見出し画像

異国語から学ぶ 5〜

6 英文を読む習慣がまだ不足している

以下は、哲学者飲む三木清が語学について書いたものだ。私には語学の力は、まだ不十分だが、却って語学が一つの教養になってる。

原書を読むには語学の力がなければならないが、その語学というものも決して手段に過ぎないようなものではなく、却って語学そのものが一つの重要な教養である。(途中省略)

三木清、如何に読書すべきか

例えば、以下の英文で、躓いたのは、①feel+目的語+doingと、②get+形容詞(過去分詞)だ。

Dr. Johnson felt himself getting tied up in argument over Bishop Berkeley's sophistry. (圧縮)

Ken Wilber, The Spectrum of Consciousness

ここで、gettingは、準動詞句であるが、getは、暗くなる(get dark)のgetであり、is darkと同じ。
tie upは、tieは縛るの自動詞だが、upという副詞がくっつき、tie upという句動詞なのだろうか。

バークレーの詭弁性(sophistry)の議論に、タイアップさせされている、結ばれて固定されいている、要するに、その議論に巻き込まれている、そのことを感じる、ということになる。
ただ、一つの文章を読むのに、時間がかかるので、他の読書を減らすか、ちょこちょこ英文を読む習慣を作るしかない。三木清も同じように、読書の習慣を説いている。英文の読書も同じだろう。

先ず大切なことは読書の習慣を作るということである。他の場合と同じように、ここでも習慣が必要である。習慣が実に多くのことを為すのである。読書の習慣を養うには閑暇を見出すことに努めなければならぬ。そして人生において閑暇は見出そうとさえすれば何処にでもあるものだ。朝出掛ける前の半時間、夜眠る前の一時間、読書のための時間を作ろうと思えば何時でもできる。

三木清、如何に読書すべきか

まだ不足している。
8/9/23水


5 自動詞figureと認識・存在の二元論

figureは、文字通り、フィギュア。ガチャで売ってるフィギュア。数、数字、重要な人物ともある。自動詞では、重要な位置を占める。現れる、ともある。物質として、見えるものとして、それ故に現れる、という動詞の意味になるのか。

従って、
Figuring in the epistemological dualism of subject vs. object
は、主観vs客観の認識論的二元論に現れるのは(figuring in)は、とも訳せる。

全文は、
Figuring in the epistemological dualism of subject vs. object was the parallel but ontological dualism of spirit vs. matter, or mental vs. material.

趣旨は、主観vs客観の認識の二元論は、並行的だが、精神vs物質という存在の二元論である。

以上で迷ったのは、分詞構文figureと、parallelハヤミ形容詞だということ。

主観と客観に認識を分けたことで、存在もパラレルに精神と物質に分かれる事になったのか、ということになる。