見出し画像

「音楽ってイイ!!」を再確認した日のこと

2023年の春、ドイツへ行く準備のためにApple Musicを解約した。

ドイツに来てからはRadikoが使えなくなったのもあって、日本のラジオやポッドキャストを聞くことができるSpotifyをよく使うようになった。

使ったことがある方はご存知だと思うのだけれど、Spotifyは無料ユーザーは音楽が聞きづらい。「この曲が聞きたい」と思って曲名を押しても、Spotifyが選んだ別の曲がかかってしまう。しかもスキップの回数には制限がある。

同じアーティストならまだいいほうで、下手すると選んだアーティストでもない。それにCMも容赦なく挟まってくる。
クリエーターの端くれとしては、「作品を無料では聞かせられない」というのはわかる。むしろ賛同する。音楽を聞かせてもらう以上、作り手さんに還元されるべきだと思う。

だから逆に、そこに無料再生用として選ばれた楽曲とアーティストの方が気の毒だなぁと思う。
彼らだって、私がたまたま選ばなかっただけで、ちゃんとしたアーティストだ。なのに勝手に再生されて「聞きたかった曲じゃない」と思われる。かわいそすぎる。

為替の問題で日本の1.5倍くらいの月額料金を払うことへの抵抗感と、クレジットカードの都合(日本で発行したカードでの契約はNGらしい)で、気づけば約1年半、ほとんど音楽を聞かなくなってしまった。
ネットで話題になっている曲を知るというくらいで、もともとYoutubeでMVや音楽に特化したチャンネルを見る習慣がなかったから、かなり疎遠になっていった。

そうなっても、思ったよりも困らなかった。
仕事中も移動中も、常に音楽を聞いていたような生活だったのに、それで寂しさを感じることも、禁断症状で手が震える……みたいなこともなかった。
もしかして、わたしには音楽がそんなにいらなかったのかな、とも思った。

そういえば、わたしは考えごとをするときに人の話し声や物音が聞こえてくる苦手で、耳にそれらの音を入れないためになにか聞くことも多かった。

でもドイツに来てからはそれがあまり要らなくなった。
1番は聞こえてくる言葉が違うからだと思う。意識しないと何を言っているかわからないから、どれだけ騒がれてもたいして考えごとの邪魔にならない。
あと、住んでいるところがほどよく田舎だから、以前よりも騒音らしい騒音がなくなった。
築50年以上の集合住宅でも、とても丈夫なつくりでしかも二重窓だから、上下階の生活音が多少あるくらいで、日本にいた頃より騒音と思わなくなった。

ドイツは騒音に厳しく、平日と土曜日の22~7時、日曜日は終日、騒ぐの禁止、シャワーや家電などの生活音にも制限がある。
それも、わたしが「音」にイラつかなくなったことに関係しているのかもしれない。

近所に保育園がいくつかあるけれど、子どもたちの断末魔のような叫びも気にならなかった。これは日本に住んでいた頃と変わらない。
むしろ今日も元気だなーとほのぼのする。

音楽をそんなに求めなくなったのは、日本にいた頃のようにいっぱいいっぱいになりながら、仕事をしなくなったのもあると思った。
疲労がたまるとどうしても集中力が落ちるし、些細な音が気になることもある。音楽でなんとかテンションをあげて仕事に向かうことも、ドイツにきてからはなくなった。

どうしても集中できないときだけ、Youtubeで集中力をアップさせるという音楽を聞くくらいでこと足りてしまう。音楽のない生活に、あまり不足を感じなかった。


けれど先日、Spotifyの有料プランに加入した。
理由は日課のランニングのためだった。

今までランニングはラジオやポッドキャストを聞いて走っていた。
走りながら、ちょうど暇な耳からためになる話や面白い話を聞くのは至福の時間だ。ときどき笑ってしまって、呼吸困難になるけれど。腹筋崩壊ならぬ呼吸器崩壊だ。危ない、でも楽しい。

でも走る距離が伸びてくると、走るスピードやテンポを意識することが大事になってくる。Spotifyや様々は音楽配信のサービスには、テンポが一定の楽曲がまとめられたランニング用プレイリストがたくさんある。
ほとんどメトロノームだけのようなストイックなものから、もう少し楽曲を楽しめるものまで色々ある。
それらを聞いて走るだけで、疲労感が全然違うことに最近気づいてしまったのだ。

しかしながら無料ユーザーだと、再生する曲の合間にCMが結構なペースで入ってくる。テレビCMより多分頻度が多い。
無料だから仕方ないと思いつつも、走りながら何時間も聞いていると、さすがに鬱陶しくなる。

ドイツのSpotifyはCMもドイツ語だから、来たばかりの頃はリスニングの勉強になると思って、むしろちゃんと聞いていた。
保険会社、フリマサイト、転職サイトや車、ミュージカルのCMなどもあって、日に日に聞き取れる単語が増えるのも楽しい。

その気持ちは今もある。でも必死に走っているときに2,3曲に1回広告が挟まると、さすがに「うるせぇ!」と思ってしまう。
わかってる、そんなにCMが入るのは無料ユーザーだからだ。しかたがないとわかっている、だけどやっぱうるせぇ!
いやわかってる、無料だからだって、でもね……!!

そんな葛藤をしていたら、先日からプレミアム(有料会員)3ヶ月無料キャンペーンが始まった。
ナイスタイミング過ぎる!と思い、駆け込むように登録した。

さっきも書いた通り、やっぱりクレジットカードのところで苦戦したけれど(最初の3ヶ月は無料でも、クレカなど課金システムの登録は必須)、今回はなんとか登録することができた。海外生活が1年を超えてくると、こういうときの対応力が上がっている。


久しぶりに「日本のトップ50」のプレイリストを開いた。
J-popから離れていたけれど、1年半くらいじゃそんなに人気のアーティストのラインナップは変わらなかった。
この1年で話題になった人は、音楽配信サービス外でも話題になっているから、そんなに浦島太郎になった感じもない。
1年半なら、そんなものかもしれない。


久しぶりに日本のヒットチャートのプレイリスト見つけて、曲を聞いてみた。
聞いたのは米津玄師の「がらくた」。


耳から一気に、米津玄師らしい曲調と知らないメロディが流れ込んでくる。
それが耳の奥まで届いて、じんわりと頭全体に響きわたって、最後に心に波動のような波になってたどり着いた。
心が潤って柔らかくなる感じがした。
そのとき、自分の心が乾いていたことに気づいた。

まだ始まって30秒くらいなのに、泣きそうになった。


米津玄師がすごいアーティストなのは知っている。
この曲もとてもいい曲なのは間違いない。
そういう感想の前に、「音楽ってすごい」と思った。


歌詞、メロディ、それを奏でる楽器、声、アレンジ。
そういう色々なものがそれぞれの良さを出し、支え合いながら1曲の音楽が作られている。

サブスクやSNSによって価値が落ちてしまったとか、消費されるものの側面が強くなってしまったとか、悲観的に色々言われることもある。確かにその側面はあると思う。
音楽を作るのも、以前よりは多少簡単になったかもしれない。


でも、音楽の素晴らしさは変わらない。
ジャンルとかそういうものは関係ない、聞く側の好みがあるというだけで、全部素晴らしい。

久々に真面目に音楽を聞いたら、感想が「初めて音楽に触れた人」みたいになってしまった。
でもこういう気づきも、とくに目的もなく「音楽断食」をしていたからこそだ。
断食後に食べる白米の美味しさや、出汁の奥深さに気づくのと同じに違いない。

一度絶っていたからこそ、自分に必要なものだったのだとわかった。再確認できた。
「必要」が「当たり前」になって「惰性」になっていることは、生きていると意外に多い。こうやって自分に必要か確かめるのも、新鮮な感動が得られていいと知った。


「自分に必要だ」と思えた今、
もっと音楽と丁寧に向き合えるような気がする。
新鮮な気持ちで心躍らせながら音楽が楽しめている。


この記事も、音楽を聞いて、るんるんしながら書いている。

当たり前だけど何度でも言うぞ!
音楽は、いいぞ。素晴らしいぞ!


サポートしていただくと、たぶん食べ物の記事が増えます。もぐもぐ。