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「ファイナルファンタジー15」にケリを付けた


●はじめに


 本稿では「FF15」に対する様々な私見や思い出を述べておりますが、その中には一部、肯定的でない内容含まれます。本作を心底愛しており1%の否定も許さない!とお考えの方は、ブラウザバックしていただけると幸いです。皆様の感情を否定する意図は一切存在しません。
 なお、本稿は様々な資料・動画を引用しておりますが、「FF ヴェルサス13」から「FF15」に至るまでの開発経緯を全て網羅・解説した記事ではありません。抜けている(忘れている)情報も多々あると思われます。それらの旨、どうかご了承ください。
※ヴェルサス時代の情報については、こちらのサイト等が参考になるかと思われます。



 期待。不安。歓喜。絶望。
 とある一つの作品が発表され、発売され、完結に至るまでの約13年間に渡り、俺が抱いた感情である。
 その作品は「ファイナルファンタジー15」(以下「FF15」)。制作発表が行われた2006年5月から、最終DLCダウンロードコンテンツが配信された2019年3月に至るまで……。俺は「FF15」に対する様々な感情を、寄せては返す波のように、幾度も繰り返し抱き続けていた。



 2023年6月22日、いよいよ次回作「FF16」が発売されようとしている。
 そんな今だからこそ、改めて俺の「FF15」に対する想いの変遷──長年に渡る執着にケリをつけるまでの経緯を、ここに記しておきたい。


●「FF ヴェルサス13」との出会い (2006-2013 発表から改題への道程)



 「FF15」の初報が出たのは2006年5月。PS2で「FF12」がリリースされた約2ヶ月後、そして半年後に次世代機:PS3の発売を控えていた頃である。
 当時「FF15」は「FF ヴェルサス13」と題されており(改題の件は後述)、「FF13」本編、「FF アギト13」の2作品と併せて大々的に発表された。何故「FF13」を関するタイトルがこれ程存在したのか……?と疑問をお持ちの方は、こちらのページをご参照頂きたい。


スクリーンショットは2点とも上記記事より引用。画質に時代を感じる。



 「ヴェルサス13」はFFシリーズの象徴「クリスタル」を題材としながらも、現実世界の日本──とりわけ新宿副都心(東京都庁近辺)をモチーフにした舞台が初報より開示されていた。
 PVに映し出されていたのは、厨二感を全開にした主人公が無双するイメージ映像。そして、中世風でも近未来的でもない見慣れた風景(PVはYoutubeのスクエニ公式チャンネルに上がっていないため、画像のみ引用)。
 過去にも述べた通り、俺は新宿副都心の雰囲気が好きだ。そのランドマークたるお気に入りの場所:東京都庁を模したエリアがFFに登場するという情報に、当時中学生だった俺は困惑すると同時に大興奮。大ハマりしていた「キングダムハーツ2」の製作陣が開発に携わっているとの触れ込みも、俺の心を刺激した。


 今でも時折見返す「ヴェルサス13」のPV(2011年版)。主人公:ノクティスの性格に若干の違いを感じる。後半部が「プレイ動画」なのか「単なるプレイ動画風映像」なのかは、今となっては判然としない。
 なお、この新宿風の都市の名は「王都インソムニア」。以下、便宜的に「新宿」と呼称するが、本作はあくまでも現実世界を下敷きにしたゲームではない。


 期待とは裏腹に、「ヴェルサス13」の具体的な発売時期は一向に発表されなかった。
 同時に発表された「FF13」は2009年に、「アギト13」は「FF零式」と改題されて2011年に無事発売。また、2011年には「FF13」の続編「FF13-2」までリリース。更にはナンバリング新作「FF14」(現在サービス中のMMOとは異なる、いわゆる「旧版」)も、2010年には発売されていたにも関わらず……。


 「ヴェルサス13、本当に作っているのか?」「初報の2006年から時間が経ちすぎている」「開発中止になったのでは?」
 発表当時は中学生だった俺も、いつしか大学生にジョブチェンジ。厨二的嗜好からは離れつつあったが、本作を楽しみにし続けていた気持ちに変化はない。だからこそ、開発の動向に対して、小賢しく疑いを掛け続けていたのである。



 2012年6月。「次世代ハードにおけるFFシリーズのデモ動画」との触れ込みで、短編CG映像作品「Agni's Philosophy ── FINAL FANTASY REALTIME TECH DEMO」が公開された。
 本作は「決してFF15の予告編ではない、単なるひとつの映像作品」と前置きされていたが、「次世代ハードの開発環境が整っている=FF15の正式発表もそう遠くないのか?」と匂わせる新情報でもあった。
 「FF15」と「ヴェルサス13」、どちらが先に発売されるのだろう……?そのような疑問を抱いた日々が、今となっては懐かしい。


 疑問は2013年6月に解明された。その答えは、全く予想だにしないものだったが……。
 何と「ヴェルサス13」が「FF15」へと改題され、対応ハードをPS3からPS4・XboxOneに移すことが発表された。
 開発の長期化・発売の遅延に辟易していた俺は、「滞りなく開発されて楽しく遊べるならば、どのような名称であろうと、何の機種で出ようと構わない」とのスタンスを取っていた。そのため、この報道も比較的冷静に受け止めていた気がする。

 「世界は常に変化する。15番目だ」→タイトルロゴにヒビが入る→「FINAL FANTASY 15」……という衝撃の演出で一部界隈を騒がせた改題発表PV。なお、映し出されるプレイ映像は、実際に発売されたソフトの仕様と大幅に異なっている。


 新たな制作発表直後。当時の●●●ディレクター:野村哲也氏はインタビュー(上記リンク参照)において、「FF15は連作を念頭に置いている」と発言した。恐らく「15-2」等を計画していたと思われる。現在の「FF7リメイク」3部作のようなものだろうか?
 この発表で俺は「1作品で完結しないのか……」と落胆したと同時に、「途中まででも構わない!早く遊ばせてくれ!頼むよノムさん!」と、いよいよ具体化されたプロジェクトに対して期待と喜びを抱いたことも事実である。



 ……そんな改題発表から約1年後、2014年9月。衝撃的なニュースが報道された。


●交錯する期待と不安 (2014-2015 ディレクター交代と体験版発表)



 2014年9月。野村哲也氏から田畑はじめ氏へ、制作途中での監督ディレクター交代※の発表。
 かつて「FF12」「FF14」で発生した出来事が、三たび起こってしまった。



 とはいえ、俺はさほど悲観しておらず、むしろ甘い期待を抱いていた。
 客観的に見て、野村氏のディレクター降板は仕方無かったと思われる。「ヴェルサス13」も中々発売に至らなかった上、当時並行して開発されていた「キングダムハーツ3」(2013年発表 2019年発売)にも深く携わっていたのだ。超大作ソフトの二足の草鞋は、そもそも無理があるだろう。結局、その後「キングダムハーツ3」と「FF7 リメイク」、現在も「キングダムハーツ4」と「FF7 リバース」の二足の草鞋を履くわけだが……。


 こうした状況下、野村氏から田畑氏にバトンが渡り、開発体制の変更に至った。2015年3月に発売される「FF零式 HD」の初回特典として、体験版が付属することも発表した。停滞していた開発が一気に進んでおり、今度こそ発売にこぎつけられるのではないか……と俺は歓喜した。非常に良い傾向だ!と。

※全くの外様から来たわけではなく、実際には2012年、「ヴェルサス13」の時点から「共同プロデューサー」の立場に就任していたそうだ。
 なお、「FF12」は病気療養、「FF14」は発売当初の内容・サービスの不振がディレクター交代の理由である。野村氏・田畑氏両名とは無関係。



 上記の期待とは裏腹に、不安な気持ちも拭えなかった。
 野村氏から田畑氏へのディレクター交代により、リリースされる可能性が高まったことは間違いないだろう。この点には希望を抱ける。しかし、作品のクオリティはどれ程のものになるのだろうか……?という、発売の可否とは別種の不安だった。
 田畑氏はPSPにおいて、大作アクションRPG「クライシスコア FF7」「FF零式」の開発を指揮した実績がある。両者とも世間的には傑作と名高いが、俺個人は「演出面は秀でているが、戦闘面・育成面のバランスが若干大味でおざなりな作品。携帯機で手軽に遊ぶ分には楽しめる」との評価を下していた。
 「ヴェルサス13」改め「FF15」は、待ちに待った作品だ。発売されること自体は嬉しいが、おざなりな部分を残した作品になってほしくなかった……。


 2015年3月。昨年発表された通り、「FF零式 HD」とともに体験版が公開された。
 しかし、この時期「FF15」に対する俺の興味は薄れていた。修士論文の執筆に疲弊し、RPGに限らず映画鑑賞等の趣味全般に対して、関心を割ける時間と心の余裕を失っていたためだ。体験版のプレイ動画、また開発の進捗を逐一発表し続けた動画シリーズ「アクティブタイムレポート」を確認した記憶も無い。対応ハード(PS4 or XboxOne)も所持しておらず、ソフトと同時に購入すれば良いか……といった程度のモチベーションしか保てていなかった。
 俺の心が次に揺れ動くのは、翌年の夏頃となる。


●傑作映画で高まった期待 (2016 発売日決定から発売に至るまで)




 無事に修士論文の提出を終え、趣味の時間を取り戻していた2016年3月。「FF15」の発売日が、遂に同年9月30日へと決定した。
 同時に、CG映画「キングスグレイブ FF15」の制作・並びに同年7月公開が発表された。こちらはゲームの主人公:ノクティス王子の国が擁する特殊部隊隊員:ニックスの視点で、ヒロイン:ルナフレーナと彼女が持つ「指輪」とともに逃避行を繰り広げる内容となる。ゲーム本編開始の直前(新宿襲撃イベント)を描いた前日譚スピンオフ、というわけだ。


「キングスグレイブ FF15」PV。こちらの映像は2016年6月に公開されたもの。

 俺にとっては発売日の発表以上に、映画の公開が持つ意味合いが大きかった。ヴェルサス時代のPVから繰り返し見せられていた魅力的なシチュエーション「新宿襲撃→逃走シークエンス」はゲーム内で登場せず、キャラクターとシチュエーションを弄り、映像作品として表現されることが確定したためだ。確かに2015年のインタビュー(「ヴェルサス13」から「FF15」への変更点について。両者のゲームは外見こそ似ているが全くの別物となったことも、このインタビューで判明した)で、上記のシーンが無くなったことは明言されていたが……。
 中学生時代の俺を夢中にさせた「ヴェルサス13」のPVをプレイすることは不可能なのか……と「RPGファンの俺」は落胆した一方、新宿での大暴れが大画面で観れるならば、それはそれでアリでは?と、「アクション映画ファンの俺」は考えた。

 2016年5月。様々な発言が話題となった田畑氏へのロングインタビューは、この頃行われている。発言内容に関して述べたいことは山程あるが……本稿ではリンクを貼るだけに留めておく。


 2016年7月。半信半疑な気持ちを抱えたまま、お手並み拝見とばかりに、俺は劇場へと足を運んだ。
 ……味わったのは青天の霹靂。なんとこの映画、これでもかと俺のツボを付く作品だったのである。
ハリウッド超大作にも引けを取らないクオリティのCG。爽快感のある超人的ワープアクション。「FF15」本編に繋がるであろう意味深な描写たち。クライマックスに待ち受ける主人公:ニックスの厨二的覚醒描写。そして、(通称)新宿を舞台に繰り広げられる死闘。
 「キングスグレイブ FF15」はアニメ作品・アクション映画としてのクオリティが非常に高く、エンタメ性に特化していた作品だった。プロローグとはいえ「ひとつの物語」として完結しているため、ゲームをさほど遊ばない娯楽映画ファンにも強くお勧めできる、まさに出色の内容……と今でも考えている。



 この壮大なプロローグの続きを知りたい。少なくとも物語面に関しては、期待を賭けても良さそうだ……!
 熱意に再び火がついた俺は不安と懸念を忘れ去り、「FF15・限定デザインPS4同梱版ルーナエディション」を予約するに至った。2006年から乱高下し続けていた期待値は、この時期に遂に最高潮へと達した。
 なお、映画公開直後となる8月、発売日が11月29日に延期されると発表された。こちとら10年待っている。3ヶ月程度の延期など、全く気にも留めていなかった。



 そして2016年11月29日。
 発表から10年の歳月を経て、遂に「ヴェルサス13」改め「FF15」は発売された。
発売当日は大型修正パッチのDL(およそ7GB)により、すぐ遊ぶことは叶わなかったが……。
 結果的に俺はプラチナトロフィーを取得し(本編のみ。各種DLCは除く)、寄り道・クリア後に解禁される要素・DLC を含め、計100時間ほど「FF15」を遊んだ。そう、100時間も楽しませて貰ったのだ。



 にも関わらず、このような文言を述べるのは矛盾しているかもしれない。
 いや、100時間遊んだからこそ、心の底から言わせてほしい。
「猛烈に納得がいかなかった」と。


プレイ開始の2016/11/30から2週間かけてクリア。愛車とともに記念の一枚。


「FF15」取得トロフィーの一部。
「プロンプト」はイージーモードでクリアしたため(シューティングゲームが苦手なので)、トロフィーを1つも獲れていないがクリア済。




●「FF15」の評価点


 さて、ここからは俺が「FF15」をプレイして抱いた感想について述べて行きたい。
 まず、本作は俺が初めて遊んだPS4タイトル、そしてオープンワールドRPGであった。そのため広大で美しい世界に見惚れ「これが新世代のRPGか……!」と圧倒されるばかりだった。2023年現在では本作の規模・密度を上回るオープンワールド作品(「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」「ゴーストオブツシマ」「サイバーパンク2077」等)を多数遊んでしまい、相対的に評価は下がっている。探索できるエリアも、どこもアメリカの片田舎風で一本調子な景色ばかりだった。とはいえ、初めてオープンワールドの世界を探索した際の清々しい気持ちは、決して忘れられない。



 「ホストがキャンプをしている」とWeb上で揶揄されがちだったキャンプ要素も、俺は結構気に入っていた。回復のために「テント」そして「セーブポイント(テントの設置場所。ある種の聖域か)」を用いる過去作の現代的解釈だったのだろう。なるほど上手いな!と、素直に感心したものだ。「夜になると強力な魔物シガイが出現する→安全地帯で宿泊して大人しく朝を待つ」というルーティーンも、設定とシステムが結びついており好ましい。


 そして、「聖剣伝説 レジェンドオブマナ」「キングダムハーツ」シリーズ等で知られる名匠:下村陽子氏による劇伴は、相も変わらぬ素晴らしさだった。
 とりわけ戦闘曲が傑出しており、FFお馴染み「プレリュード」の旋律を用いた通常バトル「Stand Your Ground」、ヴェルサスPVの時点で流れていた中ボス戦「OMNIS LACRIMA」、映画のスタッフロールでも流れた召喚獣戦「APOCALYPSIS NOCTIS」等……挙げていくとキリがない。

 「Stand Your Ground」公式試聴動画。俺の中では「闘う者達(FF7)」「バトル1(FF9)」「閃光(FF13)」と並ぶ、FF通常バトル屈指の名曲。初めての戦闘でこの曲を聴いた際、「俺は今とてつもないゲームを遊んでいる!」と大興奮したものだ。

 また、オンラインマルチプレイが楽しめるモンハン・ハクスラ型DLC:「戦友」(本編とのデータ共有は無し。後に「MULTIPLAYER: COMRADES」と改題)の楽しさは忘れ難いため、強く言及しておきたい。
 このDLCは2017年11月、本編発売の約1年後に配信された。そのためか後述する戦闘システムの欠点(魔法のフレンドリーファイア廃止など)の改修が図られており、ほぼ文句の付けようがないほどに楽しいアクションゲームとなっていた。本編終盤の「空白の10年間」、そして映画の直接的な後日談が語られるストーリー(特殊部隊:王の剣たちの行く末)も見逃せない。
 映画を気に入り、かつ「FF15」本編しか遊んでいない方が居るとしたら、それは非常に勿体無い。現在は本編が無くても単体で購入できる上、ソロプレイでも十分楽しめる作品なので、騙されたと思って遊んで頂きたい。



 ……ここまで、「FF15」の個人的な評価点について述べてきた。ここで本稿を終えられていれば、どんなに幸せだっただろうか。

●「FF15」の問題点


 さて、ここから俺が感じた問題点に切り込んでいく。
 大部分の問題点は様々な方のレビューによって既に洗い出されており、発売後7年経った今更挙げ連ねるのは本意でない。だが、俺個人が体感した上での意見として、あえて書かせてほしい。



 ナンバリングFFシリーズ初となる完全なアクション戦闘は、絶妙にストレスが溜まる仕様であった。
 一例を挙げると、魔法の使い勝手の悪さ(強制的な「フレンドリーファイア」が嫌らしいが、ダメージ効率を考えると利用するほかない)。ダメージ表記フォントの視認性の悪さ。HPが無闇に高い「硬い敵」の多さ。ノーリスクで大量に使用可能・かつ安価な、便利すぎる回復アイテムポーションetc……。
 ディレクターの過去作「クライシスコア FF7」「FF零式」に抱いた大味さとは少々異なるが、ゲームバランスやユーザビリティに対する「おざなりさ」を、残念ながら本作からも感じざるを得なかった。



 ──それ以上に、本編のストーリーがあまりに受け入れ難かった。
 まず、「システムと物語との食い合わせの悪さ」の問題について触れたい。
 本作の物語の骨子は「逃亡劇・祖国奪還」である。この2点は時間的制約や緊迫感が必須となるため、オープンワールドRPGとの相性が猛烈に悪い。自由度に対する違和感が発生するためだ。「祖国がエラい事態になってるのに、呑気にキャンプしてる場合かよ」と、プレイした多くの方がツッコミを入れたことだろう。



 とはいえ、「危機感と自由度の食い合わせの悪さ」だけなら、そこまで大した問題にはならない。例えば「FF7」の終盤では、「巨大隕石魔法メテオ発動」によって世界が滅亡秒読みの状態に陥るが、その間主人公はカジノ・ゲーセンで遊んだり、様々なダンジョンへの寄り道を許されている(むしろ、その寄り道こそがRPGが持つ楽しみとも言える)。当時はデフォルメされたポリゴンだったが、本作は実写さながらの美麗な映像。技術力の向上により、絵面の違和感が増してしまったのだろう……。



 そして、「ストーリーが薄くダイジェスト状態、かつ打ち切り的な結末」といった問題も存在した。
 PVで大々的にお披露目されていたリヴァイアサン戦(中盤のクライマックス)までは、展開の起伏やダイナミックなイベント等により、過去のFFシリーズ同様に楽しむことができた。
 しかし、そのイベントを境として、物語は加速度的に巻きに入る。矢継ぎ早に発生する苦悩と解決。プレイヤーの理解・様々な伏線めいた描写は置き去り。そして広げた風呂敷は放り投げられ、登場人物が勝手に納得しながら自己犠牲に至る「安易な悲劇」となり、ラスボスの目的=主人公一族の根絶やしは達成され、物語は唐突に終焉を迎えてしまう……。
 RPGにおける駆け足展開・ダイジェスト自体を、俺は完全な悪だとは思わない。実際問題、こうした形式でも名作は誕生し得る(例:「ゼノギアス」)。やはり、本作の物語自体に根本的な問題があったと考えざるを得ない……。他にも引っかかる点は無数に存在するのだが、本稿は「FF15」批判を目的とした記事ではないため、この辺りに留めておく。



 「全てが駄目」だとは決して思わない。むしろ「勿体無い使い方だな」と感じた物語内の要素は大量に存在した。
 映画の主人公が命を賭して守り抜いたはずの重要アイテム:光耀の指輪を巡るエピソードの顛末。ヒロイン:ルナフレーナ、その兄(主人公のライバル的存在):レイヴス等、意味有りげに登場して即座に退場する登場人物の多さ……。その他にも物語を盛り上げそうな要素は見受けられた。しかし、本編はそれらをほとんど活かせず終わってしまったのである。


 ノクティス役:鈴木達央氏の発言(2020年)によると、やはり当初予定されていた物語の大半は削られてしまったそうだ。「頂いたシナリオ(台本を指す?)」を読んでみたい。


 こうして俺にとっての「FF15」は、RPGにおいて大切な2大要素── 楽しい戦闘システム・良質なストーリー、そのどちらも欠いた作品として印象付けられた。
 「10年間待ち続けた結果が、この程度の出来なのか……?」俺は心底憤り、そして悲しんだ。

●捨てきれなかった期待 (2017-2019 諸々のDLC配信と「トゥルーエンド開発中止」)


 その後、発売当初から「シーズンパス」として発表されていたDLC──3人の仲間キャラクター:グラディオラス・プロンプト・イグニスの、本編で描かれなかった(省かれていた)単独行動の経緯に関する短編エピソードが、それぞれ2017年3月・6月・12月に配信された。本編に不満を抱きはしたものの、俺は既に「シーズンパス」を買ってしまっている。勿体無いので遊ぶほかないのだ。


 グラディオラスの苦悩。プロンプトの出生の秘密。イグニスが視力を失った事件。DLCの内容はいずれも本編の補完となるエピソードだが、どれも大きな満足感を得るには至らなかった。
 そもそも、最初からDLCを前提としたかのように、本編のストーリーには不自然な歯抜けが存在している。該当箇所で「何が起きたか」に関する謎にもおおよそ見当が付いており、今更知ったところで……と冷ややかな目線を浴びせていた。



 ただ、最も本編のストーリーに深く踏み込んだ「エピソードイグニス」については、確かに3作中最もやり応えがあり、一つのアクションゲームとして楽しめた。とある悲劇を回避できるマルチエンディングも存在したが……はっきり言って、発売1年後の配信では遅すぎる。「クリア後のサブシナリオ」として、発売当初からこの内容を遊ばせてくれれば、いくらか本編の溜飲も下がったことだろうに。
 また先に述べた通り、「エピソードイグニス」配信直前の2017年11月にオンラインマルチDLC「戦友」のサービスが始まり、俺はその面白さの虜になっていた。何度でも言うが、この「戦友」はまごうとなき名作である。もっと流行っても良かったはず、と俺は確信している。
 こうして「FF15」本編クリア直後に感じた負の感情は、いつしか過去のものになろうとしていた……。


 「FF15」の展開は尚も続いた。
2018年3月、ラストダンジョン(廃墟化した新宿)の探索可能エリア・ラスボス戦前の描写・裏ボス等が追加されたDLC「ロイヤルパック」、その他各種DLC入りソフト「FF15 ロイヤルエディション」が発売された。これまでのシリーズにおける完全版、いわゆる「インターナショナル」に該当するものと言えようか。
 初めてプレイした「FF15」がロイヤルエディションの方であれば、発売日に購入した俺よりも高い満足度を得られただろう。最後の戦いに備え、勇ましい決起演説をするノクティス。ラストダンジョンにおける仲間たちとの絆描写。これらの追加エピソードにより終盤の唐突感が少し薄れ、キャラクターへの感情移入がしやすくなった。(廃墟化しているとはいえ)新宿の探索範囲が広がったことも重要だろう。本編の不満点が全て払拭できたわけではないが、「FF15」の満足度が高まったことは確かだ。



 その直後、2018年4月。俺の溜飲を下げるかのようなニュースが飛び込んできた。
 本編発売から1年半を経た2018年4月、DLCによる新エピソードの開発、それに伴う「トゥルーエンド」の実装が正式に発表されたのである。


 「FF15」をクリアした後、俺はずっと気掛かりだった。国も、家族も、愛する人も、仲間たちと過ごす青春時代すらも奪われ、世界の為に生贄となった主人公:ノクティスのことが。
 彼は悲劇的な運命に納得していなかった。だからこそ最後の戦いに挑む前夜、仲間たちに本心を打ち明けたのだ。わりぃ、やっぱ辛ぇわ」……と。
 プレイヤーと数十時間を共にしたノクティスには、幸せになって欲しかった。自己犠牲を強いる「辛い」運命に抗ってほしかった。その結末が、遂に大きく変わろうとしていた。
 「大団円を課金制にしないでよ」とも思ったが、「終わり良ければ全て良し」との格言もある。俺は心を鎮めながら、幾度ともわからぬ期待をし、配信を待った。



 しかし、同年11月。
 ディレクター:田畑氏のスクウェア・エニックス退社・独立、そしてDLCの開発中止が報道された。
 ゲーム内でトゥルーエンドを拝める可能性は、未来永劫消え去ったのである。


 2019年3月26日。かろうじて開発中止にならなかったアーデン編(ラスボスの過去エピソード)の配信をもって、「FF15」というゲームは完全に締め括られてしまった。当時WEB上でゲームレビューを行っていなかった俺の虚しさの行き場は、どこにもなかった。



 ゲームは●●●●確かに締めくくられた。しかし、日の目を浴びることのなかった物語を知る術はある。
 そう、中止となったDLCの物語が描かれた小説『FINAL FANTASY XV -The Dawn Of The Future-』を読みさえすれば。


●完結編小説でケリを付ける


俺が手に取ったものは2022年発刊の第8刷。予想より多く刷られていたようだ。

 『-The Dawn Of The Future-』は、上記の「新DLCシリーズ」全4本(アーデン編+没になった3本)のプロットを元にして書かれた小説である。発売日はアーデン編配信から約1ヶ月後、2019年4月25日。著者はスクエニRPGのノベライズを数多く手掛ける映島巡氏(「ヴェルサス13」「FF15」のシナリオライターではない)。
 発売当初、俺はこの書籍を購入しなかった。没エピソードを知りたい欲よりも、ゲームが不本意な完結を迎えてしまったことに対する虚無感が上回ったためである。
 しかし、次作「FF16」の発売を控えた今、そんな甘えた考えは捨てなくてはならない。15-16間において物語上の関連性は一切無いが、中途半端な心持ちのままで新作を遊ぶのは気が引ける。こうして刊行から約4年が経過した今年5月、俺はようやく本書を手に取った。



 DLCをなぞりつつ、クライマックスに新展開を盛り込んだアーデン編「聖者の迷い」。FFシリーズ恒例:超人的ジャンプで戦う「竜騎士」のアクションが描かれるアラネア編「終わりの始まり」。本編ではロクな出番も活躍も無いまま、安易な悲劇的展開の生贄となり中盤で落命したヒロインの奮闘が描かれるルナフレーナ編「自由への選択」。そして滅びの運命に抗いながら、ラスボスアーデンも含めた世界の全てを救い、真の敵バハムートに戦いを挑むノクティス編「最後の剣」……。
 実際にプレイできる「アーデン編」は別として、本書では「この内容を!コントローラーを握って!実際に遊びたかったんだよ!」と叫びたくなるような物語が繰り広げられていた。



 アラネアのジャンプアクションは、いかにもゲーム映えしそうで爽快感があった(本編でも一時的に仲間になったが、自操作は不可能)。映画で描かれていた行動派な一面が掘り下げられるルナフレーナ編は、ゲームでは伝わらなかった魅力と内面を見せてくれた。そして、真の完結編とも呼べるノクティス編は……大袈裟な言い方だが、「FF15」プレイヤーの立場からすると、文句の付けようがない。俺を含めた多くのプレイヤー、そしてキャラクター自身も、本書が迎えた結末をずっと望んでいただろうから。



 本書の見所はそれだけではない。
 「ヴェルサス13」初報PVを観た者が下記の引用文を読んだならば、誰もが連想せざるを得ないはずだ。王都城(都庁)前でノクティスが戦いを繰り広げる瞬間。俺を虜にしたあの映像──しかし「FF15」に至り、最終的に削除されてしまった場面を。

〜数多の銃口がやかましく火を噴く。ゆっくりと階段を下りながら、群れを成して飛んでくる銃口を避ける。まるで羽虫の群れだ。武器を召喚し、駆け上がってくる敵へと向ける。造作も無かった。鈍色の鎧が耳障りな音で倒れ、転がり落ちていく。いくつも、いくつも。〜

『FINAL FANTASY XV -The Dawn Of The Future-』「最後の剣」冒頭(P.289)より引用。
2点とも「ヴェルサス13」初報PVスクリーンショット。引用元はこちら。


 この描写は、ノクティスが力を得るために10年の眠りに就いている際(ゲーム中の終盤に)見た夢──黒幕:バハムートが語るところの「可能性のひとつ」として登場する。
 「単なるファンサービス」と断じてしまえばそれまでだが、これは2006年──「ヴェルサス13」時代から発売を楽しみに待ち続けたファンに対する「ある種のケジメ」そして感謝だったのではないだろうか、と俺は捉えた。



 「FF13」の神話と本作との関係、バハムートの素顔がノクティスと瓜二つだった理由など、部分的な謎は残されたままだ。それに、一本の小説として完璧な作品だったか?と問われると即答は難しい。
だが、少なくとも憑き物を落とすことはできた。「FF15」に対する真の卒業を果たさせ、新たな物語──「FF16」に挑む心構えを持たせてくれる内容であったことは間違いない。
 そのように断言することで、俺は十数年に渡る執着に折り合いを付け、本稿を締め括りたい。


●余談 「ヴェルサス13」は蘇るのか?



 深くは言及しないが、「キングダムハーツ3」において、「ヴェルサス13」のPVを明確に意識させるキャラクター・重要シーン(映像の構図まで同じ。隠しEDのため引用はしない)が登場した。昨年4月に発表された「キングダムハーツ4」初報PVでも、その延長線上にある描写(現代日本と酷似した舞台)が見受けられる。ディレクターを務めるのは、かつて「ヴェルサス13」のディレクターを務めるはずだった野村哲也氏。

 「キングダムハーツ4」PVは4:10頃より。

 「ヴェルサス13」そして「FF15」の降板・大幅な内容変更を野村氏がどのように考えているのか、部外者の俺には知る由もない。作品同士の関連性について本人からの明言がない以上、過度な憶測を発言することも極力控えるべきだろう。
 だが、最後にこれだけは述べさせてほしい。
 長期間温めていたのに頓挫した企画を、別の姿形をとってでも世に表したい。いちクリエイターがそのような望みを抱いたとしても、何ら不思議ではない……と。

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