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「お客さんの役に立とうとしないこと」を大事にしています


自分の対話を商品としてお客さんに提供する時に、「お客さんの役に立とうとしないこと」を大事にしています。


「役に立とうとしない」というのは具体的にいうと、お客さんがして欲しそうなことを先回りしてしてあげたり、自分の感情を抑えてお客さんのことを優先したり、価格を安くしたり、高い技術を身につけるために勉強したりすることです。


コーチやカウンセラーなどの「人の話を聞く仕事」をしている人にこんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、僕はいたって大真面目です。感覚的に受け入れられないかもしれないけど、「役に立とう」という気持ちが実際に相手の役に立つとは限りません。


僕なりに試行錯誤をした結果、「役に立とうとしない」は対話を商売にする上では大事な感覚だと判断しています。


何を言っているんだこいつは。今日は賛否両論のテーマを深掘りします。もやもやざわざわしていい人だけお付き合いください。



僕は誰よりも「対話を売る」ことに真剣です。生活がかかっているので…



本題に入る前に、前提として僕は自分の対話をサービスにして販売し、生計を立てている6年目のライフコーチです。


東京で起業して、知り合いのツテというツテを使ってコーチングビジネスを成立させ、消滅させ、アルバイトをしながら情報発信を使って再起した経験があります。


現在は地元の地方都市でのんびり妻と子と3人で暮らしています。妻は妊娠を機に仕事を辞めましたので、一家の収入は全て僕が稼いでくる「対話をサービスにして売ったお金」が全てです。(正確にはnoteの売上などもあるので全てが対話というわけではありませんが)


なので、僕はこの分野に関して人よりも深く語ることができると勝手に自負しています。生活がかかっているので…


本題に入ります。対話で飯を食っているのに「お客さんの役に立とうとしない」のはなぜか。


「できるもんなら独立したいよ」が大前提にあるとして、話を進めます



これは僕の主観でしかありませんが、ほとんどのコーチやカウンセラーさんたちは大前提として「対話でお客さんの役に立ちたい」という強い気持ちを持っているように見受けられます。


そのために学習や自己投資、実践を積み、その中の一握りの人が対話を仕事として成立させることができ、その中のさらに一握りの人が「対話を自社サービスとして販売して生計を立てている」現状があります。


もちろん自社サービスを売ること(つまりフリーとして指名されて活動すること)だけが対話商売ではありません。ただ僕の意見として、最終的に独立して自分の看板を持たないとこの商売で豊かになることは難しいと考えていて。


対話を専門とする人材として企業に就職できたとしてもそこで消耗する人はたくさんいて、なぜ消耗してしまうのかを考えると本が2冊書けてしまうのでここでは端折りますが、多くの対話師たちは「独立できるもんなら独立したいよ」と考えているという前提を勝手に想定して話を進めます。


なので、「いやいや別に独立したいとかそういうのじゃないんだけど」と思う人はここで離脱お願いします。次の行を読んだ時点でブーブー言うのはナシですよ??OK???僕は今からふざけたことを言いますよ??真面目な人は残ってないよね???それでは続けていきましょう。


ねこはかわいいので、かわいくあるための何かをしない


もちろん僕も「対話でお客さんの役に立ちたい」とは思っています。うーん、思っているといえば語弊があるかもしれない。「対話はお客さんの役に立つ」と心から信じているので、正確には「役に立ちたい」とは思っていません。役に立って当たり前だから。


猫はすでにどうしようもなくかわいいので、かわいくあるための何かをしません。猫はかわいいから。これと同じロジックです。


対話が生む価値というのは僕が頑張って何かをしようがしなからろうが確かにそこにあるもので、というかそもそも「僕と僕と話したい人の2人が揃った時点で、価値のない対話になるわけがない」と思っているので、対話が成立した時点でどうしようもなく価値はそこに存在するはずなんです。


そこに価値があるのだとしたら、今更追加で何かする必要があるでしょうか?ふざけてるかな…でも「ふざけてる!」と言いたくなるどんな人よりも僕は真剣なんです。何度も言いますけど生活がかかってますから…


そもそも対話の価値って何で決まるんでしょうか。考えれば考えるほどわからなくなる哲学的なテーマではあるのですが、僕は対話師である以前に商売人なのでこれだけは言えます。


対話の価値を決めるのは提供者のあなたではない


価値があったかどうかを決めるのは売る側ではなく買う側です。お客さん。


こちら側が決められることではないのです。お客さんにとって価値があるなら買われるし、なければ買われない。


だから対話の価値を高めようと思うと、サービス提供側にできることは「思いつくありとあらゆることをやってみて、その結果どうなるのかを検証して改善し続ける」ということだけだと僕は考えています。


僕は2017年に独立してから6年間、この仮説検証をとにかくやり続けてきました。


実際にお客さんを目の前にした対話の試行錯誤ももちろんそうですし、対話以前のお客さんとの出会い方、お金の話をするタイミング、契約の有無、金額、セッションの流れ、会う場所、SNSでのやり取り、情報発信。ありとあらゆる仮説検証は一つの答えを導いてくれました。


それが今日の「お客さんの役に立とうとしないこと」です。どういうことか?もう少し深堀りしていきます。


「何を話すか」ではなく「誰と」「どんな関係値の上で」が重要



これは試行錯誤の範囲内でしかない話なので真に受けないで欲しいんですけど、対話の価値って「何を話すか」とか「どう話すか」で決まらないんじゃないかっていうのが、僕の持っている仮説で。


「あの人がくれた何年も前の一言がまだ胸に残っている」みたいな思い出のひとつやふたつ、誰にでもあるじゃないですか。対話で価値を生む究極体ってこれだと思うんですよ。


たった一言に誰かの人生を変えうるエネルギーを乗せる。この現象を紐解いていくと、「あの人が何を言ったか」よりも「あの人があなたにとってどういう関係性であったか」の方が大事だと思うんですよね。


この感覚を人に説明するときにいつも引き合いに出すのが、ワンピースでサンジが長い時間を過ごした『バラティエ』(船型のレストラン)を旅立つときの話です。有名なシーンなので知っている人も多いでしょう。知らない人はなんとなく雰囲気を感じ取ってもらえれば…



ゼフの「おいサンジ かぜひくなよ」は2人の9年間が全て詰まったような一言だった



集英社:ジャンプコミックス「ワンピース」より引用


「おいサンジ カゼひくなよ」たった2行のセリフが強がりなサンジを号泣させたのは、これまでの2人の関係性が伏線になっていて、この言葉に「言葉以上の重み」が乗っているからです。


ゼフはこのとき以外に一度もサンジのことを名前で呼んだことはありませんでした。そしてサンジもゼフのことを「クソジジイ」と呼んでおり、お互いが名前で呼びあったのはこのシーンだけ。名シーンです。痺れる。


僕はこのシーンのゼフのセリフこそ、対話師が目指す「価値の生み方」だと思っているんです。関係性があって、その上に言葉をやりとりするから価値が生まれる。


だから僕は「関係性のない相手との間で価値を生む技術」と自分がやっていることは違うものだと認識しています。「誰に対しても効果的なセッションができる技術」を持つ人のことをプロフェッショナルなコーチというのであれば、僕はアマチュアです。


「大勢の人の役に立てるスキル」と「特定の人に深く価値を提供できる力」は似ているようで全く別の技能です。どちらがいい悪いというはなしではありません。



僕が採用している対話で価値を生むロジックは、「価値を生むためには対話の内容うんぬんではなく、それ以前の関係性をどう作るかが勝負」ということなのです。


この考え方はきっと独立して生計を立てるタイプの対話師ならではの考え方というか、一般的な「専門家のもとに困った人が来て対話を通して価値提供する」という構造の話ではないので、注意が必要です。




職業系対話師と独立系対話師の違い



僕たち独立系の対話師(集客から販売までぜんぶ自分でやるタイプの人)には「誰と話して誰と話さないかを自分で決められる」という特性があります。誤解を恐れずにいうなら「お客さんを選べる」ということです。


「目の前の困った人を救えてこそプロじゃないのか?」と考える人もいるかもしれませんが、独立して身を立てるということは「どこで提供してどこで提供しないか」を見極めることが全ての世界なので、あくまで独立して生きていくならという前提の上でということを頭の片隅に置いておいてほしいです。


「誰に提供するかを選ぶ」というのは「対話のプロフェッショナルとして雇われることしか食っていく方法はない」と考えている人には見えない道です。たったこれだけの違いで「対話で価値を生む」という前提が大きく変わってくるからです。


前提に「お客さん(対話を提供する相手)を選べない」という状況があるとするのなら、価値を生む方法は「技術を高める」「お客さんが喜ぶことをする」になってくるのは当然です。


ですがその前提が覆され、「お客さんを選んでいい」のだとしたら、「自分が価値を生めるお客さんと出会う」ことにコミットしたほうがトータルで大きな価値を生めると思いませんか?


ここでようやく今日の本題である「お客さんの役に立とうとしない」というところに帰ってきます。




目の前の人に価値提供しようとするあまり、その後ろで待っている「本当にあなたと話したいお客さん」を見逃す


お客さんの役に立とうとする行為はつまり「目の前のお客さんに合わせて自分を変容させる」ということになります。


僕が提言しているのは「自分を変容させず、自分が大きな価値を生めるお客さんを見つける」ということなのです。


目の前の人に自分を合わせてしまっては、今後出会うはずの「もっと自分と相性がいい人」との出会いを遠ざけてしまうので、等身大の自分を越えて貢献してしまうことは「提供する価値の総量を増やす」という大きな視点で見ると損失なのです。




ありのまま貢献できる人に見つけてもらうために、自分をありのままの状態に保つ努力をする



ですから僕は「ありのままの自分で貢献できる人を探す」というスタイルを一貫して取り続けています。自分が自分と繋がるというか、自然体でいることに多くのエネルギーを割いています。


生活リズムを整えること、思考を文字化すること、家庭内の関係を良好にすること。全てが回り回って僕の書く文章や発信に還元され、アウトプットを見て僕のところにきてくれた人と取引をする。


この流れを採用してから、「お客さんの役に立とう」という意識が一切ありません。「今の自分の対話を必要としてくれる人が勝手に寄ってきて、勝手に価値を感じてくれる」という感覚です。


「そんな風に自分をありのまま発信しても、仕事に繋がらなかったらどうするんだ?」と思う人もいるかもしれませんが、そのとおりです。僕のやっていることは仕事に繋がらないかもしれないんです。でもですね、ぶっちゃけそれでいいんですよ。お金が発生しようとしなからろうと、こんな生き方がしたくて起業したんだから。


「信じてくれ」としか言いようがないし、これを読んでくれているあなたに当てはまるかどうかはまったくわかりませんが、少なくとも僕の生きている狭い世界では、「自分のことを赤裸々に、ありのまま、フォロワーが減り続けることなんて一切お構いなしに、ただただ本音を書き続ける」ことが、一番儲けに繋がったりするんです。


「繋がるんじゃねえか…?」という大胆な仮説をもとに検証していった結果、実際に繋がってるんだからもうどうしようもない。


とどのつまり、赤裸々に生きて、赤裸々に書いて、勝手に集まってくる人からお金をもらって対話を提供すれば、儲かるんですよ。不思議ですよね。みんな「目の前の人を満足させられたら儲かる」と信じているのに。そのために時間もお金もかけて一生懸命勉強しているのに。逆なんです。目の前の人を満足させようと必死になるから儲からないんです。僕も感覚的には「目の前の人を満足させる力をつけよう」派なんですけどね。不思議ですよね…


いろんなものを賭けて集めてきたデータも「自分を曝け出せ、その上で集まってきた人相手に商売をしろ、役に立とうとするな」と言っているので、僕も仕方なくそうしているだけなんですね…



書くことは最高の自己投資である。理想の仕事は作れるわ、書けば書くほど上手になるわ…



もし仕事に繋がらなかったら?いいですそれでも。家族3人仲良く路頭に迷いますよ。その時はね。鋼の錬金術師も言っていたじゃないですか。「何かの犠牲なしに何かを得ることはできない」って。



僕は膨大な時間を無駄にして、家族を路頭に迷わせてしまうリスクを負って、この「自分らしくありのまま貢献できる人とだけ出会い取引をする」というスタイルを成立させています。


今思えば激しいことやってますけど、このスタイルが最適解なんですよね。今手に入っている生活に比べたら、書いたブログが徒労に終わることなんて安いリスク。そもそも書いている時点で楽しいし、基本的に書けば書くほど上手になるんですから。書く時間は最高の自己投資である。



まとめに入ります。僕は対話をサービスにして商売をするときに、「お客さんの役に立とう」とは思っていません。「ありのままの自分で役に立てる人を探そう」と思っています。


そして僕は持てるリソースの大部分を「自分が自分らしくいること」に割いていて、その上で感じたことをアウトプットして発信をしています。


そうするとTwitterのフォロワーなんかは日々減り続けるわけなんですが、「ありのままのなおとさんが欲しいです!」と言ってくれる人がきてくれるんじゃないかと思って、家族3人仲良く路頭に迷うリスクを負った上で、自己表現をしています。


今のところ、ちゃんと仕事になっています。不思議ですね。こんなの学校で教えてくれなかった。あ、そういえばこの間見ていた動画で厚切りジェイソンさんがこんなことを言ってました。


「日本の人はすぐ『学校で教えてくれなかった!』っていうけれど、学校教育に期待しすぎだよ!!知りたいことは自分で調べて勉強しないと!!!ワイジャパニーズピーポー!!!だよ本当に」


信じるか信じないかはあなた次第です。感想や記事を読んでのアウトプットは公式LINEまで送ってください。今日の話は以上です。


追伸


僕の文章を読んで遠方から会いにきてくれる人がたくさんいて、その人たちと森を歩いたりおしゃれなカフェでコーヒーをがぶ飲みすることが、今の僕の仕事になっています。こんなにありがたいことはねえ。


ダイジェスト動画を貼っておくので、興味がある人はぜひ見てみて下さい。それではまた。









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