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【目印を見つけるノート】1342. 勝海舟と徳富蘇峰の価値観の違いを思う

きのう書いた、掃除中に地図がゾロゾロ……は30どころではなく、70ありました。
大分の地図を見ていて、母方の先祖の地が豊後高田であることに気づきました。豊後大野と間違えていたかもしれない😱😱豊後大野のパンフレットを見て、国東半島でないので何か違うなと思っていたりしたのですが、そういうものなのかなと。
おいおい😅
脳内メモリを更新しました。

井原市木之子(きのこ)小学校というのを見つけました。何て愛らしい名前でしょう🍄

奥多摩の地図も見ていました。1,700m級の山がぽんぽんあって結構な山地です🤔
日原(にっぱら)鍾乳洞に行ったことがありますが、あそこでも標高700mぐらいあるのですね。もっと小さな山に登れる脚力がほしいです。

広いぞ、奥多摩町👀‼️

と、
いちいち発見しつつ片付けをするので、時間はかかりましたが、ひとかたまりにしました。

さて、今日、
『勝海舟と徳富蘇峰が語る明治の時代』という講座に行ってきました。
会場が近いのもよかったです。近くにこのようなハコがあるのを知りませんでした。講師は山王草堂記念館の学芸員・黒崎力弥氏でした。

明治以降、勝海舟のもとに徳富蘇峰が起居していたエピソードをもとに、その暮らしぶりが史料も引きつつ述べられました。蘇峰の弟である蘆花もいっとき居たそうです。
勝海舟と徳冨蘇峰は40年の年の差がありますが、勝海舟の「後進を育てたい」という意思が背景にあったから自邸に若い人を住まわせたと。
そして、時代に対する価値観の相違がのちにあらわになったことが紹介されました。
二人の明治時代に対する印象・評価はまったく異なるものです。
新政府にやや懐疑的な勝海舟と明治を礼賛(絶賛ではなくて礼賛だと感じました)する徳冨蘇峰、いきさつを考えれば自然なのかもしれませんが、考えさせられました。

ざっくりした書き方で、すみません。
知らないことも結構あって、勉強になりましたし、こぼれ話で勝さんの人となりや維新の有名人のお話も複数いただけて楽しかったです。

勝さんは時代の緩衝材のような方だったと私は思っています。
維新のあおりで困った方(武家ですね)の世話をしていたと本で読んだことがありますが、江戸城の無血開城をはじめ、あの時期には「いてもらわなければならない存在」だったと思います。

ときどき、江戸と明治の境目について考えたりするのですが、近代化・西洋化で目覚ましい進展のあった時期です。ただ、何もかもガラリと変えようとして急ぎ過ぎた面は多分にあったと思います。
それに伴って反故にしてしまったものが生じたのは本当に残念なことでした。学問・文化の部分などは特にそうですね。その否定からスタートするというのかな🤔そういうところ。

すぐパキッと答えの出るお題ではないですね。幕末~明治については、「現在にどう繋がっているのか」という視点で今後もいろいろ学んでいきたいと思います。
もちろん小説の構想にも活かしたいです😉

稜線が肉眼で何とか😅の富士山(映らない😭)

明日も講座が全然別の場所(横浜)であります。
たぶん、上記のようなことを考えていた方についての講座です。
さて、どなたでしょう。

話題が変わります。
ライアン・オニールさんの訃報を拝見しました。私は子どもぐらいの年齢なので、リアルタイムではないのですが『Paper Moon』という映画がとても好きです。親子で共演されていました。
ご冥福をお祈りします。

Oscar Peterson『It's Only A Paper Moon』

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 浦沢直樹さんのカット素敵です😊

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