私は自分の一貫性のなさを「自分の多様性」ってことで許すことにした。
「役者か歌手かどっちかにした方がいいと言われたけれど、どっちもやりたかった」
いつかテレビで、星野源さんがこのようなことを言っていました。
今は歌手としても役者としても成功されていますが、やっぱりそういうことを言われる経験をされてるんだな、と思いました。
日本は何かに「専念」することと、
「一貫性」のあることを尊ぶ傾向があります。
星野源さんの話もそうですが、いくつかお仕事を持っている人に「どっちが本業?」みたいな質問をするのも、そういう傾向があるからかなと思います。
実際、一貫性のある人の方が好まれる傾向がありますよね。
もし「この人はケーキが好きな人」とわかっていれば、話も振りやすいし、自分がケーキを食べたいときにその人に話を聞けばいい。
その人がどんな人かも分かりやすいし、関わり方も分かりやすくなるのです。
逆にもしケーキとお煎餅とプリンが好きな人がいたら、「どの話を振ったら正解?」と一瞬迷いが出るはずです。
勇気を出してケーキの話をしたら「最近プリンの気分でお煎餅はあまり…」などと言われるリスクもあります。
このくらいの食べ物の話なら、大抵の人は合わせてくれるでしょうが(笑)、コミュニケーションの最初は勇気が必要なもの。
そういうちょっとした心のハードルが最初にあるだけで、コミュニケーションが始まらないことって結構あると思うのです。
noteでもそうですよね。
ムーミンのぬいぐるみ写真を毎日あげて可愛い可愛い言っている一方で、生き方や自己啓発みたいなエッセイやコラムを書く人がいたら、初めは「この人なんなん!?」と内心戸惑うと思います。(笑)
(そんな私のnoteにお付き合いいただき、本当にありがとうございますw)
なので私は、そんな自分を「不親切だな」とずっと思っていたのです。
不親切とまで言うのは極端かもしれませんが、少なくとも、「よくわからないな」と思うことはあるんじゃないかと。
「好き」に一貫性がなく、いろいろなところに散らばっているせいで、「この人は何者なのか」が分かりくい。
それが自分にとって最大の弱点じゃないか。
そんな風に思っていました。
それなのに今日も、
北欧風のダイニングテーブルに座り、
中国茶を飲みながら、
YOASOBIを聞いてnoteを書いています。
一貫性のなさの極み。(笑)
そんな自分がこのままで良いのかとずっと悩んでいたのです。
◇◆◇
昨日夜中、いつものようにこの問題について、うんうん唸りながら考えていたときです。
「一貫性を持ち続けられないのは、
今の状態が私にとっては1番いい状態だからだ」
まあ、当たり前ですよね。(笑)
逆に言えば、自分のいい状態を変えてまで、周りに認められたいのかという話。
そもそも私は、知らないことや新しいことを知るのが好き。興味があれば今までの経験に関係なく、とりあえずやってしまうタイプです。
そんな新しいもの好きの私が、ずっと同じことをし続けることが、そもそも得意じゃないのです。(笑)
継続性とかそういう話をおいておいて、それくらい、興味や好みが分散してしまうことが、私の「個性」なのです。
キレイめのスカートを履いてエレガントな気分になりたい日もあるけど、ダメージジーンズを履いてロックな気分に浸りたい日もある。
そんな自分を、自分の目線じゃないどこかから見て「気に入らない」と言っているのだと気づきました。
「そもそもこれは誰の人生なの…?自分のじゃん!」
「しかも、周りにわかりやすいかどうか聞いたこともないじゃん!」
「え、じゃあそもそも、『周り』って何!?」
そんなことにも気づきました。
周りを意識しているといいながら、結局は自分で作ったルールなのです。
それを守ったところで、承認欲求が満たされるかもわからないのに。
マインドセットって怖いですね。
やっと、目が覚めたような気がしました。
◇◆◇
日々、気づくとこういう思い込みの罠にハマっていることが、私には良くあります。
私は自分に自信があるタイプではないので、ついついこういう自分以外の視点から自分を見て、「こう思われてるんじゃないか」と思い、勝手に不安に駆られてしまうことがあるのです。
でも今年になってから、
「これ自分視点じゃないじゃん!」と気づくことが増えています。
これも日々考えていることをnoteにまとめているおかげ。
文字にしていくことで、思考を整理出来ているからこそだと思います。
おかげで頭はスッキリ。そして反応もいただける。
ほんとnoteって一石二鳥ですね♪
◇◆◇
世の中にはセルフブランディングが無意識、もしくはちょっとした努力で上手に出来る人がいます。(もちろん並々ならぬ努力をされる方もいますが)
そんな人達がSNSでたくさんの共感を生み、ファンを作っていく姿を、私は傍から見てきました。
大勢に認められて、ファンの中心で楽しそうに生きている人たちに、憧れ、そしてちょっと嫉妬する。
そして自分はこのままじゃいけない、似たようなことをしなければいけない、と勝手に焦って色々うだうだ考えしまうのです。
「周りに愛されるにはどうしたらいいか?」
そういうときに出てくる「周り」というのは、私が決めた「周り」であって、実在している誰かじゃない。
自分が勝手に生んでいる「不安」が「周り」という言葉に変身しているだけだったりするんですよね。
そんな不安が「もっと一貫性がなくていはいけない」「一貫性があればもう少し周りに認められるのに」と私に囁いてきて、それが上手にできない自分を私が受け入れられなくなっていく。
でももともとの性格である「好奇心旺盛な自分」を変えることはできない。
つまりこれは、私の中で起きている「承認欲求 VS 私の性格(好奇心)」の戦いだったんだと気づきました。
◇◆◇
ただ自己否定をしていても、
承認欲求からくる囁きを無視しても、
自分の問題は何も解決しない。
辛いけれど、それが今の私の現実です。
いい加減、この悩みのバトルステージから抜け出したい。(笑)
昨日の私は、そんな風に思うようになっていました。
SNS、仕事、友人関係。
どんなところでも似たようなことで悩んで、ちょっとした対処で一時はやり過ごしても、結局同じ悩みに戻ってきてしまう。
そうならないためにはどうしたらいいか?
最終的には一貫性のない自分を
「変える」か「受け入れる」かしかない。
つまりは、「承認欲求」か「好奇心」の
どちらを優先するかを決めるしかない。
何度も何度も起きてしまう問題は、根本のところの決断が必要。
ここ数年、先延ばしにしては同じところに戻ってくる自分に、いいかげんイライラしてしまったのです。
こうやって書くと、本当に自分にどSだな、私。(笑)
同じことを繰り返すのはもう飽きた。
いい加減腹を決めよう。
私は一貫性のない自分を「受け入れる」。
それが、昨夜のつぶやきでした。
昨夜の私はなんだかロックでした。(笑)
多少真夜中のテンションであったのは否めないものの、そう決めてしまったらもう一貫性のない自分の活かし方を考えるほかありません。
一度選んでしまえば、
その選択が良かったと思えるように
努力すればいい。
私はそんなふうに思ったのです。
もしかしたらこの選択は、何かを達成するため、1つに専念する人より、2倍以上の努力と時間が必要になるかもしれません。
でも、「専念」する方がきっと私には苦しい。
結局、そういう自分を受け入れるしかないということだと思うのです。
きっと私にとっての「一貫性」は、おしゃれだけど使いにくいマグカップを買うのと同じようなもの。
おしゃれでみんなが素敵と褒めてくれるけれど、飲みにくいし洗いにくいし重い。そんなマグカップで、毎日を過ごせるか?みたいな話だと思うのです。
そういうものって最後には使わなくなって、食器棚のこやしになりません?(笑)
それなら自分の中の一貫性のなさを「多様性」として受け入れ、それを活かすように生きていったほうがいい。
そんな風に吹っ切れたのです。
そんなのさっさと決めりゃーいいじゃんと思う人も多いのでしょうが、「決める」ってすごい覚悟がいるんです。
それに、この手の人生に影響が出るものってどうしても迷いが出てしまいます。
でも、今回は良い決断をした。ナイス、自分!
そんなわけで、私のnoteは引き続き、ムーミンとこの手の記事が入り混じります。(笑)
ちょいちょい詩っぽい語りも入るし、超ハイテンションななにかのレビューとかも書きはじめるかもしれない。
正直私もわかりません。(笑)
でももうそれが私ってことにするんでいいんです。
そう腹が決まっちゃいました。(笑)
またちょっと揺らぐこともあるかもしれませんが、
今は前よりとちょっとモヤモヤが晴れたような気がします。
年明けから、自分のモヤモヤを晴らすことばかりしてるな、私。
もしかしたらこれが、ずっと私がやりたかったことなのかもしれません。
そんなこんなで、
引き続き皆様よろしくお願いします!
サポートしていただくと、たぶん食べ物の記事が増えます。もぐもぐ。