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自殺願望/抑うつと向き合う時の思考回路

※ 長い文章を読むのが辛い方は「無料でお話できる場所」に飛ぶか「精神面で意識すること」だけ読むことをオススメします。
※ 参考文献+αで5000字近く使っているので本文自体は2万字ほどです。

この記事について

自殺志願者やうつ病患者は思考が歪んでいるとよく言われます。全てネガティブな方向に捉えるからかもしれません。
しかしそれは単に悲観的なのではなくて、悪いものが明確な根拠もなく自分に向いているような自己肯定感の低さや自己効力感の低さが起因しているのだと思います。だから極端な悲観主義を治そうとする時に、ただマイナス思考を追い出そうとしても焼け石に水なのです。
大元の部分、つまり根拠の無い自責、極端な自罰的思考、自己効力感の低さをどうにかしなければなりません。それを行うには人生経験の掘り出し、それこそ幼少期からの記憶を引っ張りだし、自分の価値観と固定概念が何なのかを洗い直す必要があります。

この記事は「死ぬな」というよりもメッセージ性のあるものよりも、「死にたい死ななければならない/でも死ねない」の狭間にいる時の苦痛の緩和を目的とした内容となっています。抽象的な概念や例えも出てきますが、基本的には説明書的なトーンだと思います。

今年の初めに重度の(単極性)うつ病と診断され、最近は回復期に入って安定してきた人間が書いています。自殺未遂に繋がる自殺願望も軽い起死念慮程度に落ち着きました。このようにかなり辛い時期は抜けたので、何か使える情報があるかなぁと思い、自分の経験や医師・セラピストに言われたことなどをまとめることにしました。あまり期待せずに読んで下さい。

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どういうスタンスで自殺願望と向き合いこの記事を書いているかを先に明記しておこうと思います。

自殺を否定することはありません。推奨することもありません。私の思想や立場は全面に出しません。なぜなら第三者の主観の押し付けこそがより死にたくなる原因だと私自身は感じたからです。
人間の感情表現・思考回路には欠陥があることを痛いほど実感しているからこそ、感情やそれに伴う言動を真に受けることもしないし、私の感情で他者を推し測ることもしません。

ここに書くことが「自殺願望を取り除くための答え」だとも言いません。ただ私の知っていること・経験したことを共有することで、自殺願望で苦しむ人が何かしら楽になる部分があればいいなぁという気持ちで書いています。

他者が発する人格否定、人間性に対する攻撃的な言葉がどれだけの呪いになるかを知っているからこそ私はそれを他者にぶつけることもしません。誤ってこれらを相手にぶつけた場合は私の思慮不足です。
しかし人間は誰しも完璧な思考を持っている訳ではなく、偏見から来る言葉も出てくるかもしれません。どれだけ意識してもバイアスから逃れることはできないからです。それを見て傷つく人もいるかもしれないし、その感情を伝えるために衝動的にメッセージを送りたくなるかもしれません。
私は相手の意見を尊重する姿勢を崩さず会話に望むよう心がけます。喧嘩腰だったり威圧的な言葉で脅されなくても、私は他者の価値観を否定することも軽んじることもしません。

主観は事実では無いし、私の価値観で他者の人生を測るのは正確さに欠けます。感情を押し付けるよりも、どんな自殺願望を抱え、それがどこから来ているのかを探す方が回復に近付くと思います。
なので私は「〜するべきだ」という表現をなるべく使わないように気をつけています。言い回し的に使わざるを得ない場面もあるとは思いますが、その時は文章を「〜するべきだと私は思う」と脳内で補完してください。

所詮は私の価値観でしかないのです。私の言葉に強制力もなければ正しさもありません。どう行動するかは読者さんが自由に決められることです。使えると思った部分は持ち帰って頂き、合わないと感じた部分は切り捨ててください。

まずは抑うつ症状全般に使えそうな情報からまとめます。

精神面で意識すること

SOSを求める先を変えてみる

第三者の手助けは必要です。しかしその相手によっては自殺願望が悪化する可能性があります。他者の手助けを得ることのリスクと利点に触れた上で、どんな相手ならそのリスクを抑えられるのかについて話します。

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<思ってたんと違う、を回避する>

自分のような人間は心療内科/精神科を受診する資格がない。人に助けを求めたり、自分の気持ちを吐き出すのは周囲にとって迷惑だからしてはいけない。
こう考えて1人で抱え込んでいる方もいると思います。それは「何事も1人で解決しなければならない」という思い込みがあるからです。
SOSを発信し続けてきたけれど軽くあしらわれたり疎まれたりした経験から「他者を頼ったところで無駄だ」と考えるようになった方も大勢いるでしょう。
しかし、自殺願望に関しては1人で解決しようとすると逆に空回りするばかりで事態が悪化します。うつ病患者や自殺志願者の視野は物理的にも心理的にも狭くなっています(※1)。だから打開するには視野を適切な方法で広げてくれる存在が必要です。

しかし他者の手を借りることのリスクもあります。他人に貸しを作ってしまったりそれにより隙を見せることになるのもそうですが、1番大きいのは精神面の問題です。少し書きましたが、助けてもらえなかったときに社会への不信感を深めてしまうかもしれません。
「助けてくれるかもしれない」という微かな希望を持っていたのにも関わらず、寄り添ってもらえなかったと感じた時に余計に辛くなった経験は誰しもあるでしょう。それは相手に「自分の中で作った理想の相手」の言動を期待するからこそ起きる現象です。
当然ながら他人は自分とは違う環境で育った別の生き物なので理想通りには動きません。しかし人間は理想像と現実のギャップに直面した時、酷く落胆してしまうように作られています。

なら、理想・現実間の幅をできる限り縮めてあげればいい。一番手取り早い方法は自分と他人との境界線をハッキリさせることだと思います。他所は他所、うちはうち、を常に意識する感じでしょうか。

<相談するのは迷惑だ、を回避する>

他者への迷惑になると考えて相談することを控える人も多いのではないでしょうか。人に迷惑をかけてはならんと言う日本の美徳が歪んでインプットされて裏目に出てしまうパターンです。あとは抑うつからくる自己価値観の消失も関与してくるでしょう。
これは私も未だに最適解がわかりませんが、一つ妥協案を出すとしたらそもそも迷惑云々を考えることの方がおかしくなる相手にのみ相談することだと思います。

相談することに躊躇するのは、自分と相手で「迷惑」の捉え方の重さが違うことが原因の一つになっていると思います。違うだけなら良いのですが、”どれだけ違うのか”が分からないのです。だから労力の公平性を考えた時に「じゃあ自分で何とかした方がいい」という結論に至るわけですが、それじゃあダメなことも分かった訳です。特にこういう状態だと「自分でなんとかした方がいい」が逆にしっちゃかめっちゃかな結果を出しかねないのです。

これを根本的に解決するには何が迷惑にならないラインの相談なのか・どこからが相手の負担となってしまうのか、そこを見極める力が必要になります。しかしそんな察し技に労力を使うくらいなら(そんなキャパシティはないのに)一人で解決した方がいいと考えてしまい、雪だるま方式で悩みもどんどん膨れ上がっていくのかもしれません。

人生経験からこういった価値観が築かれる場合もあるでしょう。自我が不安定な時に家庭環境、学校、職場、課外活動の場でこの価値観を持つきっかけになった出来事を体験したり。ネット上で自分の価値観や固定概念を強化する意見を多く目にしたり。
このように、他者に相談する・頼ることに罪悪感を覚えたり躊躇する傾向は、裏にかなり根深い問題が存在する可能性があります。

だから相談することによって相手に確実に利益が発生するサービス(医療、福祉、相談サービスなど)を利用するのが最善策のように思えます。相手の拘束時間と精神的負担に、相手が提示してくる対価をしっかりと支払っているので上記のような悩みは発生しないはずです。

まとめると:自殺願望が発現した際は第三者の手を借りた方が良いと私は思います。けれどその時に、

1) 相手を心の拠り所にしてしまわないこと
2)「助けてもらう」よりも「補ってもらう」という感覚でいること
3) 感情論に縋らないこと、振り回されないこと
4) 支援は無償の優しさとしてではなく、対価を支払って利用するような割り切った感覚で受けること。無償の優しさなんてものはない、皆自分が1番大切なのを理解すること。そしてそれが決して悪いことではなくて、ごくごく自然な行動原理だと受け入れること
5) 最終的に決めるのは自分、頼れるのは自分だけ
を意識すると第三者を頼ることのリスクが軽減されると思います。

全て感情論だと一蹴してみる

しんどいのは甘えではないし、どんなことで心が辛くなるかは人によって違うのだから他の人と比べる必要は一切ありません。誰がなんと言おうとあなたは迷惑な存在ではありません。辛いのは甘えじゃない。辛いと主張することは悪いことじゃない。

でもこういう言葉は聞き飽きていて、自分にだけは当てはまらない、ただの綺麗事だと感じるかもしれません。

では逆に考えてみます。
例えば「自分は迷惑な存在だ」が嘘であると示すには、これの否定形である「少なくとも1人にとっては迷惑な存在では無い」を証明すればいいのです。

もしかしたらあなたを不快に思っていたり、精神疾患に甘えているだけだと罵る人が周囲にいるかもしれない。それで今自己価値観がどん底にあるかもしれない。迷惑だから死なないといけない、と考えているかもしれない。

  • それでも少なくとも私はあなたを不快に思っていないし、迷惑も何もかけられていません。

  • また「迷惑」の定義が人、文化、時代によって変わる時点で"迷惑"の概念が無数にあることになります。「自分は迷惑な存在だ」を証明することは不可能です。

  • 努力という言葉も酷く曖昧です。何をすれば努力で、どこからが甘え・逃げ・怠惰なのでしょうか。明確な線引きは存在しますか?

これら雑な3点だけでも「皆に迷惑をかけている、自分は頑張っていない人間」という刷り込まれた自己卑下は事実ではなくただの主観であり何の合理性も無いことが分かります。
他にも自殺念慮/希死念慮の理由は沢山あると思いますが、必ず穴があります。その穴を突いてしまえば自分の中の確信なんぞ脆くなります。

自己肯定感が皆無な時に湧き出る思考が、こういう機械的な考え方で簡単に消えるものでも無いことは重々知った上で書いています。
事実では無いのかもしれないけれど私はこれが真実だと思っている、なんて自分でもよく分からない別の確信が邪魔して、自己否定的な思考を消せないかもしれません。でも常に意識するべきなのは正しさという概念と事実は全くの別物であることです

自罰的思考だけでなく他者からの言葉にも同じことが言えます。
限られた情報で他人の状況を軽視する事だって主観ベースの主張で、ただの憶測です。多数の支持者がいるから正しいという自信も確証バイアスが人間に見せている虚像です。

辛いと言う感情、それを「大したことない」と決めつける思考の裏にある感情。どちらも感情なのに片方だけが正しいだとか、善だとか、決められるのでしょうか。決めていいのでしょうか。どうやって?誰が?誰にそんな権限があるのですか?
常に自分が正しく、自分の見ているものだけが事実だと思い込む人間を私は特段信用していません。他者の生き方なんてどうでもいいので変わるべきだとは思いませんが、そんな小さな世界の中で生まれた言葉を自分の人生に関与させる必要もないと考えるようになりました。(そもそもそういう価値観を築くに至った経緯を考えてみると簡単に「変われ」と言ってしまうことが危うい気がします。)

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ただの屁理屈でしょうか。でもこれだけ反論の余地はあります。逆に私の反論への反論だっていくらでも出てくるでしょう。

だらだらと書きましたが結局何が言いたいのか。1つの主張を一概に正しいと言い切ることは難しい、ということです
人間の思考や言葉なんて大体感情論で成り立っています。事実でない時点で捉え方は無数にあることになります。正しさだとか善さを追い求めたところで時間の無駄にしかならないのです。
もしその「正しさ」「普通」があなたを追い詰めているのなら、一旦主観を取り去った時に残る事実は何なのかを意識してみませんか。

そもそも自殺願望はダメなもの?

自殺願望等を和らげるための文章を書いていますが、だからと言って自罰的思考や自殺願望を「持ってはいけない」ものだとも思いません。
そりゃ持たなくていいならそれが一番です、好きで持っているわけではありませんから。勝手に出てくるのだからしょうがないのです。持ってはいけない云々以前の問題です。コントロールできるのならとっくにしています。できないから毎日自分を虐め続けないといけないのです。そしてそんな自分も受け入れられないから苦しくなるんです。

ならばこれも逆に考えればいいのです。自殺願望を抱くことを悪い事だと思わなくてもいいし、死にたいと思ってしまう自分も否定しなければいい。全部引っ括めて自分です。まだその準備が整っていないのに無理に思考を追い出そうとしても増えるのはストレスだけです。

死にたいと思ってもいい。「自殺したいだなんて軽々しく言うじゃない」と非難する声は受け流していい。それだけでも消耗される精神エネルギーが減ります。
「自殺は悪」という主張だって主観でしかなくて、そこに正しいも間違いもないのだから。感情論で現在進行形で自殺願望を抱く人の心を一層追い詰めるだけの言葉、真に受けてメリットはあるんでしょうか。ないです。だから流してください。そしてスルーすることで節約して得たそのエネルギーを自殺衝動の前兆を把握することや、衝動の上手い受け流し方を見つけることなど、自殺願望を抱えることで生じるデメリットを実際に取り除くために使ってください。

抑うつ的な人間は体力と思考力のmax値が大幅に下がっている状態です。回復するには限界値を無理に増やそうとするのではなく、限られた資源を上手く使う必要があると私は考えます。「無い袖は振れない」的なことです。…これ伝わるかな。

生活面で意識すること

医療に頼ってみる

死ぬことを考え始めている時点であなたは疲れている。
体がベッドから動かなくなったらそれはもう「限界だから休ませて欲しい」と、脳が自分を生存させるための警告を発している。
例えどんなに周囲の方が頑張っているように思えても、自分が怠けているだけだと思っても、余裕がなくなっている時点で自分のキャパシティを上回っている。
辛いという気持ちはその性質上、相対的に捉えてはいけない。
自分は大罪人なのか。悪者なのか。
社会のゴミなのか。何も出来ない無能なのか。
生きていてはいけない存在なのか。生きている価値もない存在なのか。

思いつく限りの自己卑下が事実なのかどうかは、きちんとした知識を持つ専門家の意見を聞いてから判断した方が筋の通った結論を出せると思います。ヤブでなければあなたの症状等を軽んじる事はまずありません。

精神医療に不信感を抱く方が少なくないのも知っています。確かにこの分野は脳を扱う故不明瞭な点が多いですし、抗うつ剤や抗精神病薬の処方は金儲けのような側面があるのも否定しきれないでしょう。しかし、もし純粋な金目当てならばとっくに学問ごと廃れているはずです。

精神疾患を完治する治療法は確立されていませんが、かと言って医者側も何もしない訳にはいきません。「治療法がない」で追い返したらそれこそ最後の希望を奪うようなものです。だから今ある最善策(対症療法)を提供しながら患者の命を繋ぎ、研究を進めて完治する方法を探っている段階にあるのでは無いでしょうか。それに今は完治方法がないだけで寛解させる方法はすでに多く存在しています。そしてその中でもメジャーな手段が薬物療法なだけです。

過度に信頼を置くのは危ないと思いますが、かと言って全否定する必要もないと私は思います。

私がここまで医療に助けを求めることを推すのは、私自身が医療・心理学の分野そのものに頼らなければ間違いなくあのまま死んでいたからです。薬で脳内環境を調整しながらカウンセリングで思考の整理をしてもらって、文字が読めるようになってからは自分でも精神疾患と脳の異常や人間の感情の仕組みについても知ろうとしました。人間や自分自身の思考について知ることは、抑うつの中で生きる上で最大の盾となります。

心理学の恩恵がなければ絶対に自己非難し続ける日々から抜け出せないでいました。なので私にとって医療はそれなりに信頼のおける部類に入っています。

このように私情も多分に含まれる記事です。ここからもできる限り偏りのない文章を目指しますが、一応精神医学肯定派寄りの人間が書いているということも明記しておこうと思いました。

食べ物で脳内の環境を改善する

・トリプトファンを含む食事を摂る(低プロテインで高炭水化物のものなら尚良い)
=> ターキー、大豆製品、フルーツ、トマトなど

カフェインを摂らない
=> 不安を強める作用があるため。どうしてもコーヒーを飲みたい場合はデカフェに切り替える

運動をする

運動は不安障害を軽減すると主張する研究があります。裏にある仕組みはまだ明確に解明されていませんが、セロトニン分泌量の増加、呼吸回数の増加が関係しているのではないかと思われます。不安障害、パニック障害、トラウマ、PTSD等を併発している人は運動すると辛い精神状態がそれなりに軽減されると思います(※2)また、不安は抑うつを悪化させることから不安障害を持っていなくてもなるべく不安を和らげる行動を心がけるのが良いと思います(※3)。
体を動かせそうならまずは5分程度の軽い体操や散歩から始めてみるのはどうでしょうか。日の光を浴びられると更に良いのですが、外に出られない場合はお部屋でラジオ体操をするだけでも変わるかもしれません。短時間の運動・体操を日課にすることで、運動そのものの効果だけでなく「何かを続けている、今日は何かをした」と言う事実が自己効力感の回復にも繋がります。

趣味を再開する

私は趣味全般がトラウマに紐づいていたことと、純粋に「私は何かを楽しいと思ってはいけない人間だ」と思い込んでいたので逆に趣味を再開する必要があるとセラピストに言われました。曝露療法ってやつです、たぶん。一部封印したままのものもありますが、少なくとも絵は前のように時間をかけてiPadで描けるようになりました。
もちろんいきなりは負担が大きすぎるのでこれも少しずつでいいのです。私は最初は紙に10分程度で描ける小学生のような落書きから始めました。あんなに億劫で怖くて、趣味の道具やそれを想起させるものは全て見えない場所に押し込んでいたのに、続けてみると自分が思っているほど趣味は悪いものではないと思えるようになるのです。
ただ不安障害や双極性障害の治療を受けている方はもしかしたら治療方針的にアウトなことがあるかもしれないので、診察のついでに医師に軽く相談した方がいいと思います。

私の場合は行動療法的な側面を持っていましたが、趣味を少しずつにでも再開するのはうつ状態を打開するのにもとても役立ちます。うつ状態にあるとき、何も楽しいと感じられないのは病気が脳に暗示をかけているからだそうです。半強制的に前の自分が「楽しい」と思えていたことを続けることで脳がその感覚を思い出し始めるのだとか。脳って馬鹿ですけど不思議ですね。


死にたい気持ちと向き合う時は

以下の文章は恐らく1番不安定だった時期(自殺願望+他者への攻撃性が出始めた頃)の思考回路です。

もし他人や社会に憤りを感じる一方で「そんな自分がおかしいんだ」と自己嫌悪に陥っている方がいたら、それは絶対にあなただけではないし、そう考えてしまう自分を否定する必要もないと思います。否定したって辛くなるだけで、問題が解決するわけではありませんから。

綺麗事や見当違いの憶測ばかりで自殺志願者の気持ちを蔑ろにしやがって。
綺麗事で自殺志願者を潰して自分が不快にならない社会を作りたいだけなんだろう。
本当はこんな精神異常者を排除したいくせに。
こんな異常者、社会にいらない。
本当は私に死んでほしいことを認めればいいのに。
側から助けるつもりなんてないくせに。
何が精神的サポートだ。何がライフラインだ。「辛いときは相談」?嘘をつくな。相談なんかして欲しくないくせに。話なんて聞いてくれないくせに。
相談したって、私の気にしすぎだ、考えすぎだと一蹴するくせに。「遺された人の気持ちを考えたことがあるのか」と言って私の気持ちなんて蔑ろにするくせに。
おかしいし生きていてはいけないのは私も分かってるんだから、こんなのを無駄な体力使って生かそうとするくらいなら勝手に死なせておけばいいだろう。
どいつもこいつも自殺は悪だなんだ好き勝手言いやがって。
生きて社会に迷惑をかけ続けるのと、自殺して一時的で限られた範囲にかける迷惑ならどちらの方が悪なんだ。
自殺の方が悪い?なぜ?第三者に負担をかけ続けることが、周囲の負担をなるべく減らす努力をした上で私一人が死ぬことよりも良いことになるのはおかしいだろう。じゃあ私が人を殺すといえば自殺した方がいいことになるのか?
私がさっさと消えることを本当はみんな望んでるくせに。
生きていても死んでいても悪口しか言わないくせに。陰口しか言わないくせに。陰口に傷つくこと自体、きっと私の人間性がおかしいだけだ、言われて当たり前だとさらに罵倒されるのだから。
死んだところでどうでもいいくせに。
死んでほしいくせに。
私なんか死なないといけないのに。
私が生きていて、何かいいことはあるのか?ないんだろう。害しかないんだろう。何も出来ない。そんなの自分でもわかっている。
死んで欲しいと思われながら生きるのは嫌だ。

もう嘘をつくな。それは何のための嘘だ。
ああ、本音を言えば訴えられるからか。そういう世の中だもんな。
やっぱりみんな心の中では死んでほしいと思っているんだ、追いつめるくらいなら放っておけ。陰口を言うくらいなら放っておけ。死んで欲しいのは分かっている。自殺志願者なんて居ないものとして扱ってくれればいい。もう生きていたくないんだから。


何も救いがない。私が拒絶しているだけ?なら尚更死んだ方がいい事になる。他の人が助けてくれようとしても救われないんだから、存在しているだけで面倒臭い人間だから。いない方がいいに決まっている。なるべく誰にも迷惑をかけないようにして死ぬからもう死なせてくれ。生きていたくない。

※ これを「自殺教唆的思考」と呼ぶことにします。

感情に振り回されて辛くなるなら全て割り切ってしまえばいいと思います。理屈のみで自分の思考と向き合う時間を設けるのです。感情論や主観をなくすには、まずはそれらの塊と言ってもいい、「自殺教唆的思考」を「自分」から切り離さなければなりません。もう少し具体的に書くと、自動的に湧き出てくる思考と感情とは別に、コントロール下にある思考を設けるのです。これはメタ認知と呼ばれていて、精神の安定を図るマインドフルネスにおいても重要な概念とされています。

これを日頃から行っているとその内他人の言動やその裏にある思考も理屈っぽく捉えるようになります。そうすると人の表面的な反応に捕らわれなくなります。言動は思考と感情の副産物でしかないと考えるようになるからです。その思考・感情ですら自分では制御しようのない脳活動の副産物でしかありません。

ではコントロール下にある思考とは何なのか。
病的な思考と真っ向から対峙したり抑圧しようとする能動的な思考ではなく、できる限り遠い場所から自動思考を観察する受身的なものです。といっても複雑なことをする必要はなくて、「死にたい、私は無価値な人間だ」と考え始めた段階で「あ、私は今死にたいと考えている。無価値な人間だと考えている」と脳内で第三者視点に言い換えた上で内容を繰り返すだけです。
そうするとそのうち「あーまた出てきた、この思考が今私をこういう気持ちにさせているんだな、私を死なせようとしているんだな」と自殺願望を程よく他人事として捉えられるようになります。

ただこれをいきなり自力で行おうとしても自殺教唆的思考が強すぎて上手くいかないかもしれません。その場合はカウンセラー等の専門家に手伝って貰いましょう。自己非難が止まらない人はとにかく“外部のメタ認知”、要するに第三者の視点が必要になります。


自殺願望による苦しみを減らす手順

1) 自殺願望や自殺教唆的思考を自分とは別の存在であると考える
私のセラピストはその思考に名前をつけることで半強制的に別の存在であることを意識させようとしていました。ここでは分かりやすく“自殺願望ちゃん”と呼ぶことにします。
自分は死にたいと考えている->行動に移す、ではなく、「自殺願望ちゃんは脳の異常が作り出した虚像だから、これは正確に言うと自分では無い」という認識に切りかえていく。

2) 自殺願望ちゃんをもっと自分から引き離す
例えば「私は死ななければいけない」と囁かれたら「あーまた自殺願望ちゃんがいるんだな。死なないといけないと思わせているんだな」と、その思考を批判せずに眺めます。ただただ観察して、自分が今自殺願望を抱いているという事実を認識します。そして「常にこの自殺願望ちゃんに罵倒されている状態なんだ。だから精神的に不安定になるのも正常な反応だ」と素の自分の状態を受け入れます。
なにをすると自殺願望が出てくるのか、どんな前兆があるのか等の記録も併せてつけておくとパターンを把握できるようになります。例えば、私は自殺衝動・強い自殺願望が出てくる前には脳が冷える感覚や心拍数の上昇、目の周りから熱が退くような感覚がありました。

3)衝動が来る前に対処する
パターンを把握できたら(もし回避できる場合は)自殺衝動等が出てくるのを未然に防ぐ行動を取ることを意識します。もし回避できない場合は事前にセーフティプランを用意しておき、瞬時に助けを求められるようにしておきます。恐らくカウンセリングを受けると2回目辺りで作らされるのですが、もしなかった場合は(4)を参考にメモを作ってください。紙でもスマホのメモでもなんでも大丈夫です。

4) セーフティプラン

  • 自殺衝動、自傷衝動等の前兆は何か(例:脳が冷える、トラウマだと認識しているものと接触した、呼吸が浅くなる等)

  • 何をすれば気を紛らわせられるか(例:音楽を聴く、動画を見る等)

  • 自殺企図を防ぐ上で自分自身にできることは何か(例:酒と薬を別の場所で管理する、酒を見える場所におかない、紐状のものをドア付近に置かない等)

  • 緊急連絡先(とりあえずセラピスト/医者の連絡先は書いておくといいと思います。他に信頼できる人がいれば書いておきましょう。)

  • 相談できる場所(24時間対応可能なライフラインの連絡先をいくつか書いておきましょう。この記事にもテキストベースの相談所とフリーダイヤルの電話番号をいくつか「無料でお話できる場所」でリストアップしています。)

急性期を乗り越えて落ち着いてきたら:

・思考だけでなく、自分の感情の観察を行う。例えばどうしようもなく悲しくなった時はそのまま自己嫌悪モードに入るのではなく「私は今悲しいみたいだ。なぜ悲しいのだろう。」と一旦立ち止まる。ターゲットが違うだけでやることは思考の観察と同じです。

人間はお腹が空いている時と寝不足の時は必ずと言っていいほど精神的に不安定になります。まずは食欲と睡眠欲を満たしてあげましょう。
それでも良くならなかった場合は運動をしたりお風呂に入ることで強制的に思考を現在に戻してあげる必要があります。恐らくですが、悲しみが続くのは過去/未来のことを考えている時だと思います。それならば思考を現在に引き戻す事で、今、この時間この場所は何も危険じゃないし、何も悲しくなるようなことは無いと脳に指摘するのです。

・自分に優しくする。しんどいなぁと思ったらこまめに休憩を挟んだり、しっかり睡眠時間を確保したり、思い通りに動けなくても自分を責めないように意識したり、やったことリストを作って自己効力感を上げたり、出来ることは色々あります。やったことリストに書く出来事も小さなことでいいんです。例えば散歩に行った、買い物に行った、読書をした、お風呂に入った、などなど。これをつけておくと「何も出来なかった…」と自己嫌悪に陥る現象を防げます。


抗うつ剤は効くのか

抑うつとそれに伴う症状(睡眠不全、軽度の摂食障害、自罰的行為等)を軽減するためにセルトラリン100(mg)を服用しています。SSRI系の抗うつ剤です。来年の夏辺りから減量が始まる予定です。
服用始め、増量の際に印象的だった変化とその他経験を共有しておきます。
睡眠導入剤も服用していますのでそちらの効果は50mgの欄に併せて記載しておきます。

抗うつ剤を飲むか迷っている方に参考程度に読んでいただければと思います。薬との相性や体質によって効果の出方は変わるので鵜呑みにはしないで下さい。
先に結論を書いておくと、私は処方してもらって良かったと感じています。

*SSRIは成人以下の患者が服用すると自殺願望の悪化/殺意/その他自己破壊的衝動が発現する可能性があるようです(※4)。最悪の事態を防ぐために、呉々も自己判断はせず、服用/断薬の際は必ず医師の指示に従ってください。

*抗うつ剤は基本的に遅効性です。すぐには効かないし、過剰摂取しても早く効果が出ることはありません。しんどいですが気長に待つ必要があります。2週間以上服用しても変わらなかった場合は医師に相談してください。種類か量があっていない可能性があります。

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25mg (初診)

大学では頭の良い人達と同じ土俵に立つことすらできず、周りは寝る時間を削って勉強しているような人達ばかりの中私だけ勉強を頑張れず、転科に失敗し続けて、何もかもが無駄になってしまったように感じていた。「相手は地頭がいいから」と半ば諦めるようになって趣味に逃げ始めた自分も許せなかった。グループで行う課題では自分がひたすら迷惑を掛けているうな気がしてならなくて、申し訳なさと不甲斐なさから夜中に泣きながら課題と向き合うこともあった。自分の価値も下がった。それでも心のどこかで「頑張ったのに報われなかった」という気持ちもあって、でも周りに比べればそんな”努力”は無いに等しいものであることも分かっていて、自分の中途半端さが嫌になった。

勉強もダメ、人としてもダメ。性格も、人間性も全部何もかもダメで取り柄がない。本当にどうしようも無い人間でしかないと突きつけられて、全てのピースが嵌った段階でふっと糸が切れたように自己価値観が地に落ちる。

記憶力と文章の理解力が明らかに下がっていることに気づき、この状態では大学で勉強を続けていけないと焦る。通常なら2分程度で読み終わる授業のスライドを理解するのに30分以上かかっていたからだ。内容以前に文字を理解するのに時間がかかった。

そのうち著しい記憶力の低下により日常生活に支障をきたすようになる。覚えている段階で必要事項を全て書き出しておく生活を勧められる。書けたとしてもその日の日付・曜日を忘れるので効果があったのかは分からないが、書かないよりはマシだったのだろう。

ベッドからもほとんど動けなくなる。自罰的思考が止まらず腕を噛む引っ掻く・体を殴る等の自傷行為が出始める。

しばらく耐えても症状が良くなる気配がしなかったので医者にかかる。当たり前だが最初から効果を感じられるほどの量を処方してもらうことは出来ない。当時は薬を飲んでも一切症状が軽減されないことにショックを覚えていた。薬が効かないのなら、それこそ余計に死ぬしかないと思った。

食欲:なし。生きていてはいけない人間である(と信じていた)ため食事を摂ることに極度の罪悪感と拒否感を覚える。バイト先で差し入れをもらった時以外は水でやり過ごす。食料がなくなっても食欲がなかったため、買い物に行かなくても困らなかったのが唯一の救いだった。
1ヶ月後、少しずつ食べるようになってから体重を測ったが、その時点で体重が6kg落ちていた。半年以上経った今でも(体重増加はありつつも)前の体重に戻れるような量は食べなくなった。

睡眠:布団に入ってから3時間ほど経ってから眠りに入る。2時間ごとに目が覚める。寝たとしても悪夢を見るため寝た気にならない。

その他:
<身体症状>
・脳が冷える、または溶けるような感覚
・視界の周りが暗く、全体的に見えにくい。水のみの生活が続くとその分視界が狭くなる。
・立ちくらみ
・喉にプチトマトサイズの異物が詰まっている感覚があり、息がしづらい/吐き気が止まらない。1〜2時間程度で収まる。(ヒステリー球?)
<精神症状>
・常に漠然とした恐怖を感じ続ける、見えないところから監視され続けているような感覚に陥る
・無機物が呼吸しているように見える
・皆が「死んでほしい」と心の中で思っているに違いないと信じていたため外出にも拒否感を覚える。バイト時も罪悪感でいっぱいだったため無駄に疲れる。
・耳元の幻聴(主に死ねと嘲られる)
・じっとしていられず、気持ちを落ち着かせるために自傷をワンセット行ってからYouTubeを流すことで何も考えない状態にリセットしていた
・バイトなど動かなければならない用事がない時は布団の中で唸り続けたり奇声を発したりする

50mg(1ヶ月後)

かかりつけ医がいる訳では無いので別の医者に当たる。25は私の状態において無いに等しい量であると言われ、50に増量。体が50に慣れ次第そのまま100(50カプセル×2)に切替えるよう指示される。
50に増えた頃から食欲が少しづつ出始める。

自殺企図を何度か行う。方法はさすがにぼかしておく。意識が朦朧とするところまでは行ったが死ななかった。
(大麻合法地域に住んでいるため)大麻に縋ろうとする。しかしとてつもなく臭いので結局吸っていない。最近になってシロシビン、俗に言うマジックマッシュルームも近所で売っていることを知った。この頃に知りたかったけど知らなくて良かったなぁ、となんとも言えない気持ちになる。

とにかく一刻も早く思考を止めたかったので、選択肢の中で一番ハードルが低かった飲酒をするようになる。こうなる前は酒が大嫌いで促されてもグラス半分も飲まないような人間だった。味見程度の量しか飲んだことのなかった人間がいきなり習慣のように酒を飲み出すとどうなるかは想像に難くないだろう。
幻聴や反芻思考がひどい日は飲酒してから睡眠導入剤を飲んで寝ていた。飲んで直ぐに重力に逆らえなくなったので、この薬は飲めば間違いなく効果を発揮するという事実に感動を覚えていた。この時は抗うつ剤の効きもイマイチだったので余計にだろう。

⚠️当時の私にとっては思考から離れることが最優先事項だったので知ったことでは無かったが、 酒と薬の飲み合わせは危険だ。薬によっては取り返しのつかない事になる行為だ。
飲酒〜服薬の感覚は少なくとも3時間は空けた方がいい。というか抗うつ剤を服用している人は(衝動性が高まり自殺企図率が上がるので)なるべく飲酒しない方がいい。自殺既遂者の大半が事前に飲酒していたというデータまであるくらいだ。
反芻思考が酷いときは意識を朦朧とさせないとどうしようもなくなるくらいに辛いのだけど、残念なことに酒や薬物は結果的に自殺願望や抑うつ思考、フラッシュバック、不安と焦燥感を悪化させる物質だ。実際酒を飲んでもうつが良くなる事はなかった。

処方薬が効かない/効きづらい場合は自己判断する前に医師に相談してほしい。色んな理由で思考力が落ちている患者よりは、医師の方が確実に、遥かに効果的な対処法を出してくれる。処方薬の相談だけでなく、精神療法(平たく言えばカウンセリング)も受けた方がいい。

食欲:一日の食事がほぼ水とジュースだったのが、菓子パンやヨーグルト+水になる。最初は偶然かと思っていたものの、何かしらの固形物を自主的に少なくとも1度は食べる生活が続いたため、ここで初めて薬の効果を感じ始める。

睡眠:騒音問題により半年間睡眠に影響が出ていた。夏に入ってからは静かに眠れる環境に移れたものの、睡眠の質やリズムは変わらないままだった。症状が良くならない理由のひとつに睡眠が取れていないことを挙げられて、ここで睡眠導入剤を処方してもらうことになる。
眠剤を飲んだ日は驚くほどきっちり7時間眠れた。逆にこの頃はまだ眠剤を飲まないと2時間ごとに起きていた。

その他:
・少しだけ自罰的思考を客観視できるようになる
・少しだけ衝動の前兆が分かるようになる
・10分ほど散歩に出られるようになる

〈人が最も自殺に踏みきりやすい状態とは〉
微妙に動いたり食べたりはできるが、思考は相変わらずどん底にあるこの状態が一番危険だと思われる。身近に似た行動を取る(そして大切にしたいと思える)人がいたら叱らず否定せずそっと気にかけてあげてほしいし、自分がその状態にある場合は次の診察まで我慢せずに早急に医師に相談することを強く推奨する
相手がどうでもいい存在だった場合は、無理に向き合おうとして互いにストレスを溜めるよりも放置しておく方が相手が亡くなった際の罪悪感やら後味の悪さやらがなくなるだろう。自殺志願者と関わるときはとにかく一定の距離感を保つことを意識しておくと良いと思う。

逆に自殺志願者は、自分の自殺願望等が相手に受け流されたとしてもあまり深く考えない方がいい。自分が苦しい思いをしているのと同じように、他人には他人の苦しみがある。
自分の苦しみよりも相手の苦しみを優先させなければならない義務は誰にもない。気にかけてもらえる方がラッキーな事だ。端的に言うなら「救いがないことの方が当たり前、みんな自分のことで精一杯」。
自分の機嫌は自分で取ることを意識するだけでもある程度気持ちが楽になる。

直ぐに診察を受けられない場合は以下の応急処置で衝動を流して欲しい(衝動の波が落ち着くのにかかる時間は15分程と言われている):
box breathing(息を4秒吸って、4秒止めて、4秒で吐いて、4秒間隔をあける、という呼吸法を数セット行う)。これはヒステリー球にも若干効果がある。
水かお湯をかぶることで意識を強制的に現在に引き戻す(体温に変化を与える)
・動けるのならとにかく運動して汗を流す
動画視聴(騒がしいYouTuberの動画が思考を遮る上でかなり効果的だった。手軽に行えるし、いつでも人の声が聞けることも安心材料となるし、眠剤との掛け合わせも飲酒よりも遥かに健全だ。私の場合は東海オンエアに文字通り命を救われた。)

他にも自己流の対処法を持っているのならすぐそれを行えるように準備しておいてほしい。

個人的におすすめなのは最初に書いた呼吸法だ。体力が落ちていても出来るし、数セット行うだけで効果があるからだ。人間は望まない思考に囚われている時に呼吸が浅くなりがちである。呼吸法はそんな脳の酸欠状態を解除してくれる。

自傷が効果的なストレス緩和方法であることは私も痛いほど理解しているので全面的に止めることはできないが、自傷が意図していない死につながらないように注意して欲しいし、ある程度コントロールできそうな衝動が来た時に少しずつ自傷以外の対処法を模索するのも私はアリだと思う。自傷は1度始めると癖がついてしまうので、無くすには意識的に行動を変化させる必要がある。
既に多くの方が知っているであろう応急処置しか提案できないのが申し訳ない。


100mg(50から2週間後〜現在)

100に変わってから、主に怒哀の方だったが感情が出るようになる。何でもないような事(勧められていた15分散歩を自分の決めていた時間に行えなかった等)で数時間泣くようになったり、布団から出られなかった日には激しい苛立ちや殺意を覚えるようになったため自傷の頻度が上がる。自殺願望からくるものではなく、殺意を相殺するために衝動的な自殺企図を行うようになる。自傷行為の上位互換かもしれない(※5)。

カウンセリングにかかっていなければ、それこそ私は陰口通り本当に何をしでかすかわからない人間だったのだろう。会ったことや話したことすらない人達にまでそう言われていたのだからさぞ私は想像を絶するような忌々しい悪人なのだろう。という軽口はさておくとして、平静時に流石におかしいと思いチェックアップで相談したところ薬があっていない可能性を指摘される。暫く経っても落ち着かなければ薬を変えようと言われた。双極性障害(躁鬱)の可能性を懸念されていたのだろうか。

しかし丁度2週間経過した頃から安定している時間が徐々に増え始めた。薬の相性ではなく、単に体がまだ慣れていなかっただけらしい。実際、今のところ殺意以外の躁状態(のようなもの)を経験したことがないので、この易刺激性は双極性障害ではなく薬の副作用から来ていたのだろう。

食欲:難なく固形物を食べられるようになる。水とパン、ヨーグルト生活→1日1.5〜2食にまで増える。以前と比べるとやはり食べる量は減っているが、もう病的な範囲は抜けたと言っていいはずだ。体重も限界まで減った状態から3kg増えた。

睡眠:睡眠を取れるようになってから精神的に安定している時間も順調に増え始める。最近は安定している日は眠剤がなくても眠れるようになった。この数ヶ月で体質が変わったのかわからないが、正午過ぎにコーヒーを飲んでしまうと夜中の4時まで寝られなくなった。それでもちゃんと寝られるようになっただけありがたい。
しかし最近は逆に寝過ぎてしまうことが増えている気がする。朝は本当に動けず、更に食後に強烈な眠気に襲われるので午前授業がある日は大変に地獄である。朝食→夕方まで寝る→勉強→軽食→昼(?)寝→起きて少しだけ作業→夜中に寝る、という不健康極まりない生活になり始めている。血糖値が関係しているのかもしれないが血糖値に異変が出る食生活を送っている自覚はないのでなんとも不気味である。

抗うつ剤の留意点

抗うつ剤は年代によっては症状が悪化する可能性があること、遅効性であること以外にも留意すべき点があります。基本的に有意的な効果を得られるのは重症患者であるという点です。言い換えれば、軽度〜中度の患者には効果が見られない可能性が高いということです(※5)。

しかし現在我々が精神安定剤として扱っている薬は本来精神疾患のために開発されたものではないため、安定して有意的な効果を得られない現状は個人的には納得がいきます。この分野は未だ手探り状態です。このことを踏まえると、薬に過度な信頼を寄せるのは体調がよくならなかった時のメンタル面によろしくないのかもしれません。

最近では抗うつ剤が効かない患者のために幻覚剤で治療を試みる治験も行われています(もちろん専門家の厳重な管理下で行われています)。先ほど少し触れたシロシビンがその一例です。この他にも今ある抗うつ剤の代替案となるものを探す研究は世の中に多く存在しています。

薬がダメでも精神療法がありますので完璧な詰みというわけではないし、治療に関して極度に悲観する必要はないのかなぁ、と思います。

私は専門家では無いのでやはり信憑性に欠ける私の言葉よりもお医者さんの指示に従った方が回復は早いです。この体験談はあくまでも一服用者の感想として頭の隅に置いてもらえれば幸いです。

感情論・合理性のバランスと現実逃避

感情論に振り回されるのは精神衛生上良くないと書いてきましたが、逆に感情を覚えることに不安になってしまうと本末転倒です。
人は自分のコントロール外にあると感じるものと対峙すると希望を失います。治療を進めつつ、自己効力感も着実に上げていくのが安全だと思います。

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なるべく感情論を介入させないように日頃から意識するクセがついたからか、今度は感情をそのまま経験することに不安と恐怖を覚えるようになりました。掘り下げると、とにかく自他問わず強い感情と対峙するのが怖いのかもしれません。それに飲まれずに冷静に自分で処理できる自信がないのでしょう。
自分の感情・気分の管理能力を信用していないから最初から避けて通った方が賢明だと思っているのかもしれません。心理学が私の盾として機能しているのも、自分だけでなく他者の感情も知識に落とし込んで分解させてくれるからだと思います。
これに関しては他者の言葉で精神的に参ることが圧倒的に減ったので悪いことでもないのかもしれません。問題なのは、精神的に参ってしまった時に打つ手がないと考えているので、必要以上に情緒を安定させようとして上手くいかないと「このままだとまた自殺を試みてしまうかもしれない」と言う焦燥感が出始めることです。
再び強い自殺願望を抱いていた頃に戻ってしまうことが何よりも怖いのだと思います。実際あの頃の精神状態に戻るくらいなら死んだ方が何十倍もマシだと本気で考えるほどに苦痛でした。さらに言えば、これだけ対処法を頭に叩き込んで防御力を上げてもあの精神状態に戻ってしまうのならもう私にはどうしようもできない問題だと感じるのです。
どうしようもできないと感じること、それはつまり自己効力感が限界まで落ちていることを示唆します。効果を遺憾なく発揮できるので自殺願望にとっては大変好都合な精神状態と言えます。自己効力感の低下、自殺願望の悪化、自分には扱いきれないと感じる、自己効力感の低下…という負のループに陥ることになります。

ネガティブ思考から脱する対処法が不安の素となり始めていては元も子もありません。だからこうなる前に主情主義と合理主義のバランスも大切にしたほうがいいのかもしれません。

今から再発後のことを考えて不安になっても仕方がないのは頭では分かっていても不安が拭えないのは、それくらい私にとって自殺願望に逆らえなかった日々は怖かったし辛かったからだと思います。
生きていたところで迷惑にしかならないのに死んでも迷惑だと世間は言う。運頼みではなく間違いなく死ねるような計画が立ててあったのに、それを実行することも許されない。死ななければならないのに死ぬことが許されなくて、半殺しのような状態で毎日過ごさなければならなかったのが辛かったのです。

ちなみに自殺に至るまでの段階でよくODやアルコール/薬物依存が入ってくるのは恐らくこれが原因だと思います。死なないようにするためには思考を止めるのが確実です。しかし自殺念慮に蝕まれていると悪い方向に流れる思考を制御することすら叶いません。何もできない、何も分からない。だから物理的に脳を壊す強烈な物質でないと正気を保っていられなくなるのでしょう。いえ、正気を保っていられないと”信じ込んでいる・暗示をかけている”のです。

自殺願望/抑うつと社会

手遅れになる前に休息をとってほしい

私が回復できた理由の一つには確実に休息を取れたことがあると思います。ちょうど夏休み初めと急性期が重なっていたため、(バイトがあるとは言え)当然講義や課題、成績のプレッシャー等に押しつぶされていた時よりは精神的に休まりました。また、第一志望だった学科にはもうどう頑張っても入ることができないと分かった段階にいたため、勉強できなくても勉強しなければならないという強迫観念からも解放されたのでしょう。

うつになった以上、頑張ることに意味は無いと割り切って、可能ならば休職なり休学なりして休息を取るべきだと思います。私は休学する余裕がないのでこのまま大学の勉強を続けていますが、前のように常に自分を馬鹿だと罵りながら勉強させ続けることはなくなりました。思い通りに動けなくても「動けないんだから仕方がない、無理しても頭に入らないから時間の無駄」と諦めるようになりました。それだけでも大分情緒の安定感が変わります。成績のことも諦めるようになったので全く将来が見えませんがもう正直全部どうでもいいのです。

努力したって無駄なものは無駄なのです。特にこのコンディションでは努力したところで生産性もクソもありません。空回りするだけなので諦めて休みませんか。

確実に甘えだとか身勝手な判断だとか言ってくる人はいますが、よく考えてください。
まとまった時間休んで(100%とまではいかなくとも)回復するのと、気合いではどうしようもできない能力値の低下により周りの負担も増やした状態で働くこと、どちらの方が生産性があるのかは3秒考えれば分かる事です。
更に言えば、自分のコンディションを把握せずにいつも通り働こうとするのは周囲がカバーしてくれることを前提としている甘えでは無いのか、という反論をすることもできます。
休職なり退職なりすることによって周りの負担が極端に増える等と脅されたり、何も言われなくてもそういう罪悪感を覚えるのなら、それは当人の責任でもなく周囲の責任でもなく、仕事量に見合うだけの労働力を確保していない組織の責任です。休みましょう。

仕事を休むとなると金銭面の不安が出てくると思います。その不安を完全に取り除く事はできないと思いますが、精神疾患を持つ方のための経済的支援が存在します。一例を「無料でお話しできる場所」に載せておきます。

どうしても周囲の言葉が気になってしまう時

感情論や根性論をぶつけられたらそのまま落ち込むのではなく、冷静に考えたらどうなのか、またどうして相手はそのような発言をしたのか、という分析までしておくと大抵の悪意偏見にモロには傷つかなくなると思います。

こういう類のことを言う人は大抵こちらをどうでもいい存在として認識しています。そんな無関心さ或いは嫌悪感から生み出されている相手の表面的な言葉を真に受けた所でうつ病が良くなることはないし、人生が豊かになることもありません。また、ほとんどの場合、発言者自身が多大なストレスを抱えています。ストレスを受けると通常時では有り得ない言動を取ってしまうのは人間性の問題ではなく誰にでも起こる現象です。闘争逃走反応の一種だと思えばいいのです。
嫌な気持ちになるのもまた当たり前の反応ですが、自分の嫌な気持ちを処理する方が早いです。ストレス管理をできるのは本人だけだし、どうせ他人も社会も変わりませんのでその気がない相手を変えようとするよりも自分の受け取り方・環境を変える方が有意義です。なぜ嫌な気持ちになったのかも考えてみると実は自分の中にあるストレスや歪みに気付くキッカケにもなります。

うつ病じゃないから、うつの人はもっとしんどいから…という理由で受診を躊躇される方や自分を追い込む方もたくさんいますが、それを続けると本当にうつ病になります。うつっぽいかも、の時点で自分のケアをしてあげてください。誰かに相談してください。発症しないのが1番なのだから。

とにかく少しでもしんどさを自覚した時は、周りの目、言葉、風潮なんて無視して、手遅れになる前に精神科・心療内科・カウンセラー等の専門家を頼ってください。落ちきってしまうとその分回復にもかなり時間がかかります。
リスカ、OD、メンヘラ、ファッション鬱などの言葉から感じられるように、どうしても精神疾患=イタイという偏見がついてまわります。正確に言うと「精神疾患ぶっている」人がそう呼ばれて軽蔑されるわけですが、他人に、しかも素人に嘘をついているのか本当に疾患を患っているのかなんて分からないんです。もっと言うと人間は他者の苦しみを自分のものよりも軽視する性質も持っています。周りの目を気にして自分の体調に見て見ぬふりを続けると本当にそれどころじゃなくなります。自分のことは大切にしてあげてください。

短くまとめると、刺々しい言葉を真に受けて落ち込む必要もないんじゃないかな、流してOKじゃないかな、という提案でした。

結局のところ他者の言葉の真意を掴むことはできないし、他者に自分の置かれた状況を理解してもらうこともできません。他者の言葉に振り回されるのは結構不毛な時間なのかもしれません。

無料でお話できる場所

自殺願望やそれに伴う悩みをリアルで打ち明けるのはなかなかハードルが高いかもしれません。しかし赤の他人になら割り切って話せることもたくさんあるのではないでしょうか。

そんな人のためにネット上で気軽に相談できるサービスがたくさんあります。ここに載せているものはほんの一部です。

こんなもので解決しないと考えている方もいると思います。もちろんいきなり解決はしませんが、解決の糸口にはなるかもしれません。

私たちは自分の感情や本心を理解しているようで、実は全然理解できていなかったり的外れな思考で覆い隠していることが多いのです。感情の原因が取り違えられていることだってざらにあります。言語化するとその矛盾や違和感に気づくことがあります。
自分の悩みを第三者に向けて素直に言語化することに重きを置くと新しく見えてくることがあるかもしれません。

これを読んでいる方の心が少しでも軽くなりますよう願っています。

チャット

電話

=> 0120-279-338

=> 0120-061-338 

その他
厚生労働省が様々な支援情報サイトをまとめたもの
http://shienjoho.go.jp/info.html

特別障害者手当
- 精神又は身体に著しく重度の障害を有する方に対して支給される手当です。

- 特別障害者手当を受給することができる方:精神又は身体に著しく重度の障害を有するため、日常生活において常時特別の介護を必要とする状態にある在宅の20歳以上の方

- 所得制限あり

- 申請方法:区市町村の担当窓口に問い合わせ


うつ病患者が利用できる支援をわかりやすくまとめてくださっているサイト

https://kizuki.or.jp/kbc-column/depression-support/


余談:人が自殺したら誰のせいなのか

自分のせいで自殺してしまったかもしれない、もっと出来ることはあった…と後悔する方を見かけますが、仮にそうだとしても決断したのは本人です。疾患によって思考力が落ちているとは言え、死ぬ死なないを決めるのは本人なのだから、それが“誰かのせい”になることはないと私は考えます。

日々のストレスが蓄積していて、起きたら雨が降っていただとか、幻聴に耐えられなくなっただとか、冷蔵庫が空っぽだったとか、そんな些細な押しすら死を決断するキッカケになります。そんな他者にはコントロールしようのない要素に関して嘆くことに体力をさいたって仕方がないんです。

自分は自殺志願者に対してそのスタンスを取ると決めた。自殺志願者は死ぬと決めた。
その事実があるだけで、事実と事実の間には当然ハッキリとした境界線が引かれています。「主観から来る真実」に複数の顔があっても、「事実」同士の境界線がぼやけていることは絶対にありません。だから境界線の向こう側にある、相手の行動に関する責任を負うのは不毛です。

しかしどうしても気持ち的に責任を感じてしまう場面というのは存在します。そしてそれは具体的に何に対する責任なのかを問われても上手く言語化できないような曖昧さを持っています。
コントロールしがたい罪悪感を覚えることの辛さも知っているつもりです。うつ病になれば生きている事や、そもそもうつ病になったことにすら罪悪感を覚えるようになるからです。自分ではどうしようもないことに心のわだかまりができるのは、それこそ死ぬことでしか逃れられないと感じるほどに辛いのです。

だからこそあえて一度合理主義的な冷たい思考に全振りすると良いのです。周囲の人間は感情移入せずに距離をおいた立場から話を聞けるので冷静な対応をできるし、当事者も相手を困らせてしまうことへの過度な心配や不安を抱えずに済むので大事になる前に相談しやすくなるのではないでしょうか。そうすると結果的に自殺志願者に限らず全体的に誰かに相談しやすい風潮になるような気がします。
そもそも第三者の相談を聞く義務は誰にもないわけですが、もし持ちかけられても一歩ひいた立場で相手に飲み込まれないようにすれば精神的負担を減らせると思います。

他者は他者だと割り切ること。全てにおいて決定権は自分にあり、どんな結果になっても「そういう運命だった」と割り切ること。そうすると良い意味で他人に関心を持たなくなって感情や主観に振り回されることがなくなります。

自殺率を下げるには、自殺志願者もその周囲の人間も、「自殺」という行動について一旦フラットな気持ちで向き合う時間を設けるべきだと私は考えます。

参考文献+α

  1. Smaller gray matter volume of hippocampus/para hippocampus in elderly people with sub threshold depression: a cross-sectional study

para hippocampal area(PPA)は情景処理、hippocampus(海馬)は空間ナビゲーション(spatial navigation)、名前の通り空間・場所・距離等を認知する仕組みと深い関わりがあるとされています。この文献はうつ病患者のPPAと海馬が健常者に比べて小さくなっていること、またうつ病の重症度とこれらの部位の大きさが負の相関関係を持つことを報告しています。
環境や物事の全体像を把握するのに重要な部位が萎縮していることから、うつ病・(診断が降りていなくとも)強度且つ持続的な抑うつエピソードを持つ人は物理的にも心理的にも視野が狭くなると推測できます。

Zhou, H., Li, R., Ma, Z. et al. Smaller gray matter volume of hippocampus/parahippocampus in elderly people with subthreshold depression: a cross-sectional study. BMC Psychiatry 16, 219 (2016). https://doi.org/10.1186/s12888-016-0928-0

2. An examination of the anxiolytic effects of exercise for people with anxiety and stress-related disorders: A meta-analysis
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28088704/#:~:text=Exercise%20significantly%20decreased%20anxiety%20symptoms,0.76%2C%20p%3D0.02).


運動によって不安障害・ストレス関連の障害を持つ132人の成人患者の症状に中度の改善が見られたことを報告しています。決め手となる仕組みは何なのか、どの運動が最も有効的なのかは今後の研究で明かされるべきだと主張しています。

Stubbs, B., Vancampfort, D., Rosenbaum, S., Firth, J., Cosco, T., Veronese, N., Salum, G. A., & Schuch, F. B. (2017). An examination of the anxiolytic effects of exercise for people with anxiety and stress-related disorders: A meta-analysis. Psychiatry research, 249, 102–108. https://doi.org/10.1016/j.psychres.2016.12.020

3.メタ認知的観点から見た抑うつ症状と心配の関連性の検討
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=23030&item_no=1&page_id=13&block_id=21

心配は抑うつ症状に強い影響を及ぼすことを示唆しています。

黒田 彩加、友惠 眞理子、富田 望、岸野 有里、荒木 美乃里、樋沼 友子
野 宏昭 (2022)。メタ認知的観点から見た抑うつ症状と心配の関連性の検討。早稲田大学臨床心理学研究 15(1), 65-72。NRID:1000090280875

4.パロキセチン(パキシル)と敵意、攻撃性、暴力、犯罪(解説)
https://search.jamas.or.jp/link/ui/2010008492

パキシルはSSRI系抗うつ剤の一種です。この文献は過去の症例から有意的な攻撃性の増加が見られることを報告しています。中でも小児はその副作用が顕著だったようです。また、服用開始時と増量直後に一番起こりやすいとも報告しています。
SSRI/SNRIと他害行為の関連性はずっと議論されており、国によって捉え方が異なります。例えば米国でも日本でもこの副作用に関する注意喚起は行われています。しかし厚生労働省はこの主張を支持するものの、どちらかと言うと消極的なポジションにいます。

浜 六郎(医薬ビジランスセンター)、正しい治療と薬の情報(0914-434X)24巻8-9号 Page113-119(2009.09)、2010008492

5.The functions of deliberate self-injury: A review of the evidence
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0272735806000961

そもそも人はなぜ自傷行為をするのか。一言で言えば「物理的な痛みが精神的な痛みを和らげるのに役立つから」です。精神的な痛みは処理するのに時間がかかりますが、物理的な痛みは瞬時に明確な刺激が伝わるので処理しやすいのです。私は自罰的思考が溢れかえってどうにもこうにも耐えられなくなったときに自傷行為を行なっていました。そして痛みがある間は思考が少し静かになるのも確かに感じていました。

この経験、私の思い込みではなくて実際自傷には精神的な痛みを緩和する効果があると報告する文献があります。
このレポートは過去の研究結果を分析して自傷行為にどういった効果があるのかを調べています。すべての研究に見られた効果は感情制御(正確に言うとaffectの抑制、適切な日本語訳見つからず)、つまり負の精神状態を有意的に和らげています。他にも解離や自殺衝動に抗うための自傷も見受けられたようです。自傷行為はいかなる手段を用いても自身を生存させようとする人間の本能のようなものなのかもしれません。なぜ精神的苦痛を和らげる方法が「自傷」なのか、今後の臨床治療については今後の研究で追求されるべきだと主張しています。
個人的にこの文献は紹介してきたものの中でもかなり興味深かったです。自傷経験がある人は読めば読むほど納得する内容だと思います。

E. David Klonsky, The functions of deliberate self-injury: A review of the evidence, Clinical Psychology Review, Volume 27, Issue 2, 2007, Pages 226-239, ISSN 0272-7358, https://doi.org/10.1016/j.cpr.2006.08.002.

6.Antidepressant Drug effects and Depression Severity: A Patient-Level Meta-Analysis
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3712503/

軽〜中度の患者への抗うつ剤投薬の効果は、プラシーボグループと比べてもあまり差がないと報告しています。重度の患者はプラシーボグループと比べたときに有意的な効果が見られたとも報告しています。

この結論穴を指摘するとすれば、SSRIと三環系、各1種のみを対象とした統計結果を使用していることです(SSRIの研究×2、三環系の研究×2、計4つの研究結果を基に、抗うつ薬がプラシーボとどれだけの差を生むのかを計算したようです)。だからSNRI、NaSSA、MAOIs、または論文内で扱われていないSSRIと三環系の中に軽度〜中度のうつ病に効く薬がないとは言い切れないのではないかと私は思いました。正しいかは分かりませんが、出版バイアスの影響が入っているのではないでしょうか…。実際このレポートの筆者は(薬の種類とは別の要因でしたが)報告バイアスが関与している可能性は否定しきれないと書いています。
また、選出された元の研究の年代が1980年〜2009年と大変幅広いことも気になりました。この期間にDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の改定が行われていたりするし、計測された「MDDの重症度」そのものも私は少し懐疑的な目で見てしまいます。

Fournier, J. C., DeRubeis, R. J., Hollon, S. D., Dimidjian, S., Amsterdam, J. D., Shelton, R. C., & Fawcett, J. (2010). Antidepressant drug effects and depression severity: a patient-level meta-analysis. JAMA, 303(1), 47–53. https://doi.org/10.1001/jama.2009.1943

科学は公正ですが100%正しい訳でもありません。必ずどこかに穴があります。なのでなるべく過信しない読み方をしているつもりではありますが、もし文献の信頼度に影響しない部分の揚げ足取りをしている場合は指摘して頂けると勉強になります。


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