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雑考・メモ・日記

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#散文

詩・散文「林檎を描く」

詩・散文「林檎を描く」

リンゴを描く

絵筆をとって何十年
林檎がそこに在るような林檎の絵を描きたかった
いや
林檎そのものが在ると言う事を描きたかった
今でもそうだ
しかし未だ描けてはいない

いくらかは林檎がそこに在るかのような絵は描けるようになったが
林檎そのものが在るというにはほど遠い
いったい林檎が在るとはどういう事か
そして何故私はその「問い」に「描く」事で答えようとするのだろうか

もう何十年も絵を描いてい

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雑考・日記・メモ「良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?」

雑考・日記・メモ「良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?」

良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?

良い事をしたい❗と貴方を喜ばせたい❗は明らかに異なるのに、混同することは多く、あるいは両立させようとする人も多く、しかしやっぱりそれは無理なんだと思います。3人称の倫理と2人称の倫理は噛み合わない。別物と割り切って、その齟齬をどうやって調停するかと言う方法論のステージに目を向けるべきかな。と思います。だからそれは倫理としては次善でしかないのだろうけれど

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詩・散文「Natural born killers」

詩・散文「Natural born killers」

Natural born killers

誰かとつながり生きている支え合って生きている
喜びを分かち合ったり悲しみを拭いあったりと
それはとても素敵なことなのだ
と同時に例えばそれは
一匹の蝶の羽ばたきがその地球の裏側で台風を引き起こす因子の一つでもあるように
例えば私の些細な振る舞いは
遠く何処かで知らない誰かを踏みにじり傷つけ殺しているに違いない
環境と共に在り関係の網の目の中に生きるとはそ

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雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

誰にも知られない花

誰にも知られずに芽吹き花咲き萎れ枯れていく花は、果たして存在したのだろうか。
私はしなかったとおもいます。
もしこれが正しいならば、在るがままの自然と言われるものは嘘になる。
現象する自然は、必ず人為に依ってその様態が定まり顕在化されるのであろうから(→シュレーディンガーの猫)。

だから私は「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう(レヴィ=ストロース)」とは、私

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詩・散文「赤猫」

詩・散文「赤猫」

赤猫

〇猫、夕日を見ているの?
●まさか、西を向いているだけさ。
〇あら?寝ころんだ。
●寝そべった。
〇そうしてじっとアスファルトの熱を体に吸い込んでいる。
●最後の温もりを味わいながら。
〇猫、ないている?
●どうして?
〇わからない。でも、睫毛がキラキラと濡れているみたい。
●錯覚さ。
〇でも、私の影はこんなにも伸びてゆらゆらと・・・
●揺れている?
〇1ミリの厚みもなく。
●幽霊みたいに

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詩・散文「右手と左手」

詩・散文「右手と左手」

右手と左手

「右手」とは「左手の右側の手」であるのならば、「左手」は「右手の左側の手」であろう。
別に「手」じぁなくったっていいし「手じゃない何か」である必要もない。単に「左右の定義」として考えてみると、
「右の定義は左の右側」であるし、「左の定義は右の左側」である。とすると、この定義は真であるか偽であるか?

2021年11月1日 岡村正敏

詩・散文「臍考」

詩・散文「臍考」

臍考

臍と言うのは不思議なものだ。何の役に立つでもない腹の窪み。無くとも良いが無ければきっと寂しいに違いない。何故だろうか、この、臍を失う寂しさとは何か。

私は臍ではないが臍は私の一部である。しかしじっと臍を見つめていると、ひょっとしたら臍は臍として、私ではない臍として、私の腹の真ん中で何か想う事があるような気がしてくる。
しかしやっぱり臍は私の一部なのだから、単に他人でもないのだろう。すると

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詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

真っ平な世界は、ただ一つの面が何処までも広がっている無言の世界なのか
真っ平らな世界は、無数の山頂が等しい高さに犇めいている多弁な世界なのか。

どちらにせよ、真っ平の世界に立った時、
私は私だけが起立している事を知るのであるが、だからと言って自分を真っ平らにしようとしてはならない。

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詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

「岩になり砂になり水になり空になり」

真っ平らでダダ広い大地に 亀裂が入りひび割れると そこには無数のゴツゴツした岩岩がひしめいていた この岩を二つの拳が叩いて砕くと 岩岩は礫になり砂になって拡がって まるでそこは海のような砂原になった やがて風が吹いて砂の粒子を巻き上げると それは空一面に舞い散って 空のような宇宙になった そうしてそこには透明な粒子が遍いていた それはもう粒子と呼べるものでも

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雑考・日記・メモ 「ダーマ&グレッグ」

雑考・日記・メモ 「ダーマ&グレッグ」

ドラマは昔から全く見ないのだけれども、唯一好きになって観ていたドラマが『ダーマ&グレッグ』。
当時居酒屋の仕事をしていて毎晩帰宅が0時過ぎ。その時たまたまTVを付けたら放映されていたのが切っ掛けでした。
ヒッピーのダーマと英米エリートのグレッグが、出会った(再会?)その日に結婚。その結婚生活が面白い。
全く異なる主義・文化を持つ2人だけれども、互いに強制せずに、むしろ互いの異なる文化を驚き楽しんで

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雑考・日記・メモ 「ドローイングの事」

雑考・日記・メモ 「ドローイングの事」

「ドローイングの事」

●美術用語の「ドローイング」は「デッサン」でもなく「ペインティング」でもない。定義はあいまいなのですが、美術教育の現場などでは「線描に主軸をおいたデッサンのようなもの」として扱われています。だからちょっと陰影がついていたりするんですが、基本は「線」なのがドローイング。
●さらに言えば「ドローイング」に似たもので「クロッキー」と言う用語もありますが、「ドローイング」と「クロッ

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雑考・日記・メモ 「問いと反抗」

雑考・日記・メモ 「問いと反抗」

「問い」と「反抗」

「問い」には理由がない。                     「問い」の目的は究極「世界」への果てなし「問いかけ」なのだから。    だからそれは「不条理」への「反抗」に似てもいるのだろうと思う(カミュの『反抗的人間』の「反抗」の方。映画『理由なき反抗』の「反抗」じゃなくって)。                              そして「反抗」のその先に、もしかし

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哲学・日記・メモ「その人が死ぬ時」

哲学・日記・メモ「その人が死ぬ時」

その人が死ぬ時                            マンガやドラマの常套句。「想い出がある限りその人は生き続ける」。そんなわけはない。その人との想い出が、生き生きと私の暮らしの中に留まっていても、その人が生き続けているわけではない。そこには更新性がないから。誰かが死ぬ時とは、彼彼女との想い出を新しく紡いでいく望みが絶たれたとき、そう確信してしまった時である。その更新を断たれたとき

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