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『内在の哲学』の注釈集

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近藤和敬『〈内在の哲学〉へ』

随時更新 11/29/20(日) 5.4つのイデアの「共立可能性」著者は、バディウの著作を頼りに…

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『〈内在の哲学〉へ』を読み終える

昨年8月から読み始めた『<内在の哲学>へ』を読み終える。年末には半分くらいまでしか読み進め…

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カヴァイエスは数学者の経験を説明をしていく。上場企業の評価では、取締役の経験だろうか。彼らは業績をつくるビジネスをイメージする。一方で、そうした経営者が帰属する企業の業績を予測するアナリストがいる。さらに長期投資家がいる。これらの人と数学者と哲学者、さらに小説家はどう違うのか。

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概念の定義が幾何学の本質であり、定義の証明が操作にあたるのか。操作こそがカヴァイエスの概念の哲学か。これにより、第2種認識がもたらされる。「スピノザの定義論とカヴァイエスの概念の哲学」

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概念の哲学=操作がもたらすのは、カオスへのタッチなのか。「無の変化可能性」「無限速度」「無色かつ沈黙の無の不動性」とある(哲学とは何か)。カオスは「無尽蔵な規則が引き起こす問題」と(カヴァイエス操作概念)。「概念創設の可能性」とも(数学的経験の哲学)。同じ事を言っているか。

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真理の実在論的解釈では、真理の本質を「概念」によって把握されると同時に「概念」によって他なるものとして疎外されるような「無尽蔵」な「規則」が引き起こす「問題」に求めるとある。それは真理を自己超克的に生成のプロセスとして捉えることである(内在哲学:P 224)。

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内在の哲学でドゥルーズが木こりの行為をなぞりながら、木こりも存在と、きこりが自らつくるものは、分離しているのではなく、木こりは、その樹が問いかける何かに応えて、木こりをつくりあげる。そのこととセザンヌで前田氏が書いていたこと、萩原朔太郎が詩の序説で書いていたことは同期化している。

「操作」を通じた「外部性」との接触

真理の本質は、無尽蔵な規則が引き起こす自己超克的生成プロセス 真理の本質には、観念論的解…

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