随時更新oage

ジル・ドゥルーズ関連の解説本と、その他の随時更新

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マガジン

  • 『意識のスペクトラム』 の読解メモ

    ジブン用の英文The Spectrum of Consciousnessのメモ

  • 『一生モノの英文法』

    英文法の勉強メモ

  • 『内在の哲学』の注釈集

最近の記事

認識の2つの様式〜意識のスペクトラム

内容感想 認識には二つのモードがある。知性による認識(左脳)、直観による認識(右脳)、カントで言えば、悟性と実践理性か(まだ勉強中)、二つのモードは、分離されているので、禅が示す実在のモードはつかめない、分離したまま、それがデカルト以来の思考である。 著者は、左脳と右脳の思考が喧嘩してもダメ、意識はスペクトラムで、グラデーションなのだと。唯物論は唯心論を責め、自分の正当性を主張するが、全部、スペクトラムの一端である。したがって、意識を部分で見るのではなく、スペクトラム、帯で見

    • 西田幾多郎、ラカン、英語

      2023年7月に書いたもの(中断)、今は2024年3月31日1:40だが。8ヶ月経過している。この頃、読んでいた。その後、ユングを読んだ(『アイオーン』及び英国解説本、リズグリーン、マギーバイトなど)。 今は高校英語だが。英語は、ラカンの象徴界。ラカンの解説本を読んでいる。初めて読むラカンなど、その著者が書いたラカン辞典など。シニフィアンとか。 そう言えば、下記の西田の自己も、何やら華厳やらの3界、ラカンの3界やらと発展というか、層がある。3/31/24日1:40 1 

      • No.2 カントの認識論とコンピュータ

        4. ロボマインド・プロジェクトとカントの認識論 最近、カントの解説書(御子柴善之『カント純粋理性批判 シリーズ世界の思想』)を読んでいる。知覚の予料やら、カテゴリー概念のところを読んでいる。アンチノミーの部分はまだよくわからない。しかし、物自体の世界を、我々人間が、感性を通じて受容し、悟性を通じて、バラバラな知覚を合成し、統合して、一つの認識にしていく、そのメカニズムをよくもまあ、『純粋理性批判』にまとめたものだと思う。デカルトの『世界論』をチラ見したが、デカルトも、我

        • No.1 近位項と遠位項と、両義性としての魔性、意識の高次化の旅(1〜4)

          1 両義性としての「魔性」 🚶 栗本慎一郎氏の『経済人類学』(東洋経済新報社)の後半に、ユングの錬金術やら、魔性についての議論がある。この魔性は柄谷行人氏の『力と交換様式』(岩波書店)の「物神性」も連想させる。あるいは、行き過ぎた意識に対する無意識の補償作用も(ストー『エッセンシャル・ユング』創元社)「第5章タイプ論とこころの自己調整」)。 🙇 栗本慎一郎氏は、魔性を両義性と言い換えている。柄谷氏の「物神性」は、切迫したものとして到来する。商品は貨幣を恋い慕う。しかし、「

        認識の2つの様式〜意識のスペクトラム

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        • 『意識のスペクトラム』 の読解メモ
          8本
        • 『一生モノの英文法』
          1本
        • 『内在の哲学』の注釈集
          8本

        記事

          異国語から学ぶ 5〜

          6 英文を読む習慣がまだ不足している 以下は、哲学者飲む三木清が語学について書いたものだ。私には語学の力は、まだ不十分だが、却って語学が一つの教養になってる。 例えば、以下の英文で、躓いたのは、①feel+目的語+doingと、②get+形容詞(過去分詞)だ。 ここで、gettingは、準動詞句であるが、getは、暗くなる(get dark)のgetであり、is darkと同じ。 tie upは、tieは縛るの自動詞だが、upという副詞がくっつき、tie upという句動

          異国語から学ぶ 5〜

          異国語から学ぶ 1〜4

          異国語と言っても英語であるが。学ぶべき時に学んでいなかったので、今さらながら、勉強しても追いつかない。他方、形容詞は動詞を過去形にしてもOKなんだな、とか。これを当たり前に使いこなす人は凄いとか。高校の総合参考書クラウンでも良いが、完璧に頭に入っていれば凄いとも。『ブヴァールとペキュシェ』(遺作)をだな完成させるのが先か、自分が死ぬのが先か、そんな2択の思案をジョルジュ・サンドへ書き送ったフローベールだが。それは私の異国語、英語学習についても同様だ。 4 日付のない日記 u

          異国語から学ぶ 1〜4

          「意識のスペクトラム」で、英文購読

          其の1.  「意識のスペクトラム」という本について この本は、半年以上前から毎日読んでいるがあり、遅々として進まない。一言一句読んでるためか。 「意識のスペクトラム」というタイトルにあるように、意識は、光と同じように、紫外線やら可視光線やら波長がある。ある光の波長は、人間に見えるが、見えない光もある。キューリー婦人と、別の学者は、お互いの波長の正当性を争っていたが、大きな波長の帯域の中では、お互い、ここ、あそこで争うが、どっちも同じ大きな波長の一つにほかならない。 それ

          「意識のスペクトラム」で、英文購読

          途中ながら、結合、イノベ、等級

          1. 等級asの驚き 特に思いもないが、一生英文法という本に拘り続けてるが、少し前は、等級、つまりas、asを再読。ポールよりは背が高い。thanが入る。しかし、私があれと感じたのは、asは等級という事実だ。asの後ろにくる単語は、asの前にある単語と等級、いわば同じだということだ。どうでも良いことだが、ロカンタン氏(サルトルの小説『嘔吐』の主人公)がマロニエの樹木を見ながら、存在の偶然性を感じた、普通のマロニエの樹木が、猥雑な塊に見えて、マロニエという意味がなくなってしま

          途中ながら、結合、イノベ、等級

          自己意識の発生、読書メモ

          ◆2 思考は、対象のみを捉えるが。 思考やら熟考は、それを思う対象objectは明らかにするが、自分sujectは明らかにしてくれない。 The man who contemplates is "absorbed" by what he contemplates; the "knowing subject" "loses" himself in the object that is known. Contemplation reveals the object, not

          自己意識の発生、読書メモ

          1Q84とクオリア、シュタイナー「思考」、カント「物自体」、ドゥルーズ「超越論的経験論」、ベルグソン「イマージュ」

          ◇4 『意識に直接与えられたものについての試論』 3/17/23金から、読み始める。言語や空間は、実用的な生にとっては重要である、とのベルグソン的なテーマが浮き彫りにされている。 これが次の『物質と記憶』『創造的進化』、そしてドゥルーズでもトーンが落ちる『道徳と宗教の二源泉』へと向かう。しかし、ここがドゥルーズの言う「超越論的経験論」の領野であると思う。しかし、まだ、そのどれもが最後まで読みきれず、全容は分からない。 ケン・ギルバートやロボマインド、その他諸々の著作にと

          1Q84とクオリア、シュタイナー「思考」、カント「物自体」、ドゥルーズ「超越論的経験論」、ベルグソン「イマージュ」

          仮定法現在の原型be

          ◆67 If there be any truth at all to the Spectrum of Consciousness and to the great metaphysical traditions that subscribe to its major theme, then it immediately becomes obvious that each of the differing schools of psychotherapy—East and W

          仮定法現在の原型be

          死の淵の病床の中で、アントニオ猪木は、猪木寛治として、悟りがあるのか否か、そうして、自分の死とどう向き合い、対応したものかとインタビューに応える。悟りがない、と思えば、その実在は薄らいで行く。あとはあと数ヶ月に迫る自分の死にどう付き合うのか、その解決できない思案だ。

          死の淵の病床の中で、アントニオ猪木は、猪木寛治として、悟りがあるのか否か、そうして、自分の死とどう向き合い、対応したものかとインタビューに応える。悟りがない、と思えば、その実在は薄らいで行く。あとはあと数ヶ月に迫る自分の死にどう付き合うのか、その解決できない思案だ。

          意識のスペクトラム

          「心の水準」と「即非の論理」 以下は、「心の水準(the Level of Mind)」のついての議論であるが、「心の水準」は、意識のスペクトラム全域を捉えたものであろう。「心の水準」は、パラドクスや矛盾律等の餌食(prey)にさらされる。ケン・ウィルバーによれば、「心の水準」は意識化の自我とは異なる水準にあるので、西欧的思考では矛盾に陥る事になる。「心の水準」は、思うに鈴木大拙の「即非の論理」の考え方に近い心の状態を指していると思う。 下記②では言葉の網を抜けるとある(

          意識のスペクトラム

          金の兌換停止により、交換価値と使用価値の関係は終焉手法、純粋な流通へ。これが「価値の構造的革命」か。シュミレーションの段階だとボードリヤールは言うが、今のシステムは、等価性の原理じゃなく、不確定性の死の上に構築されてると(注釈1)。同じ頃、一般的原理をフラーは強調。類似性あるか?

          金の兌換停止により、交換価値と使用価値の関係は終焉手法、純粋な流通へ。これが「価値の構造的革命」か。シュミレーションの段階だとボードリヤールは言うが、今のシステムは、等価性の原理じゃなく、不確定性の死の上に構築されてると(注釈1)。同じ頃、一般的原理をフラーは強調。類似性あるか?

          ブロークはサドスクカヤに対する愛の手紙や彼女に当ての詩に、君の呼称に大文字を使い。しかし別れの時になると、大文字の君が、小文字に変わり、素っ気なくなる。心理的な距離感が文字に現れる。ブロークは、この大文字を次の恋の相手に使う。更にこうした文字の操作が詩学そのものへの手法へ向かう。

          ブロークはサドスクカヤに対する愛の手紙や彼女に当ての詩に、君の呼称に大文字を使い。しかし別れの時になると、大文字の君が、小文字に変わり、素っ気なくなる。心理的な距離感が文字に現れる。ブロークは、この大文字を次の恋の相手に使う。更にこうした文字の操作が詩学そのものへの手法へ向かう。

          しかしバックミンスター・フラーは、ボードリヤールやらドゥルーズやらと関わりなかったとしても、同時代の雰囲気の中で生きていたはずだ。異なる視点を横断するとき、自分が生きてきた領域とは異なる世界を見る事ができる。それが例えば野中郁次郎氏の経営領域からいうメタファーなのかも知れない。

          しかしバックミンスター・フラーは、ボードリヤールやらドゥルーズやらと関わりなかったとしても、同時代の雰囲気の中で生きていたはずだ。異なる視点を横断するとき、自分が生きてきた領域とは異なる世界を見る事ができる。それが例えば野中郁次郎氏の経営領域からいうメタファーなのかも知れない。