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『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(2)

さて、ラテンアメリカ文学に挑戦する際の第一冊目として、『百年の孤独』を勧めないのはなぜか、に関してついに書いていきます。

登場人物に同名異人が多すぎる。ほぼ、ここに尽きます。

主要登場人物「アウレニャノ」22名、「アルカディオ」5名。

見間違いじゃないですよ、マジで22名。

まあこのことが、この小説の大きな仕掛けになっているし、おそらく小説全体のテーマにも密接に関わっている魅力のひとつですが、それにしてもタフな読書にはなる。

で、たぶん『百年』を読む前の人ってこの事実を知らないケースが多いと思うんですよね。カレー屋なんかだと事前に「お客さん、辛さ大丈夫ですか?」てのがあるけど、読書って実はなかなかそういう情報がない。

こういう作品って読まない日が2日とか続くと、もう頭から話のエッセンスが抜けてしまって、わけがわかならくなり、途中で挫折という結果になる。

まあ何代にも渡るこの物語に挫折するってのも『百年の孤独』的であり、悪いことではないと思いますが。

フランスやロシアの昔の小説を好きな人ならば、登場人物が多いのは当たり前で、家系図や人物相関図を自分で作りながら関係性を覚えていく人も多いでしょう。わたしもそのクチです。

「ガルシア=マルケス全小説集」の『百年』には、相関図が冒頭についている(当然今度出版される文庫版にもつくと思う)。これに対して以前の記事で書いた「新潮・現代世界の文学」シリーズの『百年』にはついていないので、これは読むのがめちゃくちゃに大変。この小説に限って言えば、自分で相関図作るのはかなり難しいと思う。古本屋で安いから、という理由で「新潮・現代世界の……」を購入するのはよほどの読書名人でない限り、避けておいたほうが無難という気がする。

ただ、ネットで見てみると、「相関図があるからつまらない、自分で作るのが楽しいのに」とか「相関図があると、かえってこの作品の魅力が薄れる」とかいう意見もあるみたい。これはすげえなと思うけど、やはりふつうに考えて、相関図ないと厳しいよ、と思う。あっても厳しい。

『百年』を勧めない理由としてはもうひとつある。

つづく。

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