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死んだのだ~れ?

それはまだ、私が十代で介護福祉士の専門学校に通っていた、90年代後半の暑い夏の話です。

その夏、私には地域福祉実習が組まれており、夏休み期間を一部返上で、実習プログラムにしたがって、訪問介護支援センターの訪問介護ヘルパーさんと、利用者さんの家々を連日訪問させていただいていました。

汗は滝のように滴り落ち、蝉は狂ったように鳴き、お盆前でも残暑の気配は微塵もありませんでした。

何故に、そんな時期に実習になったのかわかりませんが、ただ暑いというだけでなく、お盆前ということも、訪問介護ヘルパーさんにとっては大変忙しい時期で、当時はまだ様々な老人福祉サービスが、介護や援助を必要とする老人に十分行き届いておらず、更にお盆期間中には、通常でさえ行き届いていない各種サービスが、お盆休みを一斉に取ったんです。今では信じられないかも知れませんが、訪問介護だけではなく、訪問看護やディサービスも、普通にお盆は長期間休んでいました。

訪問介護ヘルパーさんは、その期間を老人が無事に乗り越えられるように、出来る限り事前に、老人の生活態勢を訪問支援等がなくても大丈夫なように、整える必要があったのです。

そんなお忙しい中、私は訪問介護ヘルパーさんと、ある男性高齢者のご自宅に訪問させていただきました。高齢者と言ってもまだお若く、60代半ばの方でしたが、脳血管障害で思うように歩けなくなり、居宅(自宅)内での生活に行動は制限されていました。

その方のご自宅は、古い昭和感漂う古びた木造2階建てアパートの一階で、日差しの入らない一番奥まった部屋でした。

ガラガラ(扉を開ける音)

「○○さん居てる~?」

「どうぞ~」

「お邪魔します…」

私も、ズケズケと居宅に入って行く訪問介護ヘルパーさんの後を追うように、訪問先のお宅に上がらせていただきます。

何度も言いますが、この時期の訪問介護ヘルパーさんは大変忙しく、時間との戦いです!今なら介護系の宅配で、毎食食事を頼んだり出来ますが、そんなサービスの無い時代、訪問介護ヘルパーさんが、スーパーで食材を買い、台所で調理をして、それをパックに小分けして冷蔵庫に保存する。こんな仕事も、訪問介護ヘルパーさんの仕事でした。というより、私の実習中は、お盆前という時期的に、ほぼこの援助ばかりでした。

そして、やや小太りの訪問介護ヘルパーさんが、狭い台所で大きなフライパンを回す様は、さながら女性版、陳健一でした。(今の若い人は、知らないよね?中華の鉄人)。

「○○さん、この子に先生だった頃の話しをしたげてよ~」

私が陳健一ばりの働く背中ばかりを見ていることに、訪問介護ヘルパーさんも気付いたのでしょう。遠回しに、コミュニケーションを図るように促されたのだと思います。

とはいえ、こちらの訪問介護支援センターでは当時、個人情報保護として訪問先の記録はおろか、インテーク(サービス利用前情報)等も、その一部(名前と年齢、性別程度)しか、見させていただけませんでした。

しかも場所は既に、高齢者のご自宅内。本人は畳の部屋に布団を敷いて、ウトウトと臥床している状態です。

(何を話せば良いのか…)

そうすると○○さんは、一枚の名刺を私に見せてきました。そこには、「○○専門学校教務主任」と書かれていました。○○さんは、かつて歯科技工士の専門学校の教員をされていたようでした。

「凄いですね。教員をされていたのですね?」

○○さんは一瞬、嬉しそうに大きく頷きましたが、声は出さず、それ以上話は広がりませんでした。

そのうち、お盆の期間を乗り切るだけの食材を調理し終えた訪問介護ヘルパーさんは、私たちの元に来られました。

「色々お話し聞けた?」

「あ、はい…」💧

まだ18、19の学生が、手本もなしに、初対面の高齢者に色々話せるはずもありません。

○○さんは、そんな私を見ながら、自分から話し掛けることもなく、ただただニコニコとされるばかりでした。

その後、訪問介護ヘルパーさんは、パックに小分けしたおかずの内容を説明し終えると、「去年も乗り越えたから、今年も乗り越えようね。」と、まるで中世大航海時代の船出を彷彿とさせるようなセリフを言い終えると、私を連れてその場を後にしました。

しばらくして、訪問介護ヘルパーさんは、歩きながらセンターに戻る途中、ふと思い立ったように私に言いました。

「○○さんね、元気な頃、DV(家庭内暴力)が酷くてね。奥さんも娘さんもいるらしいんだけど、今は誰も連絡が取れないの…」

あのニコニコとした様子からは、想像もできないようなエピソードでした。

そして、お盆の間、私の実習も訪問介護支援センターも、長くお休みをいただいておりましたが、その間に大きな事件があったようです。

私が久しぶりに実習に出所すると、なんと、先週訪問した例の60代半ばの男性が、お盆の期間中にご自宅で、お亡くなり(もしくは行方不明)になられていたそうなのです。

私は朝から、訪問介護支援センターの管理職の方から面談に呼ばれ、その経緯を聞かされると伴に、訪問時におかしな点はなかったか問われました。

なんでも、或いは私たちがお亡くなりになった方と生前接触した最後の人間になるかもしれないから?だそうです。

もちろん、ありのままの事をお話しましたが、特に不審な点も見当たらず、一緒に訪問した介護ヘルパーさんと同じ内容だったようです。(おそらく介護ヘルパーさんは、警察でも話しをされているかもしれません)。

ただ、経緯としては複雑で、お盆も盛りの頃、お隣の住民の方が、隣りから酷い異臭がするので、○○さん宅に声かけをしたのですが、反応がなかったので、警察に連絡し、宅内を確認されたところ、既にお亡くなりになっていたとのことでした。

しかし、警察がアパートの大家さんに連絡を取り、居住者を確認すると、長い間「80代後半、男性の単身者」に、部屋を貸し出していたことがわかったそうです。

そう、私たちが訪問した○○さんとは全く別人が、本来その部屋の住民だったのです💧そして、一番肝心なことなのですが、お亡くなりになった方は、その経緯の不審さもあったのか、ご遺体は検死に出されて…

結果…

お亡くなりになっていたのは、80代後半の男性だったようでした💦

あのニコニコとした○○さんは、何処に行ったのでしょうか?いや、何処かに一人で行ける身体ではありません。誰かに連れて行かれたのでしょうか?

そして、○○さんのお部屋でお亡くなりになっていた方は、誰なのでしょうか?元々この部屋を借りていた方なのでしょうか?では何故、この方が今まで不在で、○○さんが住んでいたのでしょうか?

今から考えると、専門学校の教務主任の話も、本当ならば往年の自慢話として、若者相手に会話が膨らむのが普通ですが、○○さんは、ニコニコとしながらも、目線は何処か冷たい感じで、私には何一言も喋ってはくれませんでした。訪問介護ヘルパーさんでさえ、一方的に話しをしていたのは彼女でしたし、果たして家族と音信不通ということさえも、或いは何か偽装工作的な…

全く謎なことばかりですが、当時学生の私には追加の情報もなく、そのまま実習は終了しました。今でも夏になると思い出す怖い体験の一つです。


※本作は、医療・福祉の分野では不適切な表現もあると思いますが、ホラー作品としてご理解ください。

終わり





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