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気違いになるのに忙しすぎた人~父について(9)

家に帰ってみると、テレビのブラウン管が破壊されていたことがあった。テレビにビール瓶を投げつけたらしい。破壊衝動、というのはアルコール依存症に共通する特色なんだろうか。わからないけれど父にはそれがあったように思う。自己破壊も含めて。

同世代の人ならわかると思うけれど、NHKで毎週『エド・サリヴァン・ショー』をやってた頃。高校時代のことだった。これがしばらく観れなくなったのには参った。

割れたブラウン管、母親は最低限の片づけしかしなかった。「見せしめ」のためにそのままにしておくと。ははは。何のため、誰のための見せしめなんだ。これも判断が狂っちゃってる家庭の姿だ。しばらくの間テレビはその状態で置かれていた。

自己破壊的、ということで言うと、運転していても突如として狂ったようにスピードを出し始めたりもした。別に飲酒運転ではない。しらふのとき。ふつうの道をですね、100kmとかで走り始める。これはやはりトラウマ的に記憶に残る。父の四十九日のときも弟とその話になった。おれと弟にとっての故人の思い出、というのはもっぱらそういうものだ。

何だったんだろうなあれは、と思う。破壊的ということに加えて、憎悪もすごかった。酔っ払っている父の具体的な姿は、完全に記憶からなくなっているのだが、言動に現れる、世界に対する憎悪の深さ、ということだけは印象に残っている。

狂った人だよな、と書きながら改めて思う。その狂った血がおれにも流れている。 

父は依存症だったんですが、途中できっぱりと酒をやめ、小説を書いて賞をとって……という話をすると決まって「偉いですねえ」と言われる(こういう人の気持ちはもちろん理解はします)が、偉くもなんともない。おれのほうがよっぽど偉い。

母はなぜ離婚しなかったのか。これはよくわからない。別居は何度もあったが、離婚はしなかった。そして最終的には静かで、おそらくは幸せな生活を手に入れた。

ここなんだよな。うちの場合、妙なハッピーエンドになったから、いろんなことに蓋がかぶせられてしまい、自分でもよくわかんなくなっている。あの当時はどう考えても離婚したほうがよかった。離婚すれば、父親は本格的に駄目になったかもしれない。風の噂で父が野垂れ死んだということを知る、というほうがおれの人生としてはまっとうだったかもしれない、という思いはどこかにある。

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