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『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(4)
さて、ラテンアメリカ文学を読み始める際の一冊目としてふさわしい、『百年の孤独』ではない作品。
第1位 『精霊たちの家』(上)(下) イサベル・アジェンデ(河出文庫)
コレでしょう。ストーリーさえ良ければ長くても大丈夫、という方はコレ。
べらぼうに面白い。ラテアメ的魅力にもあふれている。わたくし自身、これをきっかけにラテンアメリカ文学が好きになりました。
マジックリアリズムが炸裂しながら、ある家
『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(3)
小説としてあまりにもとっ散らかっている、というのがラテンアメリカ文学入門の一冊目として『百年』をオススメしないもうひとつの理由である。
何言ってやんでいそこが魅力なんじゃねーか、というご意見には心から賛同する。
しかし、以前の記事でビートルズのたとえを出したけれども、やはり『百年の孤独』は『ホワイト・アルバム』なんですよね。
ビートルズを聴いてみたいんですけど、という人にはやはり『ラバー・ソ
『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(2)
さて、ラテンアメリカ文学に挑戦する際の第一冊目として、『百年の孤独』を勧めないのはなぜか、に関してついに書いていきます。
登場人物に同名異人が多すぎる。ほぼ、ここに尽きます。
主要登場人物「アウレニャノ」22名、「アルカディオ」5名。
見間違いじゃないですよ、マジで22名。
まあこのことが、この小説の大きな仕掛けになっているし、おそらく小説全体のテーマにも密接に関わっている魅力のひとつです
『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(1)
『百年の孤独』は、ラテンアメリカ文学入門の最初の一冊としてはどうなのか、という話題に移る前に、「ラテンアメリカ文学とわたし」について少し書いておきたい。これは典型的な「ラテンアメリカ文学が苦手になる」パターンだと思うのです。
出会いは、学生の頃、「新潮・現代世界の文学」シリーズとして出ていた『百年』を古本屋で購入したときにさかのぼります。
今から思えばこれが間違いの始まりだった。まあ、今ハード
『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(0)
2024年6月26日、G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』がついに文庫化される。
めでたいことだ。
「名作らしいし、さすがにチェック」と購入する方も多いかもしれないが、春樹の新作出たから読んでみるか、的なノリで読み始めると絶対に途中で挫折する作品ではあると思う。
「ラテンアメリカ文学でも読んでみるか」というときの一冊目として、最良の選択とは言えないような気がするのだ、この作品は。
いや、も
『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(2)
この本を読み始めてずっと気になっていたことが「早送り=時間の蹂躙」については手厳しいけれど、多くの場合わたくしたちは、映画を観る際にそれと同じくらい「空間を蹂躙」してるんじゃないかということだ。
最近カメラでものを写すのが好きになっているのですが、素人とはいえやはりそこそこ構図などは考える。タテヨコ比や明るさがすこし違うだけで写真の印象はめちゃくちゃ変わる。
素人ですらそんなふうなのだから、映
『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(1)
「映画を早送りで見る人」ネットでこの話題を見て以来、ずっと心にひっかかっていた。
意を決して(大げさ)、本を購入した。タイトルが提示する問題を軸に、日本経済、キャリア教育、いろんな方向に話が進む。
本当に面白い。面白いのだけど。
読んでいてずっと頭にあったのは、結局、情報がアップデートされた、昔からある「最近の若者はけしからん」論に過ぎないのではということだ。
この本に描かれた状況は、テク
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(12)
父の死後、父の兄と話をする機会があった。この伯父の家とうちはかなり長い間、絶縁状態になっていた。アルコールの問題も勿論あったろうが、詳しいことはよく知らない。
葉山に住んでいるその伯父が、父の状態が最もひどかったころに何度も父を見舞っていたらしい。熊本まで。20年以上前。全然知らなかった話だった。
おれが大学に進学するころ、父の状態はどんどんエスカレートしていった。東京へ行く前にはおれの頭
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(11)
葬儀の前の日に喪主あいさつを読む練習をする。ネットには3分以内で、とある。喋る商売なので、わりかしこういうのはきっちり時間どおりに仕上げたい。まあ合格だろうというレベルにして当日を迎えた。
葬儀の日。あいさつを述べる。父親に最後言えなかったこと、という話から始めた。 もう長くないとわかってから、父親に言おうとしていたけれど言えなかったことがあります。それは「酒を飲まんまま人生を終えようとしている
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(10)
がんで亡くなる数日前、父はやたらにいろんな人に電話をかけた。親類や近所の人。自分はもう死んでしまう、ということをまわらぬ口で。やたらハイテンションで。最期を迎える人間はそういう精神状態になるということもあるのかもしれないが、別の要因も実はあったようだ。
以前は抗うつ剤を大量に飲んでいたらしい。もちろん正式な手続きで処方されたものだが、とにかくびっくりするくらいの量だったということだ。ところが固
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(9)
家に帰ってみると、テレビのブラウン管が破壊されていたことがあった。テレビにビール瓶を投げつけたらしい。破壊衝動、というのはアルコール依存症に共通する特色なんだろうか。わからないけれど父にはそれがあったように思う。自己破壊も含めて。
同世代の人ならわかると思うけれど、NHKで毎週『エド・サリヴァン・ショー』をやってた頃。高校時代のことだった。これがしばらく観れなくなったのには参った。
割れたブラ
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(8)
家に帰ってみると、そこらじゅう血だらけだったことがある。 割腹、というと聞こえがよいが(よくないか)、包丁で腹を刺して自殺を図ったのだ。もちろん酩酊状態で。
家に帰ってみるといろんなことが起こる。
この自殺未遂は、おれが中学生だったか、高校生だったか。さすがに細かいところは記憶から消えている。ぬらぬらとしている包丁をなんとなく覚えている。もうこの時期は「ふーん」てなもんで、ショックは受けるけ
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(7)
平成六年六月、五十一歳の時、ついに連続飲酒に入った。……酒を喉に流し込むこと、眠ることの他には何もしなくなった。カーテンを閉めた部屋で手に酒瓶を握り、昼夜の区別もなく、ソファーに凭れて時を過ごすのである。学校に行くのも忘れた。ご飯を食べるのも忘れた。人間であることも忘れた。大小便も垂れ流しである。酒を抱いた人形になってしまった。(尾形牛馬 小説「酒と私(私の酒歴)」より)
父が書いて半分自費出版
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(6)
前回の続き。②の問題、つまり今書いている文章が「なんか特殊ぶってる」だけになってはいないか、ということについて。
おれの弟は、不登校の生徒のケアなどをする仕事に就いている。彼によると、うちのような家庭は、現在であれば確実に「保護観察下」みたいになるのだそうだ。場合によっては子どもが親と引き離されて施設に行くとか。おおそうかー、と(なぜか)誇らしくなる。さすがにうちの変さはふつうレベルではなく、オ
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(5)
いろいろと書いてきたが、書き続けるうちに悩みも出てくる。
①シリアスすぎる。もちまえのユーモアがまったく発揮されていない。
②自己憐憫的すぎやしないか。「なんか特殊ぶってる」だけになってはいないか。
ということで、しばらく趣向を変えてこの二点について考えてみる。まずは①。
こういう話題にはユーモアが必要だ、という義務感みたいなものが自分にはある。というか、あった。依存症の生活を扱った本や漫画
気違いになるのに忙しすぎた人~父について(4)
前にも書いたが、飲酒運転で事故を起こした場合、今はネット世論に袋叩きにあい、社会的な居場所を奪われるということは多そうだ。30年以上前のうちの父親の場合は、
・飲酒運転に対して世の中が甘かった
・インターネットがなかった
この二点でなんとか逃げ切れたのだと思う。いいことなのか悪いことなのかはおれには判断できない。しかし、たとえば父が飲酒トラブルで職を追われたとするなら、とたんにうちは貧乏になり