8月11日 メガネ忘れてますよ。眼鏡市場。
今日は喫茶店が静かでいい。
夏休みなのにも関わらず、どうしてこうも店内が静寂に包まれているのだろうかと考たところ、どうやらお盆らしいのだ。僕には無関係。それは至って世間の出来事なのである。が、しかし成る程。だから今日は、この街全体からインテリジェンスな雰囲気を感じるのだろう。喫茶店に着くまでの自転車での道のりも、なんだろう、スマートって感じだったんだ。その理由は単純明快で、バカが一斉に田舎に帰ったってことらしい。
気持ちが良いですなあ、なんて思いながら目の前のテラス席に目をやるとメガネが落ちていた。今日の出来事ではないことは確かだ。メガネを見失ったまま店を出るなんて阿保は、今頃田舎にいる奴に違いないのである。
馬鹿の残骸である。それにしても「ああ、メガネ、メガネ」というベタベタな状態になってから、最終的に諦めて裸眼で家に帰る人間がこの世にいることに驚いた。どうなったら諦めがつくのだろうか。喫茶店までは、メガネをかけて来たのだろう。テラス席に気取って座ってみたものの、気温は30度を超えていて、全身から汗と後悔が噴き出る。冷房の効いた店内に戻りたいのだが、あ、テラス席暑かったんだな、と周囲の客に思われてしまうことが、どうしても許せない。一般的な感覚の人間だったら、そんなこと誰も気にはしないだろ。と思うものだが、テラス席に座るような人間は過剰なまでの自意識に苛まれているので、そうはいかない。誰しもが自分を見ていると思っているのだ。そんなお前は、最終的に誰も見えなくなってしまうのだから滑稽ったらありゃしないのだけど。顔面から垂れる汗が、紙面に垂れる。これじゃ本がふやけてしまうわ、ってんで、顔を拭こうとバッグからハンカチを取り出し、メガネを外しテーブルの上に置く。ハンカチを取り出すために机の上においたバッグを一度、足元の荷物置きにおこうとバッグを移動させた際、メガネが床に落ちる。バッグを置いて、汗を拭き、目を開けるとメガネがないのである。いや、この時は裸眼なので、メガネがない風なのである。そして、「あ、メガネ、メガネ〜〜」である。誰も笑わない。探しても探しでもメガネがない。メガネがない風なのである。メガネがない風だなあ、から、メガネがないという確信に変わり、メガネがこの辺りにあるかもしれないという事よりも、現時点でメガネをかけていないことが一番の問題になってくる。となると、確実にメガネがある場所へと急ぎたくなる。それは自宅である。
席を立ったのか、本風のものをバッグのようなものにしまったかしまってないかで、バッグを手に取ったかどうか分からぬまま、肩にかけたのかけてないのか、そのまま道風の所を歩き出したかなんかで、自宅のような場所に辿り着き、玄関を開けたり閉めたりで、やっとこさメガネをかける。
視界良好になった訳だから、先程の喫茶店にメガネを拾いに戻る。テラス席に戻ると、先程自分が座っていた椅子の足元にメガネが落ちているではないか。なんだこんな所にと思い、メガネを拾おうと屈んだ時、かけていたメガネが落ちる。「あ、メガネ、メガネ〜〜、あ、メガネ、メガネ〜〜」先程の二倍である。メガネがないこと自体が問題となった頃、彼女は家に戻り、またメガネをかける。2つのメガネを回収しなくてはと、急いで喫茶店に戻り、椅子の足元にメガネ2つを発見、今度はかけているメガネが落ちないよう慎重にかがみ、最初に落とした方のメガネを右手で取った時、左手でかけているメガネを外し床にメガネを置いた、そうか、メガネをかけながらメガネを取るという行為は大抵、眼鏡屋ですることで、連れかなんかがいれば、商品のメガネを手に持った時、今かけている自身のメガネはそいつに持ってもらうなりするが、一人で来た場合は自分のメガネを商品棚に置いてしまうというクセがここでいかんなく発揮されてしまったのである。この喫茶店という今や忌まわしきこの場所で、裸眼になるということに、強い恐怖心を抱いてたので、目の前が「風」になった途端パニックとなりギャッ!!と言って、思わず右手に持っていたメガネを床に落としてしまうのである。そしてまた急いで自宅に戻り、メガネをかけ、喫茶店にはメガネが4つ、5つ、6つ、7、四季は巡り何百ものメガネが喫茶店の前に広がり出し、通りすがりの者達はそれを見て、まるで市場だななんて、呟いたらしい。それが眼鏡市場の始まりとされている風。
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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。