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シン・日曜美術館『ジブリの耳をすませば』~転~「自由画検定委員 中篇:雪渡り⑤」


前回はこちら


2019年 7月 フランス
アルザス地方 コルマール



RESTAURANT JAPONAIS NAGOYA
日本料理レストラン ナゴヤ




ほっほっほ。うまいこと言いますね。

さて、話を宮沢賢治の『雪渡り』に戻しましょう。



えーと、次は四郎とかん子が森の手前で小狐の紺三郎と出会う場面ですね…


その通り。

『法華経』と『ルカによる福音書』の共通点その5…

「キツネ」です。


聖書にキツネなんて出て来たか?


『ルカによる福音書』第13章…

「神の国の宴」のたとえ話の終盤に出て来ます…


13:29 それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
13:30 こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。


神の国の宴…

そういえば、なぜ「東」の人は居ないんだろう…


東が居ない? 東西南北みんな揃ってるじゃねえか。


そうじゃなくて『耳をすませば』の「神の国の宴」のこと…

地球屋の工房で行われた「カントリーロード(Country Lord)のセッション(宴)」には、「西、南、北」という名の三老人は居たけど、「東」という名の老人は居なかった…

なぜ「西南北」は居て「東」は居ないんだろう?



そうやって関係ない話をするなっつーの。

今は『雪渡り』と『ルカによる福音書』の話だ。


でも気にならないか?

なぜ『耳をすませば』の「神の国の宴」には「西南北」は居て「東」だけが居ないのか…


あれは、たぶんだな…

「聖司と雫」が「東」なんだよ。



聖司と雫が東? なぜだ?


あの二人は「有明の月」だから「東」なんだな。


ありあけの月? なんだいそれは?


お前はそんなことも知らんのか?

日本の元祖妄想少女 清少納言の『枕草子』だよ。


せいしょうなごん?


「せいしょう・なごん」じゃなくて「せい・しょうなごん」。

僕は死にませんの「セイ・イエス」や、ゲップでみんなに「セイ・ハロー」みたく、「せい・しょうなごん」だ。

お前の発音「せいしょう・なごん」だと「聖ジョバンニ」を「聖ジョ・バンニ」と言ってるようなもの。


「清少」が苗字で「納言」が下の名前じゃないの?

日本人の漢字四文字の名前って、だいたいファミリーネーム二文字+ファーストネーム二文字だろ?

「宮沢・賢治」とか「小沢・健二」とか「鈴木・敏夫」みたいに。


清家の娘で地位が少納言だから「清・少納言」という。

まあ、日本人の多くも「清・少納言」ではなく「清少・納言」と呼んでいるから、フランス人であるお前が間違うのも無理はない話なんだが…


なるほど。

ドン・キホーテをドンキ・ホーテと呼ぶのと一緒か。

で、清少納言の『枕草子』の「有明の月」ってのは?


『枕草子』第238段

月は有明ありあけの、東の山際やまぎわに細くて出づるほど、いとあはれなり

夜明け前の東の空に薄っすらと見える有明の月ほど哀しいものはない。


なぜ夜明け前の東の空の月が哀しいんだ?


かつて日本の貴族社会は「通い婚」だった。

夜に男が女のもとへ行き、チュッチュ チュッチュして、夜が完全に明けてしまう前に男は女のもとを去らなければならない。

その別れの時間帯、つまり、これからだんだん明るくなってくる東の空に、今にも消えてしまいそうな月が薄っすら見えることがある。

このいかにも侘しき佇まいの月を、夜明けと共に離れ離れになってしまう男女の切なさと重ねて「有明の月」と呼んだわけだな。



つまり、こういうことか?

聖司と雫の苗字は天沢と月島だから「天空に浮かぶ月」…

そして二人は互いの愛を確かめ合い、夜明けと共に離れ離れになる定め「有明の月」だった…



そうだ。エロ狸の宮崎駿のことだから間違いない。

だから柊あおいの原作漫画にはない「結婚」というセリフを勝手に加えたんだ。

「有明の月」は「通い婚」つまり「離れ離れの結婚」だからな。



なるほど…

東西南北で欠けていた「東」は聖司と雫のことで、愛し合う二人が離れ離れになることの喩え「有明の月」を意味していた…

何となく辻褄が合うような気がする…


わっはっはっは(笑)


カリー・オストロさん、何がおかしいんですか?


人間というのは実に面白い生き物です。

とても簡単なことを、そこまで複雑に考えようとするのですから。


何だと? どういうことだよ?


『耳をすませば』には「西南北」がいて「東」がいない…

つまり「イースト」は除けられている…


は?


うふふ。お上手ですこと。

山田君がいたら座布団を差し上げたいくらいですわ。


山田君って誰だ?

ホーホケキョのことか?



いやあ。ノッて来ましたねえ。


ああ、午前5時…

時間は二人を朝にして…


はい?


聖司と雫が立っているのは朝焼けのベランダですよね。


まあ、確かに「朝焼けのベランダ」ですけど…

それが何か?



朝焼けのベランダで戸惑っている…

愛だとは呼べず、恋と決めず…

ただ君を、心から大事に思った…

モーニングムーン…


どこかで聞いたことのある詩だな…

誰でしたっけ? バイロン?


チャゲアスです。



また話を脱線させやがって。

チャゲアスの話は「僕は死にません」の『SAY YES』で終わったはず…


バウッ!バウッ!


うるせえぞカール! いちいちデケえ声で吠えるんじゃねえよ!


あっ…

ねえ、Leonard(レオナール)…

『モーニングムーン』のプロモーションビデオって…


あのPⅤがどうかしたか?


『耳をすませば』と似てない?


は?


電車から降りて、長い階段や坂道、グネグネ曲がった道を走るヒロインは、まるで聖蹟桜ヶ丘の街の中を走る雫のようだ…

そして最後は、イケメンのミュージシャンがヒロインを抱きしめる…



まあ、似てなくもないが、ただの偶然だろ。

『耳をすませば』とチャゲアスは関係ない。


そうだけどさ…

なんか気になるんだよね、あのミュージックビデオの構成とか…

なぜ白黒だった映像が最後にカラーになるんだろう…

そしてなぜ、それらがすべて白黒写真の中の世界だったんだろう…


バウバウッ!バウバウッ!


バウバウうるせーっつの!高田文夫か!


ちなみにですが…


何だ、爺さん?


チャゲアスのバックバンドの名はTHE ALPHAといいます。


ジ・アルフィー?

あの三人組はチャゲアスのバックバンドだったのか?



ジ・アルフィーではなく「ジ・アルファ」です。

「始まり」という意味ですね。



だから何なんだ?


ジブリは名古屋から始まった…

つまり「おわり」は「はじまり」だということです。



「おわり」は「はじまり」…

言葉の魔法…

つまり「光あれ」ってことか?


では「光」の福音書ルカ第13章「神の国の宴」の「キツネ」に戻りましょう…

南無妙法蓮華経の題目だけが真実だと主張し、法華経による世界救済『立正安国論』をぶち上げ、鎌倉幕府に命を狙われた日蓮と同じようなことを、イエスが語るシーンに…


『ルカによる福音書』
13:29 それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
13:30
 こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。
13:31 ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」
13:32 そこで彼らに言われた、「あのキツネのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしは今日も明日も悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。
13:33 しかし、今日も明日も、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。
13:34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、お前につかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはお前の子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とお前たちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。


こんなところにキツネがいたのか…

しかしイエスがしているのはキツネの話ではなくヘロデの話だ。

ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスのことをキツネと呼んでいる。



なぜイエスはヘロデをキツネと呼んだんだろう?

人を騙すから?


キツネが不思議な霊力を使って人を騙すというのは、中国や日本におけるキツネのイメージであり、聖書の世界にはないものです。


じゃあなぜイエスはヘロデをキツネと呼んだ?

アヤシイ結婚をしたからか?


『John the Baptist rebuking Herod』
(ヘロデの結婚を非難する洗礼者ヨハネ)
Giovanni Fattori(ジョヴァンニ・ファットーリ)


ヘロデが兄の嫁ヘロデヤを奪った略奪婚がキツネ?

あやしい結婚をすると、なぜキツネになるんだよ?


お前はそんなことも知らんのか?

アヤシイ結婚のことを「狐の嫁入り」と言うんだ。



怪しい結婚を「狐の嫁入り」と呼ぶのも日本だけ…

聖書の世界に、そんな考え方はありません。


それじゃあなぜイエスはヘロデのことを突然「キツネ」と呼んだんだ?

タヌキ野郎でもブタ野郎でもなく、キツネ野郎と…

いきなり人をキツネ呼ばわりするのは、どう考えても変だろ?


イエスはヘロデのことをディスって「キツネ」と言ったのではないのです。

話の展開上、そう呼ぶ必要があったのですね。


どういう意味だ?


イエスは「キツネにこう伝えろ」と言ってから、重要なメッセージを語りました。

その内容が「キツネ」に関係しているのです。


『見よ、わたしは今日も明日も悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。しかし、今日も明日も、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』


このメッセージのどこが「キツネ」と関係あるのですか?


実は『ルカによる福音書』に「キツネ」が出て来るのは、第13章「神の国の宴」が最初ではありません…


え?


『ルカによる福音書』でイエスが最初に「キツネ」の喩えを使うのは…

第9章でのこと…


ルカ第9章?

全身が真っ白になったイエスがモーセとエリヤを従えて宙を舞う「イエスの変容」と、息子が悪霊に取り憑かれて困っていた父親をイエスが助ける「イエスの悪魔祓い」の章か?


『Transfiguration(イエスの変容)』
Raffaello
Santi(ラファエロ・サンティ)


ん? この絵…


どうかしたか?


宙で舞い踊っているようなイエス(全身白)と二人の人間…

そして悪霊に取り憑かれて訳の分からないことを口走る息子を心配する父親…

何だか『雪渡り』っぽい…



ふうむ。確かに似ているな…

とても熱心な念仏衆だった宮澤政次郎からしたら、一心不乱に南無妙法蓮華経の題目を唱える息子賢治は気が狂ったとしか思えなかったはず…

実際に家出前は、そのことで毎日のように言い争いをしていた…



ではルカ第9章に「キツネ」が登場するまでの流れを見て行きましょう。

まず冒頭でイエスは、十二使徒に人を救う特別な能力を授け、2つの指示を出します。

「あまねく世にカントリーロード(神の国)を宣べ伝えよ」

「八紘を旅して人々の病気を治癒せよ」

それから、その際の身支度・心構えを指示します。

「旅のために何も携えるな。杖も袋もパンも銭も持たず、下着も二枚は持つな。宿には泊まらず、困っている人の家に留まれ」

「たとえその地で歓迎されなくても不平不満を態度に出すな」

このイエスの指示に従って、十二使徒はガリラヤから四方八方へと散り、伝道と治癒活動を行いました。


そういえば賢治の『雨にも負けず』って、ルカ第9っぽい…


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


そしてイエスは「五つのパン」と「二ひきの魚」を五千人に分け、その残りクズで「十二の籠」を一杯にするという奇跡を行います。

こうして各地で奇跡が行われ、その噂がガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの耳に次々と入りました。

これを聞いたヘロデは「預言者ヨハネは処刑したはず。まさか生き返ったのか?それとも昔の預言者エリヤが復活したのか?」と恐れます…


いっぽう、数々の奇跡を目の当たりにしたペトロら弟子たちは、イエスの全能感に酔いしれ「イエスは神だ!キリストだ!」と言い始めます。

これを聞いたイエスは、こう釘を刺しました。


9:21 イエスは彼らを戒め、この事を誰にも言うなと命じ、そして言われた、
9:22「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」。
9:23 それから、みんなの者に言われた、「誰でもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
9:24 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。


そして山に行って三人の使徒、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの前で、イエスが白く輝いて宙に舞った「イエスの変容」の奇跡だな。


9:28 これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
9:29 祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。
9:30 すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、
9:31 栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。
9:32 ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立っているふたりの人とを見た。
9:33 このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」

もう気づいていると思いますが、ルカ第9章の構成はそのままイエスのエルサレム入城から最後の晩餐とオリーブ山での逮捕、ゴルゴダの丘での処刑を経て復活するまでのストーリーの予型、ダイジェストになっています。

山頂で行われた「イエスの変容」は、そのままオリーブ山で行われた「ゲッセマネの祈り」…

それに続く「悪霊に取り憑かれた息子」は、そのまま「サタンに取り憑かれたユダ」ですね。



9:42 ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。
9:43 人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。みんなの者がイエスのしておられた数々の事を不思議に思っていると、弟子たちに言われた、
9:44「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。
9:45 しかし、彼らは何のことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。


そして次はいよいよ「エルサレムへの出発」だな。


ええ、そうです。

イエスの言う「キツネ」の喩えが何を意味するのか、よく考えてみましょう。


9:51 さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、
9:52 自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へ入って行き、イエスのために準備をしようとしたところ、
9:53 村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
9:55 イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。
9:56 そして一同は他の村へ行った。
9:57 道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。
9:58 イエスはその人に言われた、「キツネには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕する所がない」。
9:59 また他の人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。
9:60 彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げ広めなさい」。
9:61 またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。
9:62 イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。


なるほど… こういう文脈で「キツネ」が出て来ていたのか…


それにしても、ここでの会話はワケワカメだな。

男A「あなたの行くところへついて行きます」
イエス「キツネには穴があり、空の鳥には巣があり、人の子には枕するところがない」

イエス「わたしに従って来なさい」
男B「その前に死んだ父を墓に葬らなければ…」
イエス「死人のことは死人に任せておけ。あなたは出て行って神の国を伝え広めなさい」

男C「あなたに従いますが、その前に家族に別れを言いに…」
イエス「手を鋤にかけてから後ろを振り返る者は神の国にふさわしくない」


この男ABCって、全部ペトロのことじゃないのかな…


は?


だって「山頂での変容」の場面でも「オリーブ山での祈り」の場面でも、イエスは弟子たちの中から「ペトロ、ヨハネ、ヤコブ」の三人を選んでいるだろ?

そしてこの場面でも、まずヨハネとヤコブが出て来て、イエスを歓迎しない集落は焼き払ってしまいましょうと頓珍漢なことを言い、イエスに戒められる。

つまり、その次に出て来る男とは、ペトロのことだ。


ふうむ…

確かにペトロは最後の晩餐の時、イエスに向かって「あなたの行くところなら、牢獄でも死の世界でも、ついて行きます」と言い、「鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と返されて「?」となっていたな…


そして最後の晩餐・十字架刑から三日目の早朝…

マグダラのマリアが墓を見に行くと、誰かに荒らされて墓穴からイエスの亡骸が消えていていました…

そして白装束を着た謎の二人組が現れ、こう言います…

「なぜ生きた方を死人の中に尋ねているのか。その方はここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなた方にお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」



チャゲアス?


失礼。こちらでした。



マグダラのマリアは走って使徒たちのもとへ行き、この出来事を報告しますが、使徒たちはマリアの妄想だと思って信じませんでした…

しかしペトロだけはこの話が気になり、急いで墓へ向かいます…

そしてペトロは墓穴を覗き込み、イエスの亡骸に巻かれていた亜麻布が残されているのを発見しますが、なぜかそのまま引き返してしまうのです…



なるほど…

つまり3つのメッセージ「キツネには穴があり、空の鳥には巣があり、人の子には枕するところがない」「父を埋葬する必要はない。それよりも神の国を伝え広めよ」「家族に別れを言う必要はない。一度鋤に手をかけたらもう振り向くな」というのは、イエスの復活のことを言っていたということか…

「キツネの穴」とは「鳥の巣」と同様に「墓穴」のことなんだ…


そういうこと。

だから第13章のあの場面でイエスは「キツネ」を出したのです。

これでイエスがヘロデをディスってたわけではないことが、わかったでしょう…


13:29 それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
13:30
 こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。
13:31 ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」
13:32 そこで彼らに言われた、「あのキツネのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしは今日も明日も悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。
13:33 しかし、今日も明日も、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。
13:34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、お前につかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはお前の子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とお前たちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。


「キツネの穴」は「三日目にわざを終える」墓穴…

そして「鳥の巣」は「めんどりが翼の下にひなを集める」と言い換えられていたというわけか…


その通り。

つまり、こういうことですね。



チャゲアス?


チャゲ&飛鳥の歌『ON YOUR MARK』の音楽映画を手掛けたのは宮崎駿とスタジオジブリ…

日本では『耳をすませば』と同時上映で公開されました…



ええっ!?

チャゲアスの音楽映画と『耳をすませば』が同時上映!?

いったい、なぜ?


宮崎駿がASKA君の『モーニングムーン』『はじまりはいつも雨』『SAY YES』『YEAH YEAH YEAH』を気に入ってたから…

という噂を小耳に挟んだことがあります。


適当なこと抜かすな。そんな噂、はじめて聞いたぞ。


噂と言えば、ノーラン君の新作に関する噂も小耳に…

ノーラン君は新作で「ルカー」っと叫んでいるようですね。


ノーランの新作って、クリストファー・ノーランの映画『TENET(テネット)』のことか?

どこで「ルカー」っと叫んでるんだよ?



確かに「ルカー」っと叫んでいますね、カリー・オストロさん。


さすがマダム、わかりましたか。


あの… いったい『TENET』のどこでルカーっと叫んでいるのでしょう?


そもそもあなた方は「TENET」の意味がわかっていないようですね。

「TENET」とは何ですか?


ラテン語の回文パズルですよね?

SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS という5つの単語を正方形に並べると、縦横4方向どこから読んでも同じになり、中央に「TENET」のクロスが出来る。


こうだな。

S A T O R
A R E P O
T E N E T
O P E R A
R O T A S


はっはっは。まんまとノーラン君の術中にハマっていますね(笑)


え?


このラテン語の回文自体には何も意味はないのです。

サトゥルヌス、アレポ、テネット、オペラ、ロータスは、物語の本質とは全く関係のないもの。

つまり、観客にトリックを見破られないようにするための「おとり」、ダミーです。


どういうことだ?


四方向から、そして、最初から読んでも最後から読んでも同じもの…

これのことですね。


13:29 それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
13:30
 こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。


なに!?


『TENET』の物語は、聖書の物語、つまりイエス・キリストの生涯を反転、リバースさせたものなんです。

終わりである「復活」から始まり、始まりである「降誕」で終わる。

これをカモフラージュするために使われたのが「ラテン語の回文」だったというわけですね。

手品師・奇術師というのは、本当のトリックを隠すために、いかにも意味ありげに何かを観客に提示するものなのです。


そんな、馬鹿な…


だから贋作は、あの「ゴヤの絵」だったのです。


『Eagle Hunter(イーグルハンター)』
Francisco de Goya(フランシスコ・デ・ゴヤ)


これは「親ワシの居ない隙に巣穴から雛鳥を盗もうとしている男と、雛鳥のためにウサギを捕まえて巣穴に戻って来る親ワシ」の絵だろ?


いいえ違います。

なぜ空から舞い降りて来た親ワシが「ウサギ」を手にしているのかわかりませんか?


なぜって、雛鳥のエサとして兎を捕まえたからに決まってるだろ?


「ウサギ」とは「復活」のシンボル…

つまりあのウサギは、イエス・キリスト…


ああっ!つまりこういうことか!



ペトロの背後からは、復活したイエスは現れないですよね…


あ、そうか…

つまり、こういうことだ!

空っぽの墓を見てショックを受けているマグダラのマリアの背後から復活したイエスが近づいて来る『ヨハネによる福音書』第20章!



その通りです。

そしてもう1枚の贋作は、ピーテル・パウル・ルーベンスの『入浴する女の習作』…

これは「入浴するバトシェバを覗くダビデ」のことですね。



マジかよ… ノーラン、やべえ…


あの2枚の贋作が意味するのは、NEW TESTAMENT(新約)の「ヨハネによる福音書」と、OLD TESTAMENT(旧約)サムエル記の「ダビデ」…

だからノーラン君は主演に JOHN DAVID WASHINGTON(ジョン・デビッド・ワシントン)を起用したのですね…

『耳をすませば』の「本名陽子」のように…



何だか訳が分からなくなってきた…

いったいこれは何の話なんだ…


すみません。私が余計なことを言ってしまったばかりに。

賢治の『雪渡り』に戻りましょう。


そうだよ。全面的に爺さんが悪い。

こんなんじゃ、いつまでたっても終わりが見えねえ。

尾張名古屋は名ばかりか。


はっはっは。

ダンスフロアーに華やかな光…

『ルカ』と「キツネ」の次は、『法華経』と「キツネ」の話ですね…



à suivre

つ づ く




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