神様《クマリ》から人間となった貴女へ
2014年9月8日、俺はネパールで神様を見た。
大学院生時代、研究の関係でアジア各国を巡った。いずれの国においても忘れ難い景色・出来事に遭遇したが、中でもネパールは特に印象深い。
雄大なヒマラヤ山脈。砂埃薫る市街地。ヒンドゥー教と仏教が共存し合う習俗(日本の宗教文化、特に真言宗や天台宗などとも近しい)。神秘的かつ雑多──どこか親近感のあるその国に、俺は強く惹かれた。
ネパールの滞在期は過去にも記したが、そこにはまだ書いていない体験談がある。
首都カトマンズで行われる“インドラ・ジャートラー”。“クマリ”と呼ばれる人物──いや、神様が人前に姿を表す大祭を、俺は目の当たりにした。
現地で強い信仰を集めている“生きた女神”クマリ。幼き頃より日常生活から完全に隔絶された彼女たちは日夜様々な祭祀に携わり、“少女から大人になること”によって神を辞め人間となり、次代にその役割を引き継ぐ。
クマリは普段は館に篭って過ごし、人前に姿を現さない。仮に面会が叶ったとしても、館内で彼女の写真を撮ってはならないそうだ(特例を除く)。現代的なタブーが、神聖さをより際立たせている気がした。
そんな彼女を関係者以外が拝見できる唯一の機会、それがインドラ・ジャートラー。“クマリ信仰”自体は俺自身の研究テーマではなかったが、以前から関心を抱いていた文化。よって祭りの開催時期に合わせ、俺はネパールへ向かった。
9月8日。インドラ・ジャートラーが訪れた。
祭りの中心地となる広場には、様々な人間が集っていた。現地の人々。各国の重役。報道関係者。世界各国から訪れた観光客。
恐らく、一般参加者の目的はクマリを見ること。──いや、更にそこから一歩踏み込み、“祭りの最中、クマリと目が合うと幸せになれる”という言い伝えを叶えるためだろう。
待機してから3、4時間が経過し、前祝い(と思われる)儀式が終わった頃。黄金色の豪華な山車に乗ったクマリが、遂に広場に姿を現した。群衆の熱狂を無視し、俺は即座に一眼レフを向けた。写真を撮るためではなく、彼女の顔を見るために。
覗き窓を覗くと、望遠レンズ越しに彼女の姿が見えた。真紅に染まった華美な衣装。隈取りの濃いメイク。微動だにしない無表情。一回り以上も年の離れた彼女に感じたのは、えも言われぬ畏敬の念。同じ星の元に産まれた人間だと一瞬信じられなくなってしまう程の、底知れぬ迫力があった。
俺の瞳は確かに彼女の視線を捉えた。仮に彼女がこちらを見ていたとして、それはあくまでカメラ越し。それでも、俺は彼女から幸せを受け取ることができた……。そのように自己解釈した頃、山車は広場の外へと去っていった。
それから3年後、2017年。彼女はクマリを引退したそうだ。今は学生生活を送っているか、社会人として過ごしているか、あるいは……。
元クマリの中には、特殊な閉鎖環境で過ごし続けた影響によって人間関係構築に悩み、社会復帰ができない方もいるそうだ(こうした点などに制度への批判が集中しているらしい)。彼女たちの苦悩は計り知れない。幼少期に「貴女は神様です」と十数年間育てられた者が、突然「貴女はもう神様ではありません、人間です」と宣告され、易々と受け入れることができるだろうか……?
一方、様々な困難に立ち向かい現実と折り合いを付けながら、SEとなり日々パソコンと格闘する“元神様”もいる※。俺が目撃したクマリは、前者と後者、どちらに近い生き方をしているのだろう。
彼女が多くの人の安寧を願っていたのなら、俺は彼女自身の幸せを祈りたい。
人間となった神様へ。貴女は今、どのような人生を歩んでいるのでしょうか?
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