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『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(3)

小説としてあまりにもとっ散らかっている、というのがラテンアメリカ文学入門の一冊目として『百年』をオススメしないもうひとつの理由である。

何言ってやんでいそこが魅力なんじゃねーか、というご意見には心から賛同する。

しかし、以前の記事でビートルズのたとえを出したけれども、やはり『百年の孤独』は『ホワイト・アルバム』なんですよね。

ビートルズを聴いてみたいんですけど、という人にはやはり『ラバー・ソウル』とか『アビイ・ロード』を最初にオススメする、というのが人情というものではないだろうか。

ちなみに、ガルシア・マルケスにおける『アビイ・ロード』は『コレラの時代の愛』です。重厚、円熟、まとまりという点で。

『百年の孤独』の文庫化に際し、世の中の情報が「ついにあの伝説の名作が……」とか「あらすじは……」みたいなものばかりなのが気になっている。

この作品くらい「あらすじの説明」が無意味なものもない。

試しに身近にいる『百年』を読んだ人にあらすじを聞いてごらんなさい。きっと微妙な表情をすると思う。いや、あらすじとかそういう小説じゃないんだよね……。

となると、やはりもうちょい面白さがダイレクトに伝わりやすい作品を最初に読んだほうがいいのではないかと(ただ、これは繰り返しますが『百年』が面白くないという話ではありません。まったく逆です)

それともうひとつ、『百年』の中には、マルケスの短編などで出てきたものと同じ描写やエピソードがいくつか出てくる。最初に短編で準備体操的に慣れておいて、そのあと『百年』読むほうが楽しみやすいのではないかと思う。もちろん逆(『百年』読んだあとに短編)でも同じことにはなるんだが。しかしわたくしの場合、『百年』という大きな山に分け入っている最中に「あーこれは以前見た光景だ」となる楽しさというのはあった。

では、ラテンアメリカ文学でも読もうか、という方の第一冊目としてふさわしいのは何か、という話になるのだが。

つづく。

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