翻弄されている日本企業に役立つヒントはここにある
GAFAだ、DXだ、SDGsだ、ESGだと海外の動きに翻弄されている日本企業に役立つヒントは海外や日本の大手企業ではないところにある。マザーハウス代表である山口絵理子さんもヒントをくれるそのひとりだと思う。
昨日のobanote「日本企業の『看板』とチーズはどこへ消えた?」では、米国経営者が下した「株主第一主義」という「看板」に対して、日本の経営者が掲げてきた「看板」はそもそも何だったのか?を問うた。
そして、Googleが創業時から掲げている「看板」と日本のソニーが今年見直した「看板」を比較した。ソニーの創業時の「看板」も併記して、日本企業が本当に掲げたい「看板」とは何なのか?を問うた。
マザーハウスの山口絵里子さんが先日noteを始めた。
山口さんは当初から「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念(同社ではPhilosophyとしている)を掲げて活動をしている。いわばそれは「看板」だ。旗印と言っても良いかもしれない。
山口さんは自分が信ずる「看板」を掲げ、試行錯誤しながらカオスから道筋を見出し、仲間とともに第3の道を突き進んで行った人だと思う。
途上国という国やそこに住む人たちに対して、日本やいわゆる先進国の多くの人たちが持っていた先入観や固定観念を彼女は持っていなかった。
むしろ違和感を持っていたのだ。
違和感はビジネスを起こす上で非常に重要だ。
多くの人は固定観念、先入観、いわば常識に囚われて違和感を持つことができない。
フェアトレードと言いながら、その商取引が必ずしも「フェア」でないことに彼女は納得できず違和感を持った人だ。
途上国の人たちと先進国の人たちが対等に商取引ができている、その状態を真の「フェア」な状態と捉えていたのだと思う。
その状態を作るために、途上国の人たちが作る製品の品質を上げ、日本の消費者にも受け入れられるよう、デザインも向上させた。
製品の価値を高め、日本や欧米の製品と対等になれる状態を作った。対等の価格で対等の商取引ができる状態を作ったのだ。
特定の時期や場所でイベントとして開催され、一部の顧客に限定的に販売されていたようなフェアトレードの世界を、いつでもより多くの人が普通にお洒落を楽しむために商品を選んで変える、普通の、むしろちょっとお洒落で楽しい世界に変えたと言えるだろう。
徐々にラインアップを広げ、店舗を広げ、製品機能も向上させながら、ストーリーを加え、世界観とともに日本の消費者へ、さらには世界の消費者へ届けようとしている。
翻って、日本の大手企業はどうだろうか?
欧米のトレンドに左右されて終わってしまってはいないか?
学ぶ対象を世界にもつことは大切だが学ぶ対象は欧米だけではない。さらに言えば、欧米を常に先生と仰ぎ見てそれに追随or模倣していてはイノベーションは生まれない。
経営の「軸」(自分軸)もぶれてしまう。他社を含む外部環境の変化に翻弄され続けるだけだ。
先日のobanote(変われない会社とロックと民謡)にも書いたが、答えは「内」にある。
山口さんはしなやかで素敵な女性であり、ロックとは言いにくいが、内に秘めた静かな想いは深くて強い、非常に行動力のある人だと思う。
山口さんは「内」にあった違和感を基に「看板」を掲げた。そこには腹落ちしたコンセプトとストーリーがある。
優秀な人財は「腹落ちした言葉」とそれを「体現する人」の下に「共鳴」と「呼応」によって集まる。
山口さんをそれを実現させた人と言えるだろう。
山口さんは「社会起業家」と呼ばれることにも違和感を感じている。山口さんならそこに違和感をもつのは当然だと思う。
社会の課題を解決する起業家を社会起業家と呼ぶようになってから10年は経過しただろうか?
そもそも企業は何のために存在するのか?
社会とは何なのか?社会貢献とは何なのか?
時代の変化、社会の変化に対応できなくなっている企業も多いが、本来、企業は本業を通じて社会の課題を解決できる/解決してきたはずだ。
今は本質が問われる時代だ。
外部環境に翻弄されずにもう一度自らに深く問うことが求められている。
掲げたい「看板」は何か?それはなぜか?
内に秘めた静かな強い想いや熱量のない企業に優秀な人財が集まることはないだろう。
謙虚な気持ちで「自らに問う力」と「看板」を掲げて「世に問う力」が求められている。そこには対話が必要だ。
自己との対話、他者との対話。
個々の企業はどこに「第3の道─サードウェイ(Third Way)」を見出すだろうか?
歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。