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異国語から学ぶ 1〜4

異国語と言っても英語であるが。学ぶべき時に学んでいなかったので、今さらながら、勉強しても追いつかない。他方、形容詞は動詞を過去形にしてもOKなんだな、とか。これを当たり前に使いこなす人は凄いとか。高校の総合参考書クラウンでも良いが、完璧に頭に入っていれば凄いとも。『ブヴァールとペキュシェ』(遺作)をだな完成させるのが先か、自分が死ぬのが先か、そんな2択の思案をジョルジュ・サンドへ書き送ったフローベールだが。それは私の異国語、英語学習についても同様だ。

4 日付のない日記 undated diary

何だか、英文を読むたびに、毎回分からなくなる。文法が気になり、復習する。その度に、学びはあるのだが。

例えば、undatedは、dateという動詞を否定し、undateとして、それを過去形にすることで形容詞化させて、日付がない、という意味になる。形容詞なので、動詞を付ける必要がある。この場合、形容詞につく動詞は、be動詞しかない。
従って、are undatedか、is undatedとなる。この日誌の冒頭の英文は、下記の通りだ。
The first page is undated.
従って、日記の最初の頁には、日付がない、という日本語になる(サルトル『嘔吐』の英訳冒頭)。

私が分からなかったのは、過去分詞をbe動詞につけて文を作るという肌感覚だ。過去分詞なら、あるいは、動名詞でも、be動詞の後に来る補語なら、名詞か形容詞であれば良いわけだ。

3 日本語と比べての英語の分からさ

日本語は、ふつうに分かる。もっとも文法は意識したことはない。微妙なニュアンスやら、位置、カッコなど縦横無尽に無意識に使っている。

英文購読を一言一句読んでいると、日本語で当たり前の事に疑問がわく。中学、高校と基礎教育は受けてきたが、そもそも基礎教育の吸い付くはずの英語基盤が上手く蓄積しなかった。

我々は、有無を言わさず、世界に投げ出されている。ハイデガーの「世界内存在」を受けての若きサルトルの切迫感のよう。不意に、生まれた年に、投げ出されてしまったのだ。死ぬまで背負わなくてはならない。ある言語、私なら日本語だが。

その私が、日本語とは違う、暇つぶしで、英文の本を読み始める。当たり前のことであるが分からない。前置詞やらもだ。他動詞に目的語は分かる。しかし、自動詞に前置詞がつく。そこから動詞がつき、目的語やら句動詞がつき、thatなど従位接続詞が連なり、文章が延々と終わらない。

英会話を目指すというより、英語の文献(『意識のスペクトラム』)を読みながら、英文法の本(『一生モノ英文法』)も読み、その時どきの疑問を解決していく。それだけの事なので、下手の横好き、程度の事だ。

2. 等級のas

asは、同じ、という意味なのだ、ということが最近感覚で分かってきた。等級のasとも言われるし。

例えば、
Tom is as busy as Ken is.
トムは、ケンと同じくらい忙しい。

同じように、
Principles of reasoning whose own internal consistency is as open to question as that of the system itself.
推論するの原則の自身の内部一貫性(Tom)は、システムそれ自体の一貫性(Ken)と同じように(as〜as)疑問の余地があります。

1.副詞の位値は、どこでも良いのか

あとは上記の is as open to question as だ。等級のasを外して、It is open to question. とした場合、
先ずは、補語(C)で形容詞のopenに、どうして前置詞toがくっつくのか、ということだ。

It is open それは開かれている。それは疑問の余地がある、というis openに、to questionという副詞句がくっつく。副詞句だから、動詞か形容詞を修飾する。個々ではopenを修飾するとしておこうか。

副詞は、動詞の直前に置かれるというが、2語以上になると、後ろでも良いと。この事例では、形容詞のopenの後に、to questionが付着している。このquestionは動詞とすれば、この副詞句は、to不定詞の副詞的用法ということになるが。