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猫のように暮らしてみたい(その13)

脳は勝手に動いてしまうから没頭できる何かを探した。

これはうつ病の初期の頃からやっていたが日記を書いた。

日記は向き不向きがあるかも知れないが
私の場合は友人や愚痴を話せる相手など居なかったので、
日記というより愚痴帳だ。

毎日の縛りはなく書きたいときに書く。

これが何かあると一晩で5ページくらい書く時もあった。

私はいつも聞き役だった。

上から社員のことであれこれ叱責され、
下からは相談という名のクレーム陳情を受け、
うまく橋渡しをしなければと頑張っても
私の言動で何らかの効果があったためしがない。

人は皆自分勝手だと思い知った。

当時はそれでも必死に良い結果を出そうともがいていた。

今考えると滑稽だ。

初めから誰も私に期待してなどいなかったのだ。

頼られていたのではなく単なるはけ口だった。

そしてその私のはけ口が日記だった。

もう長いこと書いているが
何か役立ったのかと問われると、特にない。

読み返すと不愉快になるだけだ。

私は書いたものを読み返すことで
自分を客観的に見る努力をしていた。

そこには自分の感情や薬の効果、
行動パターンなどの情報が蓄積されている。

仕事をしなくなってから記憶力がめっきり落ちて
それこそ昨日何食べたとか思い出せなくなっていたので
最近は体重、血圧、体温、お通じ、食事、天気なども記録している。

日記を書くのはお勧めだが、
色々頭を使って考えてしまっては意味がないので備忘録程度に
その日の気分や体調などを書くといいかも知れない。

ちなみに一番苦しかった頃の日記は引っ越しを期に
すべて捨ててしまった。



それから、ニュースやワイドショーの類を一切見ないようにした。

垂れ流したニュースの情報が目や耳から
知らず知らずのうちに入ってくると、
漠然とした不安感や焦燥感にかられ落ち着かなくなるからだ。

そこで映画を見たり、アニメやドラマの一気見を始めてみた。

これは集中できるし何も考えずにいられる。

ただ難儀なところは集中しすぎてやめ時が分からないことだ。


それから新聞の社説欄をノートに書き写したり、
英文を書き写したり、
般若心経を筆で書いたりした。

1,2時間は当たり前で集中しすぎて気が付いたら6時間位経っていて手が痺れて震えていたことにも気づかなかったこともある。

この書くという作業は私にとってとても重要なプロセスだったと思う。


これに伴い私の興味はその道具、ボールペンやカラーペン、
万年筆といった筆記具、またノートや付箋、クリップなどの
事務用品の沼にはまっていった。

パソコンやスマホで検索したりニュースやSNSの情報をもとに
新作や限定品など大人買い状態だ。

この辺りから私は買い物依存症が始まっていった。



猫は体温調節が苦手な生き物だ。

人間は体から汗を出し気化することで体温を下げる事が出来る。

しかし猫は鼻と肉球からしか汗を出すことができない。

猫の鼻は温度変化に敏感で、そのレーダーのような機能を使って
暖かい場所や涼しい場所を見つけるのだ。

冬になると布団の中に潜り込んだり、
ストーブを点けるとみんなしてその前に並んで暖を取ったりする。

くっついたり並んだりする猫を見ると、気持ちがほっこりする。

夏場の暑い時期になると、お風呂場や洗面台の中に寝転んでいる。

冷たくて気持ちがいい事を分かっているのだ。


自分の鼻にもレーダーがあって
他人の本音と建前が敏感にわかればよかったのになと思う。

                   つづく。。。

今日も読んでくださった方ありがとうございます。


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