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【目印を見つけるノート】607. 黄昏の面影橋でぎゅっと抱きしめる

こちらは晴れています。
朝方まで風雨が強く、今も風が強い状態が続いています。
咲き始めた背の高いバラが心配で、ああでもない、こうでもないと支えをつけていましたので、寝不足です。

おかげさまで、うちの鞆の浦(バラの名前)はきれいに咲いています。オレンジ色って太陽が濃くなった感じでいいですね。

もうひとつのバラ、ニコルのつぼみも出ています。

これを咲かせたら今年のバラは終わりですね。剪定と、ニコルの方は植え替えもするつもりです。

⚫山吹の乙女

さて、今日は都電(さくらトラム)のひとつの停留所のお話でもしましょう。私も最近まったく乗っていないのですが。
新宿区になりますか、『面影橋』というところです。文京区寄りですね。早稲田大学や学習院大学などが近隣にあって落ち着いた雰囲気です。

ここは、太田道灌ゆかりの場所です。

おおたどうかん、室町時代後期の人で守護代の上杉氏の重臣です。
江戸を日本の中心にしたのは徳川家康ですが、その100年以上前にもとの江戸城を築いた人なのです。都電の沿線の対の側(三ノ輪寄り)の荒川区には道灌山という地名がありました。
室町時代の人としては、東京のベスト有名人かもしれません。

山吹の乙女の逸話がとても有名です。

道灌が鷹狩りの途中、急な雨に降られて困ってしまいました。

今も戸山の辺りに「おとめ山公園」というのがありますが、乙女ではないのです。「徳川将軍の鷹狩り場につき立ち入り禁止」の意味です。一帯の地形は起伏があって崖もありますので、狩りに適していたのでしょう。将軍の、と書きましたが道灌の頃からだったのかもしれませんね。

さて、降られて困った道灌です。
近在の家の戸を叩き、簑を借りようとしました。家の若い娘が応対し、庭に生い茂っていた大きな山吹の花を折って差し出してくれました……とあるけれど、一振りの枝じゃないのかなと私は思っています。いずれにしても、傘になるような大きさではありません。

道灌はきょとんとして礼を言って、濡れ鼠で帰ってきました。
「ああ、きれいな人だったなあ」と後ろ髪を引かれるぐらいの気持ちはあったかもしれません。想像です。

これで話が終わると、読んでいる皆さんもつまらないでしょう。もちろん、続きがあります。

館に帰って家臣らにその話をしました。
「簑を借りようと思ったのだが、この花をくれたのだ。ほれ、わしゃ一寸法師ではないので、これで隠すのは無理だ」
しかし、その話を聞いた家臣の一人が感心して、「ああ、その娘は風雅かつ聡明ですな」と言ったのです。
「なに? いかなる次第ぞ」
家臣は説明しました。
中務卿兼明親王の作った歌に
「七重八重
 花は咲けども山吹の
 実の(蓑)ひとつだに
 なきぞ悲しき」
というのがあること。
それをなぞって、家に蓑がないから山吹しか差し上げられないということだろう。申し訳ないという気持ちを山吹で表したのだと。
 道灌はとほほと肩を落としました。
「それなら、わしは気を利かせて、ありがたいと返歌すればよかった。そうだな、
狩りに立ち 先の富岳や(不学)かき曇り 
濡れるわが身の(簑)いと情けなき」
「ほお、お館さま、なかなか筋がよろしいですな」
家臣は手を叩いて賞賛しましたとさ。

(このやりとりは私のフィクションです©️佐羽)

フィクションは半分で読んでいただいて、道灌はそれから一生懸命和歌の勉強をしたそうです。
可愛いですね😉

それが面影橋の辺りの話だということです。山吹町という地名がありますが、もしや。
もうひとつ、この辺りには戦国時代のことといわれる於戸姫の伝説が残っています。
そちらは、参照のURLをお出しします。悲しいお話です😢
https://www.kanko-shinjuku.jp/spot/kw-%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0/article_325.html

山吹の乙女、於戸姫、おとめ山、戸山、山吹町……狩りを除いても繋がっているような気がしませんか。
そういえば大学の頃、友達女子に引っ張られて夜におとめ山に登ったことがありました。夜は止めた方がいいと思います。

さて、於戸姫伝説の後で面影橋という名がつけられた橋ですが、歌にもなっています。
NSP『面影橋』

70年代の曲調だと思います。懐かしいとおっしゃる方もいらっしゃると思います。私はリアルタイムより後?ですが、ただ、懐かしいだけでは出したくないなあと思いました。

歌の内容は相手がいる女性に焦がれる男性の気持ちです。女性も本当は相手より彼の方が好きなのです。そうでなければ、適当にあしらうでしょうからこのような歌にはならないでしょう。

♪ルールも ともだちも 約束もみんな捨てて きみを ああ このまま 抱いていたい 面影橋で♪

ふたりとも同じ、そのような気持ちなのだと想像します。
今は不倫などはとても厳しい目を向けられますが、どうしてかなあ、この歌のようなピュアな感じがない気もします。
そうですね、自分がそういう立場だったら本気の人のためにきちんと片付けていくでしょうか。想像ですけれど……😅


11月27日、
NSPのメンバー中村貴之さんが逝去されました。
歌っていた天野滋さんも2005年に他界されています。
皆さんが面影橋にまつわるお話、於戸姫伝説をご存じだったか分かりませんが、ご紹介するならそのような部分も複眼的に書きたいと思いました。

心よりご冥福をお祈りします。

尾方佐羽

追伸 吉右衛門さん😢😢😢

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