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泥水に汚れない、蓮の花のように

仕事(高校野球雑誌)とライフワーク(野球メディアと写真ブログ)のバランスを取りながら活動しています。
仕事比重が高いのは当然ですが、ライフワークも本気でやっています。

ただ、シーズン的にどうしてもライフワークにかけられる時間が取れないことも。

それでも写真や記事を楽しみに待ってくれている人たち)を待たせるわけにはいかん!という、気持ちがあり「時間が足りない!!!!!」と頭を抱えている状態が、まさに今です。

でも「やらなくちゃ」って言葉が出てきたら、それはすごく無理して自分に負荷がかかっている状態なんじゃない?
ふと、そう思ったんです。

ライフワークは自分の可能な範囲でみなさんと一緒に楽しみながらやっていたはずなのに、何かに追われてないか?
そんな状態で作品を作っても、いいものは出せないんじゃないか?

私、何のためにこの活動しているんだっけ?

いまこそ原点に立ち返るときなのかも、と感じてnoteに書いています。

仕事がひと段落しても、やる気がわいてこない。
なので、のんびりお茶しながら読書したんです。

その本に「自分を理解している」が一番大事って書かれてました。

私はいまどういう状態で、どうしたいのか、全然理解できてなかった。

他人が理解してくれるかどうかは、他人が決めることで、自分自身が選べることではない。自分が選べるのは、自分自身の心の持ち方、そして、自分自身が誰よりも自分を理解しているかどうかです。

今の自分を、もしかしたら誰かが認めてくれるかもしれないし、いつまでも認めてもらえないかもしれない。ただそれは「人さまの領域」です。わかってもらえたら、ありがたいし、わかってもらえなくても、それはそれでよい。
究極のところ、自分の心の状態―満足か不満足か―を決めるのは、他人ではなく、自分だからです。

見てくださっている人のことばかり考えていたけれど、更新が遅くてそれをよしとしてくれるか、遅いから見ないわ、ってなるのは人さまの領域のこと。

私自身が満足して活動、制作ができているか、そこをちゃんと理解することが大事ということかー。

理解してもらえなくても、苦痛を感じないこと。それは、自分の心の動きや、心の深くにある自分の動機を理解することで、可能になります。
まずは、自分の心を理解することに努め、心の苦しみを減らして、喜びを増やしてく「心の使い方」を学んでいきましょう。

心の深くにある、自分の動機

見てもらうことに意識がいきすぎて、自分の動機がぞんざいな扱いになっていたかもしれません。

以前noteにも書いたのですが、撮り手である私は楽しむことがまず大事って自分でも言ってたのに。

作業は進んでないけれど、今日立ち止まれてよかった。

自分の心を理解することに努め、これからも仕事とライフワークと全力で楽しみながら生きていきたいです。

最後にこの言葉を引用します。

「自分の人生を生きることを大切にし、よく言われても悪く言われても心動かさず、泥水に汚れない蓮の花のように、心の聖域を保って、ただひとり行きよ」―スッタニパータ

引用は全てこちらの本から👇



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