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私がカウンセリングの仕事をしようとした理由【安心して話せる場所がないから悩みを話せないままにはしたくない】

私は海の見える小さなカウンセリングルームで、
カウンセリングの仕事をしています。

私がこの仕事をしていこうと思った理由のひとつに、
世の中から置き去りにされている人たちの悩みに応えたいというのがありました。

世の中から置き去りにされている人。
こう言うと、世の中の弱者と呼ばれる人を想像するかもしれません。

でも私の言っている世の中から置き去りにされている人は違います。

人の悩みの深さや複雑さが人によって様々なのは、ほとんどの人は理解していると思います。

それなのに私たちは安易に世間の目と同じように相手を見てしまうことがあります。

どこから見ても深刻な状況で、なおかつ当事者だけでは到底解決できない問題であれば、おそらくほとんどの人は何らかの支援の手を差し伸べなければいけないと感じるでしょう。

そこに異論はありません。
ただ、そこに基準のようなものができてしまう。

どういうことかというと、より深刻で緊急性が高く、不幸度が高そうな方の悩みがより大きく、重大な問題なのだという基準です。

だから、もし自分にとってとても大きな悩みであったとしても、自分以上に状況が悪い人がいるとなると言い出せなくなります。

正社員の自分が仕事で悩んでいたとしても、非正規や仕事を探している人からすると贅沢な悩みと思われます。

結婚生活のことで悩んでいたとしても、結婚したくてもできない人からすると当てつけにも感じられるかもしれません。

子育ての悩みも、不妊治療をしている人には相談しずらくなります。

離婚したシングルマザーはいろいろ大変で支援も必要だろうと世の中の人は思います。

しかし離婚したいと思っても離婚出来ない人の悩みというのは、覚悟が足りないとか勇気がないとかまだまだ甘いよね、みたな目を向けられがちです。

病気や障害で悩んでいても、より重い人から見ると自分の悩みなんて軽いと見られるだろうと感じます。

悩みは個人の問題なのに、世の中の基準と安易に比較するところがあります。

よく、思い切って誰かに相談すればいいよ、自分ひとりで抱え込んではいけないよと言います。
確かにそうなんです。

でも実際はそう簡単な話ではありません。

たとえば友達や同僚とランチに言って、実はこういう悩みがあるんだよねって言える悩みとそうでない悩みがあります。

なぜ簡単に相談できないのか?

そのわけは、本当にわかってもらうように相談するには、とてつもなくプライベートなものをさらけ出さなければならないときがあるからです。
そうでないと本当の悩みが見えてこないんです。

とてもじゃないけどランチ食べながら言える内容ではないとき、聞かされた相手だってどう対応していいか戸惑うことが目に見えています。
だから、そう簡単に話せないのです。

いつまでたっても、誰にも話せないということは、その人の悩みはずっとひとりで抱えたままで、決して外からは見えてこない。

また世代間の問題もあります。

自分のときはもっと大変だった、あなたはまだ恵まれていると言われてしまえば、悩みはわがままとして扱われてしまいます。
容易に悩んでないでもっと頑張れ、我慢しろと言われてしまうんです。

同じような悩みを抱えている人同士がわかりあえる場合もありますが、ともすると、どちらがより悩みが大きいかのマウント取りに振り回されることもあります。

そうやって、世の中から置き去りにされてしまうだけでなく、本人としては大きな悩みには変わりないのに、自分はこれきしのことで悩んでいいのだろうかと自分を責めてしまいます。

人に理解してもらえない悩み、どんなに言葉を尽くしてもわかってもらえない悩みを抱えながら生きている人がいます。

もっと自分が不幸になれば助けてと言えるのだろうか、いっそ精神を患えばこの苦しさがわかってくれるのだろうか、そうなれば人はわがままではなかったんだと思ってくれるだろうか。

そこまで考えていたとしても、現実の生活の中では、何もない普通の人として見られます。

そういう人たちが安心して悩みを話せる場所があまりにも少ないから、
私はそこにいる人たちの悩みに応えたい、そう思ってこの仕事をしています。


煮詰まったとき、カウンセリングを受けてみることをおすすめします。対面カウンセリングが無理な方には、電話、オンラインもやっています。どんどん気軽にご利用くださいね。


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