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【目印を見つけるノート】807. お話ができたら読みたい本(27)

職場ではとある乳酸菌飲料が話題になっています。睡眠を改善するということですが、なかなか手に入らない。金曜日、見つけたところでまとめて買ってくるという話になりました。「さわさんは要る?」と聞かれて、「私はこれ以上寝たら三年寝太郎になってしまうので……」と答えたら、一同ドッ🤣
受けました😅
人気者かな😝

徹夜といいつつ、普通に寝てしまった今朝です。
ははははは😨

これは何という花でしょうか

夜中に詩の形式について書きましたが、今日はこちらです。
日本古典文学大系57『謡曲百番』(西野春雄校注 岩波書店)

こちらは現時点で、図書館で借りるしかない本ですね。中古はあると思いますが。
平たくいえば能の台本集です。
小説を書くとき引用することがありますので、いくつかコピーして使わせてもらったことがありますが、通して読んではいません。あと、能に行くとき事前に借りて、本を開きながら観賞したこともあります。『山姥』、『熊野(ゆや)』や『鵺(ぬえ)』ですね。私には必携本と思っていますので、ぜひいつか入手したいです。

能は室町時代に観阿弥、世阿弥親子によって形作られた芸能で、演目は書き物として受け継がれました。この本は江戸時代に著されたものをベースにしています。謡曲(能)は史実や故事伝承に題材を取っていても、そのままではなく、一種のファンタジー(幽玄)に仕立てているのが大きな特徴です。後の歌舞伎は物語として組み直されているものも多いですが、リアルにしているのが対照的かな。
私見です。

二つを比べられるほど通暁していませんが、能は通して詩劇だと考えています。文章だけを見ても言葉が本当に美しい。時代と国は違いますが、能の大成者である世阿弥元清とウィリアム・シェイクスピアには大いに通ずるところがあると思っています。

シェイクスピアの劇は今でもいろいろなところで上演されるのに、能は専門の能楽堂や薪能など特別な場での上演が中心で、ちょっと残念だと思います。

総じて、
日本では古典が重んじられないなと感じています。それが背景にあるのかもしれません。
以前、職場の昼休みにこちらを読んでいました。
『近世物之本江戸作者部類』(曲亭馬琴著 徳田武校注)

この本が面白くて、ときどき吹き出しながら読んでいたのですが、それを見ていたある20代の人に面白いよと言ったところ、「僕、古典ダメなんです」と……。

そうかぁ、古典で十把ひとからげになっちゃうんだな~と思いました。

確かに、この前も書きましたが、策彦周良さんの入明記のように全部漢文でしたらちんぷんかんぷんですし、全時代通して古文書の解読はたいへん。

ただ、馬琴さんは江戸時代でも後期の人で、ディケンズさんと活動期がかぶっています。えーと、スタンダールさん、エドガー・アラン・ポーさんとほぼ同じです。要するに、かなり今に近い人なのです。言葉も分かりやすい。
古典というくくりは同じでも、日本の古典は特に古色蒼然なカテゴリーになっていると思います。
それは、明治以前とそれ以降で日本が劇的に変わったことが理由でしょう。それを肯定も否定もしませんが、時代のものさしを少し変えてみると、また新しい何かが見えるのかもしれません。
あ、そろそろ戻る時間👠
作業作業“〆(^∇゜*)♪

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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