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思考を忘れた脳と溢れかえる情報の弊害

なんだかたいそうなタイトルになってしまった。
論文のテーマみたいに大げさだ(笑)
タイトルほど大それた話じゃないので
気楽に読んで欲しい。

何十年か前までは、コンピュータを使う人なんて
そんなに居なかったと思う。
色々な仕事の中の一部の専門職とか研究者とか
限られた人たちが使うものだった。

自分の子供時代に、インターネットや
スマホや動画サイトなんてものはなかった。
だから何かを知りたければ本を読んだり
辞書を引いたり図鑑を調べたりしていた。
あるいは実際にその場所に行って、
空気を吸い匂いを嗅いで景色を見たり
触って確かめたりする。

そうやって思考を働かせたり、
五感を使って感じたりする経験がベースになって、
いかに生きるかといった本質を
作っているのではないかと思う。

簡単に言えばリアルな体験や経験の積み重ねだ。
だけど何だかあっという間に変わってしまった。

パソコンが一気に普及してきて
会社でもパソコンが出来ないと仕事が出来なくなった。
手書きは消え、ほとんどが入力という作業に変わった。
学校でもパソコンを使って授業をしたり、
「提出物はメール添付で」になったりした。
勉強する以前にパソコンのスキルが必須になっていったのだ。
今や出来て当たり前の時代だ。
職場や学校のみならず一般家庭にも
パソコンは普及してきた。
大学などではレポートの作成から提出まで
すべてメールなどでやりとりする所もでてきた。
驚くようなスピードでパソコンは
社会の至る所で使われるようになり、
それに伴ってインターネットが普及していった。

当時の自分は、パソコン?インターネット?
なにそれ状態だったけど、
仕事のために必死で覚えたのを思い出す。
インターネットの仕組みや概念を
理解するのにとても苦労した。

使い始めるとこれは非常に便利な代物だった。
特にインターネットはとても便利で知りたいこと、
探したい物を検索すると、
一発ですらすらと並べて見せる。
時間も手間もかからず、
知識や情報をいくらでも与えてくれる。

それは衝撃的な事だったにも関わらす、
すんなりと仕事の一部になり
プライベートの一部にもなった。

また家庭でもパソコンを持つ人が増えていった。
自然と子供達もパソコンに興味を持ち、
触り、覚えると、大人より早いスピードでパソコン操作と
インターネットの利用が出来るようになっていく。

この辺りから、
パソコン・インターネットは加速度的に変化し、
より使いやすくより速くより手軽に
簡単に操作できるようになった。
通信各社も大容量のデータ受送信出来るように
光ファイバーケーブルを設置して
快適にインターネットが出来るよう整備されていった。

こうして情報化社会は出来上がっていったのだ。

だけど、最近とても不安を感じている。
入ってくる情報が多すぎるのだ。
自分に必要のない情報まで知ることになる。

また情報の真偽は自分で判断しなければならないから、
鵜呑みに出来ない。
SNSなどで直接知らない相手からの誹謗中傷があったり、
常に最新情報に気が向いてしまって、
目の前のことに集中できない。

他人のネット動画を見て、
自分では経験していないのに
やった気になってしまうような錯覚を起こしている。
実際に行っても居ない遠い外国の景色や出来事を
見ることができるのはとてもスゴいことだけど、
自分の五感で感じたものは一つもないのに、
記憶にインプットされる。

自分が生きるために必要な情報だけあればいいのに、
必要のない情報がだらだらとそこら中から溢れ出ている。

このだらだらと流れ出る情報のせいで
脳は処理をするのに忙しく、
「思考」を後回しにしているのではないかと思う。

「思考」のプロセスを実践し、
五感によって認識し情報をインプットする。
これが脳に記憶されるべきで、
自分の軸となり、
生きていくためのスキルなのだと思う。

だけど脳は見たり聞いたりしたものが、
自分の体験でなくてもその場面を切り取って記憶に残す。
その記憶を呼び起こすとまるで自分がやったかのように
思い出されるといった誤作動が起きかねない。

脳とは、自分の器官であるにも関わらず、
誤認したり記憶を歪めたり、
思い出せないように蓋をしたり、
記憶を改ざんしたりねつ造したりするのだ。

インターネットや動画サイトから
流れる映像はあまりにも情報が多く、
もしなければ一生見ることはなかった
であろうことまで見ることになる。

例えば大地震や津波などの災害の中継や、
戦争中の現地映像や難民キャンプなどを見て
PTSDになった子供も大勢いる。
映像を見ただけなのにだ。
これはその恐ろしい出来事が自分に起こったように
脳が認識して起きるのだ。

大人だって同じだ。
犯罪のニュースや恐ろしい映画や
ゲームの世界に夢中になるあまり、
現実との区別があやふやになる。

戦闘や殺戮のシーンを繰り返し見ていたら、
それはゲームと現実を混同する危険があるのだ。

アメリカ映画ではよく退役軍人が
PTSDで苦しむシーンがでてくる。
今日から普通に生活していいですよ
といわれても無理な話だ。
退役後のケアをする施設があればいいのにと思う。

こんな風に自分の脳は、
必ずしも我が身のために働いてくれるわけではないのだ。

この問題は自分が
「情報をどう捉えるか」にかかっている。

自分しか自分のために何が必要か、
必要でないかを決めることはできないのだ。

脳の思考が機能せず、
五感を使ったリアル体験が大幅に減って、
人間は頭も体の感覚もなくなってしまったら、
あと数十年後は一体どうなってしまうのだろう。

パソコンやスマホはただの電子機器だ。
使うのは自分でモノに依存してはいけない。
適度に使えば便利この上ないが、
のめり込むと心身不調になる。

不調は電子機器による電磁波だとか、
画面のブルーライトが良くないとか、
姿勢が悪いせいだとか、
理由は色々でどれも間違ってないと思うけど、
自分が思うのは、
見たものすべてが脳で処理されるため、
脳に負荷がかかり、
他の身体機能へのエネルギーが脳に使われてしまって
体の不調が起きるのではないかと推察する。

最近「デジタルデトックス」という言葉を知った。
一定時間パソコンやスマホから離れて過ごすのだ。
そういう自分もiphoneが傍らにないと
焦って探しまくるタイプだ。(笑)

パソコン、スマホ、テレビ、音楽すらもオフにして
1時間くらいぼんやり過ごすのも悪くないと思う。
余計な情報を詰め込みすぎた脳をリセットして
ちゃんと自分で本を読んだり
旅をしたりする時間を持ちたいものだ。


今日も読んでくださった方ありがとうございます。

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