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ぼくが東北に行こうと決めた日|自己紹介1


ぼくの友達に、「中村彬裕と言えば?」と聞いたら、多分半分くらいは「気仙沼大好きなやつ!」って答えると思います。

インターン先の社長にもいじられてますね。

2014年、当時大学1年生だったぼくは、大学を1年休学して、宮城県気仙沼市と岩手県大槌町に半年ずつ住んでいたことが、気仙沼大好きになったきっかけです。

(その後のご縁で気仙沼に行く機会が多いけど、大槌も好きよ…ちょっと遠いけど…)

今回は、自己紹介もかねて、ぼくが休学して東北・被災地へ行った経緯と、今に到るまでの東北との繋がりについて書きたいと思います。

この23年間で、一番大きな、そして一番誇りに思っている決断だったと思うので、少し長くなると思いますが、お付き合いください。

ちなみに、簡単に自己紹介↓

中村彬裕(あきひろ)。東京大学教育学部教育心理コース4年。臨床心理を中心に心理学について勉強しています。これまでは、教育系のNPOに関わったり、オランダに留学へ行ったり。去年の10月から株式会社cotreeでインターンしています。趣味は、本を読むこと、お笑いを見ること、ラップバトルを見ること、です。


なんだかわからないけど、ビビッと来た

ぼくが東北に行こうと決めたのは、2014年3月11日。ちょうど震災から3年経った日でした。

当時のぼくは、高校3年生。ちょうど前日に東京大学の合格通知をもらっていました。

無事受験も終わったので、朝少しゆっくり起きて、9時くらいに朝ごはんを食べながら新聞を読んでいたとき、そのときの一面がぼくの目に入りました。

(画像はこちらから。1面のイメージはもうネット上にありませんでしたが、この写真が1面のトップに載っていました。)

これを見たとき、その時はなんでだかよくわからなかったけれど、「これだ!」と思いました。

それまで東北に縁もゆかりもなかったけれど、ビビっときました。

1年間東北に住もう!」と、すごく直感的に感じていました。

今振り返ってみると、その決断の裏には、贖罪恥ずかしさという2つの気持ちがあったのかなと思います。


贖罪-あのときの気持ちを償いたい-

実はぼくは震災から2ヶ月後の2011年の5月、高校が派遣するボランティアに参加して、岩手県宮古市を訪れていました。

丸2日間滞在して、1日は泥かきを行い、もう1日は受け入れをしてくださった方々が「せっかくだから若い人たちに東北の現状を見て欲しい」と言ってくださったので、バスで三陸沿岸を南下しながら色々な被災地を見させてもらいました。

当時はまだ、震災から2ヶ月。まだ瓦礫がたくさん残っている時期です。

でも、ぼくはこの景色を見ても、強い感情や衝撃を感じることができませんでした。(なんでかはわかりません。)

周りの友達は、「ショックを受けた」「被災した方の気持ちを想像して、辛くなった」と話していたのに、ぼくは何も感じられなかった。

「ぼくは感受性が決定的に欠けている人間なんじゃないか」という自分への絶望と、
「せっかく苦しい状況の中で見学する機会を作ってくれたのに」という申し訳なさが、帰ってからもずっと心の中にありました。

いつか何かの形でこの絶望と申し訳なさを償いたい、精算したいと思っていました。

あの新聞を見たとき、このときの気持ちが思い起こされたんだと思います。


恥ずかしさ-こんなに近くの場所のことも知らないのに-

実はぼくは、東大のFLY Programという、大学1年時の休学を支援する仕組みを利用して、東北に行っていました。

FLY programは、入学した直後の学部学生が、自ら申請して1年間の特別休学期間を取得したうえで、自らの選択に基づき、東京大学以外の場において、ボランティア活動や就業体験活動、国際交流活動など、長期間にわたる社会体験活動を行い、そのことを通じて自らを成長させる、自己教育のための仕組みです。(FLY ProgramHPより)

このプログラムを利用すれば、1年間好きなことができて、かつ活動支援金もいただける。そんな機会は一生ないんじゃないか!と思いました。正直このプログラム目当てで東大を目指したみたいなところすらあります。

当初ぼくは、なんとなーく「いろんなことを知りたい!いろんなところに行きたい!」という気持ちから、休学して海外に行きたいと思っていました。

でも、具体的に行きたい場所や知りたいことはなく、そこにあったのは漠然とした憧れだけ。

あの新聞に載っている被災地のことは、知らないことばかりで。こんなに近くの東北のことを何も知らないのに、ふわっとした憧れだけで「海外に行っていろんなことを知りたい!」と言っていた自分が、心底恥ずかしくなりました。

そして、まず何よりも、東北・被災地のことを知りたい!と強く思ったのです。


4分の1を共に過ごす

今はこれだけ言語化できているけれど、当時はとにかく直感のみで飛び込んだ、という感覚でした。

奇跡的な行動力を発揮して、新聞を見てすぐ被災地で活動していた知り合いに連絡し、その日のうちには受け入れられそうな団体の方と繋げてもらい、2週間ほどで受け入れ先も決まりました。

家族にも反対されたけど、「とにかくぼくは東北に行きたいんだ!」ということをひたすら伝えて、諦めさせる始末。

こうして、2014年3月11日は、ぼくにとっての震災が始まった日になりました。


受け入れてくれたのは、気仙沼の認定NPO法人底上げと、大槌の認定NPO法人カタリバのコラボスクール大槌臨学舎。どちらも震災によって学ぶ環境を失ってしまった小中高生を対象にした、学習支援をメインでやっている団体です。

その時被災地にニーズがあって、ぼくにできそうなことは勉強を教えることくらいだ、と思っていたので、学習支援をさせてもらえる団体に加わることにしました。


大変なこと・しんどいこともたくさんありましたが、同じくらい楽しいこと・嬉しいことがあった1年間でした。周りの人に本当にたくさんたくさん支えられました。(ここも本当は書きたいことたくさんあるけど、今回は割愛。)

色々あったけれど、ぼくは1年間東北に住みました。東北が震災を経験してから4年間の内の1年間、4分の1を共に過ごすことができたのです。

そしてぼくは、気仙沼と大槌の街も、景色も、食べ物も、何よりもそこで暮らす人が、とにかく大好きになりました。


恩返しをしたい

ぼくはそれ以来、気仙沼を中心に、しょっちゅう東北に通っています。この前の3月11日も行ってきました。

(感謝しきれないくらいお世話になっている気仙沼のお父さん・お母さんと、気仙沼で繋がった仲間との1枚)

ぼくがこれだけ東北に通うのは、とにかくそこが大好きな気持ちもありますが、恩返しという気持ちも同じくらいあります。

ぼくは東北で繋がった人たちとの出会いによって何度も救われたし、東北に行っていなかったら今の自分はないと思っています。多分留学もしていないし、cotreeでインターンもしていないです。

見返りを求めずにたくさんgiveしてくれた東北の人たちに、ぼくもたくさんgiveしたい。感謝を行動で伝えたい。そんな気持ちが常にあります。


実はこれまで、友達10人くらいを気仙沼に連れて行くツアーを3回と、留学先のオランダで震災について考えるワークショップをやっているのですが、
どちらも一番根底にあるのは恩返ししたいという気持ちです。


忘れないために

これからも、ぼくは東北で出会った人と繋がり続けたいし、東北にも通いたいと思っています。

そして、ぼくの友達をこれからも気仙沼へ連れて行きたいし、東北のことを知ってほしい。

それは震災の悲しい記憶だけじゃなくて、そこから立ち上がっている強さだったり、美味しいお酒やお魚だったり、あったかい人たちだったり、そういうことも引っくるめて伝えたいと思っています。

たまにでいいから、思い出してほしい。

思いを馳せてほしい。

風化はしてしまうものだけれど、忘れないでいてほしいと思っています。

そんな気持ちを込めて書きました。これを読んで、少しでも東北に思いを馳せたり、興味を持ってくれる人がいたら嬉しいです。


…とはいえ、きっかけがないと忘れてしまいますよね。わかります。

というわけで、東北について思い出すきっかけを作ってくれている団体を一つ紹介させてください。

きっかけ食堂は、毎月11日に開催される東北の食材を使った美味しいご飯と東北のお酒を出してくれる東北酒場です。(もちろん明日も!リンクはきっかけ食堂@東京のイベントページです。)

現在は、東京・名古屋・京都・仙台で開催しています。とても素敵な空間と美味しいご飯が待っています。ぜひぜひ、足を運んでみてください。


最後に宣伝みたいになってしまいましたが。笑 読んでいただきありがとうございました。

(この前行った時に撮ってもらった、気仙沼の海とぼく。)

カバー画像は、気仙沼の岩井崎にある、龍の松。とても海が綺麗な日でした。

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このnoteは、cotree advent noteの10日目です。

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