見出し画像

私は濡れたサドルでいいから

 ※2020年7月31日に公開した「女性コンビニ店員(24) 幼なじみを見た日」の続編になります。主人公・元田あやか、通称もっさんの日常をお届けします。続編ではありますが、単独でも楽しめる内容になっています。時間があれば、前回の分と合わせて読んでみてください。不器用でまっすぐで奥手なもっさんに出会えると思います。(フィクション作品です)


画像1


「いちじくって美味しいですよね」

櫂(かい)くんに言われると、すぐにうなずいてしまう。優しく正しい人だから。


 「もっさんはいちじくってどんな時に食べます?」

どきっとする。いちじくってなんだっけ。あの乾燥した赤い実のことだっけ。あれ、薄い橙色の丸っこいやつ?紫色のうにうにしたやつ?
 真一文字に結んでいた口の端を少しあげて、眉間に「?」を浮かべておく。きっと流してくれるだろう、この話し。

 そう考えていると、目の焦点が櫂くんの数メートル後ろにあるドリンクが大量に補充された冷蔵庫にいった。そうそう、今はコンビニでのバイト中だ。無駄話をしている場合じゃなくて、さっさと仕事に戻らないと。いくら深夜でお客さんがいないとはいえ、ダメダメ。そう思うと目の焦点が戻ってきて、櫂くんの顔に合う。

 櫂くんはなんて綺麗な眉毛をしているのだろう。それは決して機械的な、等間隔な美しさではない。本来生えている眉毛を丁寧に整え、みっちりと生えている。人間らしい。黒の密度が高く、見ているだけで少しドキドキとする。角度が怒ったように上がっていることもなく、学校の目立っている人たちがやっていたような細さでもなく、そりすぎて青くなることもなく。その綺麗な眉毛にほれぼれする。どんな性別だったとしても褒められる眉毛だな。

 「もっさん?聞いています?」
「ああ、ごめんね。なんだっけ」
流してくれなかった。
「いちじくの食べ方ですよ」
「あ〜どうかな。なんかドライフルーツみたいにして食べるかな」
「ですよね!僕もですよ。ピザに乗っていたりすると美味しいですよね」
櫂くんは歯を出して笑った。歯並びも綺麗だなと思った。

 彼はバイトの後輩だ。私より2学年下の23歳。大手の銀行員として地方で働いていたけど、両親の体調が芳しくなく入院したため地元・東京に戻ってきたという。と言っても、両親は介護などの看病が必要なほどではないようで、万が一のために地元に戻っただけだった。コンビニの深夜バイトをしながら、転職活動をしていて、地元に帰ってきて4ヶ月目の今、ようやく内定がもらえそうだという。つまり、そろそろこのバイトを辞めるらしい。

 明るく社交的な好青年だ。爽やかを体現したような人で、コンビニの事務所に入ってきた時にはふわりと葡萄のような甘く爽やかな匂いがする。同僚たちからも人気で、バイトをやめてしまうことをみんなが悲しんでいる。


 「そういえばもっさん。このコンビニでもいちじく売り出すらしいですよ」
「あ、だからいちじくの話し?」
「そうです!無添加で子供も食べられるっていうふれ込みみたいです。僕も早く食べたいな」


画像6


 彼にもっさんと呼ばれるようになったきっかけ。

彼がバイトに入ってすぐの頃、眩しいなと思っていた。誰にでもハキハキと笑顔で話す姿は、私と大違いだった。私は1年以上かけ、ようやく店長と緊張せずにしゃべれるようになり、その後バイト歴が長い人とどうにか話を合わせる形で仲良くなった。彼との違いは歴然だ。

 そして2ヶ月くらい経ったある日、土砂降りの雨の日があった。その日は私と櫂くんが夜勤。夜勤が終わり、私は櫂くんにお疲れさまと言って逃げるように帰ろうとしたのだが、店を出ると目の前を歩く通勤客たちが傘を指していて、とりあえず空を見上げるしか無かった。


 「元田さん、かさ!僕の使ってください」
「え、でも・・・」
「いいですよ。僕家近いので」
「私も近いよ」
「いいですって。その代わり、店長みたいにもっさんって呼んでいいですか?」
「え」
「ダメです?」
「いや・・・急で」
「お疲れ様でした。もっさん!」


 微笑んだ櫂くんは雨の中を走り出した。ドラマのワンシーンみたいに様になっているなと思った。脚のラインがわかる黒色のタイトなジャージはこの光景を見せるために選ばれた衣装みたいだった。私の手元には紺色の控えめな折り畳み傘が残った。


画像6

 みんなのアイドル・櫂くんのとにかく優しいところは選ぶ話題からもわかる。

「もっさん、ニュース見ました?LGBTは子供を産まないから生産性がないって国会議員が言ったんですよ。許せませんよね」
「オーストラリアの火事大変ですよね。ツイッターでコアラの悲惨な姿が流れてきて・・・」
「マイバッグとかマイボトルとか持っている人増えましたよね」


 私は肩身が狭い。未だにLGBTという単語を聞いて、「えっと、えっと」って1、2秒考えてしまう。
 オーストラリアの火事と聞いても何も分からなかった。スマホで調べて広範囲の山火事が起きていることを知った。
 環境保護のためにマイバッグとかが必要なことは知っている。だけど、私がバイトにくるための自転車のサドルにはレジ袋を被せてある。そうしないと割れたサドルに染み込んだ雨水がお尻を濡らすからだ。


画像7


 いちじくの話をしてから2週間後、櫂くんはバイトを辞めることになり、送別会が開かれた。曲がりなりにも古参メンバーとなった私から言わせると、1年未満で辞める人の送別会が開かれるのは珍しかった。会にはバイトメンバーの十数人が集まった。シフトの関係上来れない若い女の子は本気で悲しんでいた。私も行かないつもりでいたが、櫂くんと最後に一緒のシフトになった時、「本当にお世話になりました」と葡萄の匂いとともに言われたら行かないわけにはいかないかなと思った。

 送別会はバイト先近くの安居酒屋で開かれた。私はお酒を飲まなかったけど、みんながお酒を飲みながらガヤガヤと話している光景は綺麗だなと思った。櫂くんを中心にみんなが会話に没頭している姿や笑顔が。
 古参のメンバーだからこそ、別にズケズケと話さなくてもここにいることを許されている感じがして、一層みんなのことを見ていることに専念できた。そして、やっぱり櫂くんが人気があったから、私もここにいられるのだと思う。みんなの視線、話題が櫂くんに向いていて、私が話さなくても視線がこちらに向くことはない。彼の人柄にこんな時にも助けられるんだなと思い、安心とほんの少しの情けなさを感じた。冷たいジャスミン茶が美味しかった。

画像5


 送別会が終わる。櫂くんの最後の挨拶。
「本当にお世話になりました。突然入ってきて、しかも短い間しかいなかったのにこんなによくしていただき嬉しかったです」
赤ら顔でお礼を言う。
「コットンのハンカチは大切に使わせていただきます」
一同から送ったハンカチを嬉しそうに持っている。周りにも笑顔が溢れ、自然と拍手が起こった。

 居酒屋の玄関で靴を履いていると、不意に櫂くんと目があった。
「もっさん、ありがとうございました」
櫂くんは最後まで眩しかった。酔っていても私に礼を言ってくれるなんて。私なんて何もしていないのにね。なんなら、櫂くんの眩しさに隠れ、好きな陰を歩くことができていただけなのに。「いやいや・・・」曖昧な笑みを浮かべていた。

 「え〜もっさんって、櫂くんからももっさんって呼ばれているの?」
赤ら顔の店長だ。うるさい。その店長をなんとか櫂くんが回収し、私にはまた静寂がきた。


画像5

 全員で外に出る。
「あ、雨降った?」「本当だ、外濡れているね」
雨が降った後、土の匂いが濃くなった外が好きだ。今日は暖かく、着実に春に向かっている気配も感じられ、どこかしら樹々の匂いもする。春が来るんだ。櫂くんの代わりに春がくるんだ。

 「カラオケ行くぞ〜」
店長の一言で一同はぞろぞろと駅の方に流れる。
「あれ、もっさん行かないですか?」
櫂くんに呼び止められた私は、彼の眉毛をぎゅっとみておく。
「うん、私は遠慮しておきます」
「もっさーん、行こうよ」
「はいはい、店長寂しいんですね。それではもっさん、お元気で」
「櫂くんもお元気で」

 ためらいはない。櫂くんはくるりと反対方向を向き、みんなと一緒に駅に向かう。私も回れ右をしてバイト先に行き、自転車の鍵を解錠する。櫂くんの眉毛は忘れないな、と真面目に思ったあと、クスッと笑った。なんの決意なんだろう、私。



 水滴がたくさんついたサドルのレジ袋を取って、外に設置されているゴミ箱にそれを突っ込む。

 恐る恐るサドルに座ってみる。あ、やっぱり。レジ袋をしていても何故がサドルは濡れているんだよね。なんとなくわかっていた。
「まあ私はお尻が濡れるくらいでちょうどいいの」
気づけば声が出ていた。

「今のはちょっと公共の場で言うのはまずかったかしら」



 もっさんは少し赤くなり、ペダルをいつもより強く踏むのだった。




空気公団/春が来ました

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?