【人間成長サクセスストーリー】

老年期精神病を発症した母。崩壊する家族関係。 自分の心を、家族を、立て直した人間成長サクセスストーリー。

【人間成長サクセスストーリー】

老年期精神病を発症した母。崩壊する家族関係。 自分の心を、家族を、立て直した人間成長サクセスストーリー。

最近の記事

母の精神が崩壊㉒ 本音でぶつかる夫婦関係

父と母の夫婦関係は、 どこかよそよそしかった。 お互いの腹の中を、 隠して、隠して、 相手のことがわからなくなり、 信用度ゼロ。 疑心暗鬼状態だった。 その証拠に、 母は、父と同じお墓に入るのは嫌だ、 と言うようになっていた。 『死んでまで、この人と一緒にいたくない』 という、思惑だったのだろう。 父と母は、私が物心ついた頃から 言い合いの喧嘩をしなくなっていた。 お互いの腹の中を明かさず、 だんまり戦。 結局、 父も母も、本音でぶつかり合うことを、 恐れたのだと思っ

    • 母の精神が崩壊㉑ 神様からのプレゼント

      現在母とはリモートでしか会えない。 でも、面会した後は、看護師さんに 嬉しそうに、家族の話しをするそうだ。 入院したばかりの頃は、 普通に面会することができていたが、 ずっと下を向いて泣くばかりで、 顔の表情すら確認することができず、 意思の疎通ができなかった。 それが今では、 画面越しの面会でも、 こちらが話ししていることを理解し、 冗談まで言えるようになった。 常に眉間にシワを寄せ、 苦痛な面持ちだったのが、 笑顔までみられるようになった。 母を囲み、 何気ない家

      • 母の精神が崩壊⑳ 今の自分の土台

        母が幼い頃、育った家庭環境は、 軍人で躾の厳しかった祖父が絶対的存在だった。 口をきくのも緊張して、怖くて、 甘えることもなかったと言っていた。 孫の私も、祖父と話した記憶がない。 幼い頃に男性に甘える ということを、経験したことがなかった母。 それは、大人になっても同じで、 自分の主人にも、どうやって甘えたらいいのか、 わからず、幼い頃祖父に対して抱いていた 男性=恐怖 の感情が消えないまま、 高齢になってしまった。 母は、錯乱した状態で 父と言い合いになったとき、 『

        • 母の精神が崩壊⑲ 母の呪縛からの解放

          母のこころの病を通し、 今まで抑え込んでいた、 複雑に絡み合った感情たちが ザワザワと、ザワつき始めていた。 それは、私だけのことではなく、 姉も同じようだった。 私たちが小さかった頃の母を思い出し、 話すことが多くなっていた。 それは、 過去の感情にタイムスリップすることであり、 姉は、苦痛なようだった。 姉は、45年前の感情が鮮明によみがえり、 幼心に傷ついたこと、 嫌だったこと、 本当に思っていたこと を、吐き出すように話し始めた。 姉が子供の頃、 母を怒らす

        マガジン

        • ◆こころの話し
          3本

        記事

          母の精神が崩壊⑱ 流れに身を任せてみる

          母の精神状態が悪化し始めてから、 旦那と言い合いすることが増えた。 壊れていく母を毎日目の当たりにして、 仕事をしていても、 家にいても 友だちと会話をしていても 買い物に行っても 常に頭から、離れることがなかった。 脳が、母のことでいっぱいになっていた。 仕事から帰っても、母のことが心配で すぐ実家に行っており、 旦那が仕事から帰ってきても、 私が居ない状態が、何週間か続いた。 加えて、実家から帰ってきても、 母から、時間関係なく、 かかってくる電話。 旦那からは、

          母の精神が崩壊⑱ 流れに身を任せてみる

          貯金ゼロ派遣社員女 新築建売住宅を買う

          今から3年前、私は新築の建売住宅を買った。 それは、自分でも驚くような 奇跡に近いようなことが次々と起こり、 立地も大きさも最高の家を買うことができた。 もし、他の人が同じ状況だったら、この決断をしていないだろうなと思うほど、この決断をした自分に驚いているし、褒めてやりたいし、狂ってる(笑)、とも思う。 しかし、決断に至るまでは、数年かかった。 我が家を手に入れるまでの現実思考化ストーリー。

          貯金ゼロ派遣社員女 新築建売住宅を買う

          母の精神が崩壊⑰ 当たり前を疑え

          母が老年期精神病になってから、 世の中の当たり前に疑問を抱くようになった。 それは、女性に対する当たり前。 なぜ女性ばかりが、 家事をしなければならないのか? 母は、自分が家事をすることを 当たり前と思っているので、 退院して、家に帰ったとしても、 何もできない自分は、価値がないと言う。 病気になっても、 母の中から根強く抜けない 世の中の当たり前。 そして、その当たり前に、 自分は価値のない人間だと思い込み、 苦しんでいる母。 私は少し、恐怖を感じた。 友だちが

          母の精神が崩壊⑰ 当たり前を疑え

          母の精神が崩壊⑯ 感情は心の警報器

          私の父は、ザ昭和頑固親父。 休みがなくても、なんのその。 毎日仕事へ行っていた。 仕事のない日は、付き合いのゴルフ。 平日は、飲み会。 私の記憶の父は、 いつも家にいない。 家庭のことは、母に任せっきり。 しまいには、母を裏切ったこともあった。 母はそんな父を嫌い、 何度も離婚しようと思ったらしいが、 時代的に離婚を恥と思い、 ひたすら、我慢していた。 まさかその我慢が病気への 一歩になることと思わず… 母が精神を病んでから、 父と必然的に話しをしなければならない

          母の精神が崩壊⑯ 感情は心の警報器

          母の精神が崩壊⑮ 意見の対立からわかったこと

          母の入院をするという選択を、父も姉も最初から受け入れていたわけではなかった。 姉は、当初、入院することに反対をしていた。 入院してしまえば、症状がもっと悪化してしまうかもしれないという、不安からだった。 それは、私も同じ気持ちだった。 ただ、違うかったのは、 姉はあまり母と接していなかったので、 母がどういった状況なのか、 あまり知ろうとしなった。 『そんなに悪い?』 私がオーバーに言っているかのように、疑われ、気分が悪くなり、加え、いよいよ母の調子が悪くなってきて

          母の精神が崩壊⑮ 意見の対立からわかったこと

          母の精神が崩壊⑭ 人は心の状態の変化で好きな色が変わる

          母は、精神疾患を患う前、黄緑、紫、桜色、と、淡い優しい色が好きで、暗い色、グレーや黒の服は絶対着なかった。 それが、精神が不安定になってくると、 不思議と嫌っていた黒やグレーの服ばかりを 手に取り、着るようになっていた。 『お母さん、ピンクの服きんの?』 と、尋ねても、『これでええ』の一点張り。 あんなに嫌っていた色を好むなんて… 不思議に思った私は、カラーセラピーを 学ぶことにしてみた。 母が当時好んでいた黒やグレーには、 恐怖 孤独 闇 不安 悲しみ ショック

          母の精神が崩壊⑭ 人は心の状態の変化で好きな色が変わる

          母の精神が崩壊⑬ 偽物の自分

          ある日、母に面会にいった。 病院のベッドに背中を丸め、 床を一点見つめ、座っている母。 最初は、変わりゆく母の現実の姿を 受け入れることが、できなかった。 なんでだろう。 なんで受け入れられないのだろう。 変わってしまった母のことを 受け入れられない自分は、 ダメ人間。 そう思うようになっていた。 心でずっとくすぶり続け、消えない ダメ人間、というレッテル。 自分でつけたレッテルに、苦しんだ。 このままでは、前に進めない。 そう思い、自分の心と向き合うことにしたが、

          母の精神が崩壊⑬ 偽物の自分

          母の精神が崩壊⑫ 支えられた亡くなった祖母からのメッセージ

          母が精神病院へ入院して、 3週間が過ぎようとしていた頃、 主治医の先生から電話があった。 保護室から一般の個室へ移動したが、 精神がかなり不安定になっており、 もう一度保護室に戻るように、提案し、 最初は承諾したが、いざ移動するようになると 拒否をし、個室のままがいいと暴れ出したという内容だった。 一般の病棟では、見回りはしますが、24時間体制で監視することができず、何が起こるかわかりませんが、お母様が個室を望まれているので、そのままのお部屋で過ごしていただくようにします

          母の精神が崩壊⑫ 支えられた亡くなった祖母からのメッセージ

          母の精神が崩壊⑪ 亡くなった祖母からのメッセージ

          母の精神が不安定になっていくなか、私の心も同様に、不安定になっていった。 仕事はなんとか行っていたが、常に何もする気が起きず、頭の中は母の暗い未来ばかりを想像し、不安に占領された心と体は重苦しく、勝手に涙が溢れ出ていた。そんな精神状態で、夫婦関係もうまくいくはずもなく、主人と喧嘩する回数が、明らかに増えていった。 加えて、父や姉の何気ない言動も、目につくようになり、自分の中で、距離を置くようになっていた。 周りの声が、なにもかも無神経な発言のように思え、心には常に黒い靄

          母の精神が崩壊⑪ 亡くなった祖母からのメッセージ

          登園拒否、お昼寝拒否、保育所脱走、超問題児だった私

          もう40年以上前の話し。 私が保育所へ通っていた頃、私のことを知らない先生はいなかった。 なぜか… 超問題児だったから。 登園拒否、お昼寝拒否、保育所脱走… 今では考えられないほどの破天荒ぶりに、自分でも笑える。 母は、私の頭の線が切れているのではないかと、真剣に悩んでいたらしい。 若干3歳にして、保育所から脱走。 数キロ離れたところで、一人で歩いていたところを、姉の同級生のお母さんが見つけ、身柄確保。 どんな度胸をしていたんだ…私。 登園拒否は、日常茶飯事

          登園拒否、お昼寝拒否、保育所脱走、超問題児だった私

          母の精神が崩壊⑩ 覚醒

          母の精神が崩壊したのは、今回が初めてではなかった。約10年前にも、幻聴と幻覚までにはいかなかったが、水すら喉に通らなくなっていた。 母は鬱、旦那はパニック障害経験者、姪もパニック障害。 ある日の休日、家でぼっーと横になっていた。 ふと、私の身内は、精神的な病気を患う人間が多いよなぁ…と、思った瞬間、 『私は人の心を知るために、この世に産まれてきたんだ!』 という思いが沸きだし、涙が溢れ始めた。 悲しい涙ではない。 忘れていた思いを思い出したことに対する、嬉し涙のよう

          母の精神が崩壊⑨ 孤独

          病院関係者の方との関わりを断固拒否する母。主治医の先生、看護師さんもお手上げ状態だった。 面会へ行った際、主治医の先生から呼び止められ、談話室へと招かれた。『お母様のことを教えていただけませんか?こんなに気になった患者さんはいません』と言われた。母は、頑なに食べること、話すことを拒否していた。 母の家族について。育った環境について。していた仕事について。色んなことを聞かれた。 母は、軍人の祖父のもと、かなり躾の厳しい家庭で育った。神社の祭りのとき、出店で物を買うことを禁