見出し画像

社会人って言葉に違和感

 よく社会人になっておめでとうとか、立派な社会人として頑張ります!なんて就活生は言っている。変に人を区別するかのような言葉に思える。僕は大学4年にお墓参りで故郷へ帰省した際、遠い親戚から、安定した会社で社会人になれば亡くなったおじいちゃんは安心するよと説教じみた事を言われた。まず安定した企業とかいういかにも団塊世代で一社に勤め上げる風潮を感じ取れたし、社会人という学生と区別するかのような言い回しには、お金を稼ぐ手段として会社員として社畜化へ誘うような洗脳文句らしさを感じた。当時、金を稼ぐ方法なんか、色々あるし何で就職という選択肢しかない人がいるんだろうと疑問に思っていた。親からも一人前になるまでは安心できないとか、ちゃんと就職して子育てうまくいったとか。少し違和感を感じた。
何やかんや学校でも就職先決まった?と言い合う雰囲気の中、いわゆる普通に大学卒業して、普通に会社員になった。そして、普通に残業して、趣味もセーブし、普通に忙しい社会人と化した。つまらない。何の為に就職したのか?お金じゃない、やり甲斐もない、なりたい自分でもない、面白くない、これはまずいと思った。

 世の中の普通っていうのは、普通に大学に行って就職して、結婚して家庭を持って、定年まで勤めて、老後はゆったりとする。

 僕は、会社員になって理想を追えるなら、結婚して幸せなら、普通を選ぶ。しかし、今は結婚なんかして縛られたら人生の選択肢は狭くなる、住む場所も、普段会う人も、仕事も、文化も固定される。人生変えたいと思っても、そこには離婚という選択を迫られる。罪悪感、最悪、子供がいたら親として深い傷を与える。だから結婚なんか人生ある程度方向性が決まってからやるものだと思っている。デキ婚とか恐ろしい話。

 万人に好かれようとか、安定志向のままだときっと普通になる。僕は人生をかけてやりたい事のために、嫌われる勇気を持っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?