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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 45 原本

この度の大災害に対する陸奥介の様々な判断が官人達により概(おおむ)ね了承され行く中で、最初に立ち返り、つまり、国衙、郡衙の穀倉を滞りなく開封し、そこに貯蔵されてあるものを、必要最低限を残して全て被災民の救恤(きゅうじゅつ)にあてがうとした彼の処断について、あくまでも異を唱える者が官人達の中に一人あった。

それは、取りも直さずあの下役の者であったのである。


彼は、陸奥介のその判断を、「上に立つ者の為すところとして最善である」との意を、気持ちを込めて、且つ、軽く婉曲的な表現により陸奥介に言上したのちに、現実問題として、「その後に予想される“もしも”の事態を斟酌(しんしゃく)しないのは、片(手)落ちになりかねない」と、意外な率直さを以て力説した。


彼の言わんとするのは、こうであった。

“当地においては、米の収穫がもう直(じき)である昨今、例の北東からの冷風が“だめ押し”になる気配が拭いきれない。

もしかしたら、その被害はここ数年で最も深刻なものになるやもしれない。

そのような場合に備えて、もう少し余裕分を穀倉に留め置く必要があるのではないか。”


「もう少し」で事足れりとは、この国府の官人の内、ほぼ全員が“そんな場合、落着を見るところではない”と知るものであった。


つまりは、今年天災が二つ重なる想定に立ち、予め、“前者の被災者の内に『取りこぼし』があってもやむを得ない”との覚悟を以て、事に当たらねばならぬであろう。


下役の者は重々承知していた。

陸奥介の判断通りに事が進められても、確実に津波、地震の被災者の中に取りこぼしは現れる。

そう考える彼の頭には、老人や子供の姿がちらついた。


思えば、陸奥介のようでない、現職のようでない者が、数年おきに当地を襲う夏の冷害、その置き土産である稲作の被害につき、よく民の窮状を救い得たか、また、今後救い得るかを探るのは、あまりにも虚しいところである。


大体、米は『民』の食べるものではない。

今の穀倉にある分は、備蓄とは名ばかり、官吏でさえもその味覚に与(あずか)ることがないまま、いずれかに消えるか、何かに姿を変えるかする代物である。

この旧弊を思いきって叩き潰す機縁にするという意味では、実のところ、陸奥介の果断ぶりを、彼は、ほかの誰よりも支持したい気山々なのであった。


“日頃、まだ気力が細々とでも継続する時に滋味の少ない食事に甘んじるのとは違い、今のような大変な時にこそ民達に米を供してやりたい”とは、下役の者も考えた。

“かえって、そんなことをして、彼らの体調が急変しやせぬか”との老婆心を働かせもしつつ。


彼は色々深く考えた上で、こういう認識に到りついた。

“後顧の憂いを敢えて大きく斟酌しておかねば、また、「一村壊滅」という事態が起きかねない。”

経世済民。😑