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ぶらり、ごくり、ひとり。

台風接近による大雨が通り過ぎ、ぴっかりと晴れた日曜日。
洗濯しまくろうと早めに起き出したものの、あまりにきれいな空を見て気が変わった。よし、今日にしよう。
前からやりたかった計画を実行するには、絶好の日和だ。

洗濯機を一回だけまわし、その間に出かける準備。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、輪ゴムで保冷剤をくくりつけてリュックに入れた。
九時前には自宅を出発。最初の目的地、隣町のパン屋さんへ向かって歩きだした。
朝の空気は涼やかで、日射しの割にはまだそこまで暑くない。公園沿いの緑道はところどころ水たまりが残っているが、足裏に感じる土の感触が心地よかった。

三十分ほど歩いて到着すると、店内はすでにお客さんで賑わっていた。
ここでは何を買っても外れがない。お総菜パンも甘いパンもどれもとてもおいしくて、しかもうれしいお手頃価格。種類もたくさんで、来るたびに迷ってしまう。あれこれ悩んでやっと決めたと思ったら、「焼きたてで〜す」なんて奥から違うのが出てきたりして、そちらもつい買ってしまうのだ。

さあ今日は何にしよう。くるみパン、クロックムッシュ、ハムカツサンド、あんバターフランス・・・ああ、どれも食べたい。でも今日は、朝食として食べきれる分だけ。心を鬼にして選んだのは、クロワッサン生地でソーセージを巻いたやつと、バゲットにアンチョビソースとクリームチーズをはさんだやつ。どちらもまだほんのり温かい。
ほくほくしながら店を出て、さらに五分ほど歩いた先にある公園へ向かった。気温がだんだん上がってきて、のどの乾きもちょうどいい感じだ。

公園にはすでに親子連れが何組かいて、ボールや遊具で遊んでいる。お父さん、休日の朝からご苦労様ですと心の声で挨拶しながら通り抜け、木々に囲まれた遊歩道へ入ると、日射しが遮られてひんやりとした空気が満ちていた。
いくつかあるベンチのひとつに腰を下ろすと、まぶしい緑の向こうに青空が覗いている。気分はまるで木陰のテラス席、しかも貸し切り状態だ。
ここで朝食にしよう。
誰もいない静かな森に、缶ビールを開ける音だけが美しく響いた。

朝のビールはうまい。
ほのかな苦みが澄んだ空気とともにのどをさわやかに駆けぬけ、空っぽの胃にストレートに着地する。無邪気でピュアな感動の中に混ざるほんの少しの背徳感が、幸福感をさらに大きくするのだ。

さっそくパンをかじる。クロワッサンのサクサク生地とプリプリのソーセージのバランスが素晴らしい。ほんのりスパイシーで、冷たいビールと相性抜群。最高か。
小麦のうまみがしっかり伝わるバゲットには、たっぷりのアンチョビガーリックとクリームチーズ。一見お洒落だが、なかなかパンチがあってこちらも大正解。
あっというまに食べ終わり、飲み終わる。ああ、なんていい朝食だろう。公園の時計はまだ十時前、今日は始まったばかりだ。一息ついてゴミをまとめたら、次の目的地をめざして再び歩き出した。

家から持参したスーパードライの生ジョッキ缶。
飲み口が大きくてゴクゴクいけるので、さらにおいしく感じる!

公園を出て向かったのは、大型商業施設や高層マンションが集まる大きな街。ふだんは電車で行く場所まで、今日は自分の足だけで行ってみるつもりだ。詳しい道は知らないが、道路標識やバスの行き先表示を見ればだいたいの方向は確認できるので大丈夫だろう。
しばらくして、こぢんまりした商店街に出た。「春のセール」の旗が取り残されたまま、強い陽射しを受けている。古本屋があったので入ってみることにした。住む人が違うと持ち込まれる本も違うようで、ジャンルや並べ方などが新鮮で面白い。誰かがまとめて売ったと思われる80年代アイドルのレコードが大量に積まれているのを見て、元ファンが手放すに至った理由をあれこれと想像してみたりした。

商店街を出てバス通り沿いに進み、住宅街へ入ってさらにてくてく歩いていく。町工場、タクシー会社、小学校、変な名前のアパート、花屋さん、お屋敷のような邸宅・・・自分の知らない街にもたくさんの人が暮らしていて、それぞれに日常があることを改めて実感する。
古い洋品店の扉には、お直しします、の貼り紙。細い路地では、日陰で猫が横になっている。向こうからジャージの男子高校生が二人、歩いてきた。すれ違う瞬間に聞こえた「なーんか、思わせぶりなんだよなぁ」という一言は恋愛相談だろうか、追いかけて続きを聞きたいくらい気になってしまった。

そんなふうに気ままに二時間ほど歩いていると、視界の先に高層マンションが見えてきた。目的地にだいぶ近づいたようで、そういえば道行く人もなんとなくハイソな感じになってきた。ブランド服で全身キメたおちびちゃんが、親に手を引かれてショッピングモールへ入っていく。
ここでウインドウショッピングをするのも楽しいが、今日は立ち寄らずに通り過ぎる。めざすのはこの先、昔ながらの街並みが残る庶民的なエリアにある食堂だ。

何度かお店の前を通りかかって、そのどこか懐かしい佇まいに惹かれていた。半開きになった入り口からは、すでにジョッキを傾けているおじさんと、壁一面に貼られたお品書きが見える。お店の奥から響いてくる中華鍋の音もいい。高まる期待感とともに、暖簾をくぐった。

ちょうどお昼時でテーブルはほぼ埋まっていたが、運良くカウンター席が空いていた。「もやし炒め」の手書き文字が妙においしそうで、それと瓶ビールを注文する。無事にたどりつけて一安心。それにしてもよく歩いたなあ。

昼のビールはうまい。
午前中を労うやさしい泡と、午後へのエールのような力強い味わいが絶妙だ。すべてを肯定し許してくれる懐の深さは、どこまでも自由な気分にさせてくれる。

シャキシャキのもやしと豚肉、控えめに入ったピーマン、ちょうどいい塩加減。すごくシンプルなのに、家庭の火力では絶対再現できないひと皿だ。胃袋のエンジンがかかってしまったので、春巻きも追加する。小さめのが二本、カリッとかじればビールがさらに進む。ああ、幸せ。
作業服姿の人、大学生風のカップル、やや高齢のご夫婦など、客層は幅広い。いろんな人がいろんなところから集まってきて、この店での食事を思い思いに楽しんでいる。それはとても平和な空間だった。

最初の一口を我慢できず、飲みかけで撮影。声が出てしまうほどおいしかった。

すっかり満足してお店を出ると、ほろ酔いの私を高層マンションが見下ろしている。あんなところには住めないけれど、私はこっち側の低い世界でいいやと思った。地に足を付けて、さあ帰ろう。
午後二時過ぎの太陽はまだ高く、道路からの照り返しがまぶしい。帰りは無理をしないと決めていたので、先ほどのショッピングモールまで戻り、自宅方面へ向かうバスに乗った。
歩くと数時間かかる距離も、乗り物ならほんの数十分。いい気分で揺られて無事に帰宅し、本日の計画はすべて終了したのだった。

夕焼けと夜が混ざって不思議な色になった空を見ながら、長かった一日を振り返る。「ひとり遠足」なんて言えばかっこいいが、ただの酒気帯び散歩とでも言ったほうがしっくりきそうだなあ、なんて思いながら晩酌の準備をする。そしてやっぱり、家飲みは落ち着くのだった。

夜のビールはうまい。
容赦なく流れ込んでくるキレとコクの波が体のすみずみにまで染みわたり、一日の疲れや緊張が少しずつ癒やされていく。今日も上出来だったじゃないかと肩を叩いてくれる友のように、その存在は何ものにも代えがたい。この瞬間があるから明日も生きていけるのだ、と心から思うのだった。

本日最後の乾杯は、お土産でもらっていた静岡の地ビール。
風呂上がりの一杯はやっぱり最高!


朝の外ビール、昼の店ビール、どちらもおいしかったな。何も成し遂げていないのに妙な充実感もあったりして、なかなかいい休日だった。
けっこう歩いたので足は疲れているが、体力的な疲れを得たぶん、精神的にはリフレッシュできた気がする。歩くという行為は自分自身の感情や感覚に集中しやすいのか、頭の中もすっきりした感じがしていた。そういえば、ビールの写真を撮る時以外は、ほとんどスマホに触らなかったな。

歩いて、飲んで、ただそれだけの休日が終わっていく。エモさも生産性もまったくないが、一日ずっと機嫌よく過ごせただけで良しとしよう。
暑さが本格的になる前に、またやりたいな。次はどこへ行こうか、ひとり考える時間もまた、楽しかったりするのだ。


いつかは、こんなふうに粋に呑みたい。永遠の憧れ。修行の道はまだ長い。


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