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気違いになるのに忙しすぎた人~父について(4)

前にも書いたが、飲酒運転で事故を起こした場合、今はネット世論に袋叩きにあい、社会的な居場所を奪われるということは多そうだ。30年以上前のうちの父親の場合は、

・飲酒運転に対して世の中が甘かった
・インターネットがなかった

この二点でなんとか逃げ切れたのだと思う。いいことなのか悪いことなのかはおれには判断できない。しかし、たとえば父が飲酒トラブルで職を追われたとするなら、とたんにうちは貧乏になり、おれが東京の大学に進学するということはできなかったはずだ。

ネットで袋叩きにしている人たちのコメントをみるときは、毎回考える。社会から抹殺だ、死刑にしてしまえ、威勢のいいことを言う人たち。言い分はまあ、分からなくはない。しかし、始末の悪いことに依存症患者にも家族がいたりするのだ。彼らは言うだろう、家族には非はない、悪いのは罪を犯した人間だ。しかし、依存症患者を回復不可能なくらい世の中から締め出せば、家族も同じ目にあうのだ。そして彼らがおれの学費の責任をもつことはない。

この話はいろんな要素が絡みあっている話ではある。依存症患者が犯す罪とその罰、その家族に対する社会的なケア、学費。なんだかまとまんなくなってきた。ただ、ひとつ言えるのは、家族との暮らしの中で「チャンスは平等に巡ってくる」だの「努力は裏切らない」だのといった言葉をおれは一切信用しなくなった、ということだ。

そんな言葉を信じられるのは、家に気違いがいない人だけである。

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