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【目印を見つけるノート】192. 土地のことばを大切にするのは

きのう、スイッチが入ったのでまだ書いています。いまは、福山のことばと熊本のことばを教えてくれる人がいないかなあと思っています。それ以外はたいてい材料が揃いましたね。
「なに欲張ったことを言っとるんじゃいや」
ははは😆自分で突っ込んでいます。


⚫自分のネイティブなことば

私は東京生まれで東京育ちなのですが、実はそう思われないのです。
垢抜けていないということでしょうか。
よく、「出身はどこ?」と聞かれます。

前にタクシーに乗ったとき、運転手さんにそれを聞かれました。
「あ、東京です」
「いや、出身よ」
「あ、親から東京です」
運転手さんは驚き、申し訳なさそうに言いました。
「自分は青森なんですけれど、同郷かと思ったんです」

そうか、イントネーションが近いのかな。父が北海道生まれで多少影響を受けていると思います(父系はたどれば山形)。母は神奈川ですが、たどれば大分と新潟ですね。

その土地のことばというのはもともと興味を持っていました。清水義範さん(作家)の本は面白くてけっこう読みましたが、『蕎麦ときしめん』や『どえりゃあ婿さ』というお話を覚えるぐらい読みました。まくわうり😆
名古屋を諧謔まじりで表現しつつも、愛に溢れているところが好きです。

その流れで津本陽さんの『下天は夢か』を読んだので拍車がかかりました。織田信長の一代記ですが、すごいですよ、全編尾張ことば。津本さんは和歌山のご出身ですので雑賀衆のことなら完全にネイティブだと思いますが、尾張はまた違う。偉そうですが、舌を巻きました。

そこから時間が経って、自分が歴史小説を書こうと思ったとき、登場人物のことばを地でいくことは最初から決めていました。

例えばーーー
「ああ、実によい港である」
「おう、ぶちええ港じゃのう」
「ほう、どえりゃあええ港だで」

極端な例ですとーーー
「シェー!トレビアンなお港ざます」
(赤塚不二夫先生より拝借)

どれも同じ意味ですが、話者のイメージは変わりますね。歴史や時代小説を書かれる方は、どちらかというと地元のことばを使わない場合が多いかもしれません。正確かどうかということに疑問が残るからかもしれませんし、突き詰めると他の地域の方に分かりづらくなるからかもしれません。

ただ、実際に生きていた人を書くときに、できるだけその人となりを描ければいいなと私は思っています。
「生き生きと」するのです。

「自分のことば」を意識するようになったのは、ドーデの『最後の授業』でしょうか。普仏戦争中のアルザス=ロレーヌ地方の学校では、プロイセンの侵攻によって、母国語であるフランス語を教えることを禁じられます。その、フランス語の最後の授業の様子を描いた小説です。これは強烈でした。

ことばはその人のアイデンティティだということで、それは私も同感です。

中世から近世にかけて、ダンテがイタリア・トスカーナのことばで『神曲』を書き、ルターがドイツ語で聖書を訳し、ラブレーがフランス語で『パンタグリュエル物語』を書いたのは画期的なことでした。ラテン語が公式言語で一般の人々がなかなか文字に親しめなかった時代、人々の興味を書物に向けさせたのですから。

と、また話が大きくなってしまいましたが、地域のことばは大切だと私は思っているのです。


⚫お籠りクラフトとばら

きょうはきまぐれで黒いブレードのチョーカーに朱赤のシェルとレッドタイガーアイをぶら下げてみました。ピシッと締まりますね。忍者みたい?



ばらはこんな感じです。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 殿は旗印を誂えたのですね😁

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