【うつ闘病記】地宙人、家を買う - 07_かけこみ寺
間もなくして、ある日の朝、仕事に行けなくなった。
何かの糸がプツンと切れたかのように、「仕事に行く」「仕事をする」「仕事の同僚と会話する」という行為ができる気がしなくなった。それに気が付いたのは、引越し前は最寄駅だったが引越し後には乗換駅となった西日暮里駅の駅と駅を結ぶ道の途中であった(ちょうど真ん中あたり)。
「もうこれ以上、先に進めない」
そう思った僕はそこで暫くの間立ち往生していた。どうする。どうする。
その時思い出したのは、結婚前に精神的にまいっていたピンちゃんに自分がかけた言葉だ。
「病院へ行きなよ」
そう思うと、携帯電話で最寄りの心療内科を検索していた。すると、徒歩十数分のところに病院があった。もうこれしか道がないと確信していたボクは、迷うことなく、逃げ込むように、その足で病院を訪問した。
その病院は古びていて、懐かしい感じのする小さな町の病院だった。他に来院している人はまばらだ。その誰もが心に闇をかかえているのだ。そんな誰もが、どこかこじんまりして見えた。
医師は、マスクをして表情が見えない(ついぞこの医師の素顔を見ることはなかった)。白髪の年配の医師だった。
一通り生活状況を伝えると、ひとまず精神安定剤を処方してくれた。「なんだ、こんなに辛いのにうつじゃないのか……」と拍子抜けして、この日はまた近くの図書館で時間を潰した(いや、仕事場の近くには行ったかもしれない……記憶が曖昧だ)。
それから数日、這うような気持ちで仕事場へ向かった。仕事場へ付くと、不思議と仕事はできた(もちろんミス連発だが)。でもどうしても仕事場へ向かえない日もあった。そんな日は有給で休んだ。そして初めての通院から一週間後、また状況を伝えに病院へ行った。その時、この一週間の状況と心持ち(この世から消えてしまいたい等)を伝えると「うつ病と診断いたします」と告げられ、投薬が開始された。
医師曰く、うつ病には数多くの薬があり、どの薬がどの量で効くかは、人によって異なるということだった。こんな藁をもつかむ曖昧な医療があるものか、と思ったものだが、その藁にすがらないわけにはいかなかった。
この医師は比較的古い薬を処方する医師であった(後で知ったことだが今の診療では珍しいらしい)。昔からある古い薬は効果は強いけれど副作用も強い、新しい薬は効果はマイルドだけれど副作用は弱いというのが特徴らしい。副作用は、眠気、喉の渇き、便秘その他もろもろ。
この日から、うつ病と副作用の一進一退の毎日が始まる。
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