようになる。

『見なさい。私はあなたに神秘を告げましょう。私たちはみな眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちない物を着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。』Ⅰコリント人への手紙15:51–53
『ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質ないものになり、あなたがたの信仰も実質ないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証した者ということになります、なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰は虚しく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れなものです。』 Ⅰコリント人への手紙15:12−19

救われていないまま教会に通って死んでしまえば、地獄で永遠に苦しむことになる。そんな者たちには復活の機会がない。

悪魔は果てしなく深い淵の天使である。彼は人々を騙して地獄へ落とす。彼は人殺しであり、嘘つきであり、嘘の父である。(ヨハネによる福音書8:44

『もし私たちの福音におおいが掛かっているとするなら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。』Ⅱコリント人への手紙4:3

悪魔は破壊者である

『彼らには、自分たちを治める王がいる。底知れぬ所の天使よ。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシャ語でアポリュオンという。』ヨハネの黙示録9:11

”アバドン”は破壊、”アポリュオン”は破壊者という意味である。

 偽りの教会たちや世の宗教たちは皆人々を、福音を疑うようにさせ、地獄の仲間になるようにしている。

誰が賢いのか? 悪魔に騙されない人である。

イエス・キリストを自分の救い主と信じ、その事を告白し、イエス様に自分の中に入ってきて私を救って欲しいと祈れば、生まれ変わることができる。
(ヨハネによる福音書1:12)

 こうすれば、死んでも、また自分の体で生き返り、永遠に生きることができるのだ。聖書に記録された言葉を信じる人は”永遠の人生”を神様からの贈り物として受けるのだ。

あなたにそのような信仰はあるか?

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』ヨハネによる福音書14:6

ー完ー

最後でお読みいただきありがとうございます。

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救われる方法とは:”神様の簡単な救いのご計画” 


著:イ・ソンオ牧師(Seoul Bible Baptist Church) 『誰が地獄に行くのか』

こちらの記事はイ・ソンオ牧師著の『誰が地獄に行くのか』を日本語に翻訳したものです。全7章のうち今回は最終章”7.罪に対する刑罰は地獄の審判に繋がる”の翻訳を載せました。


第1章からの記事をマガジンにまとめています。↓