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自分の過去をなかったことにせず、認めて前に進むと起こること

 「いつか畑を耕しつつ、エッセイや小説を書いて暮らすのが夢だ」と言いながら、なかなか前に進めていないように見える私に、ある日、パートナーである韓国人夫がこんなことを言い出しました。

「今まで書いてきたものをひとつにまとめて。エッセイも小説も、詩もイラストも。そしたら俺が1冊の本を出すから」

 ちなみに彼は日本語が読めません。これまで私が書いてきたエッセイも、いくつか自動翻訳機を使って読んではいましたが、訳がおかしくて読みづらかったようです。なのに、どうやって本を作るというのでしょうか?しばらく悩んだ末、「出版できるかどうかはともかく、これまで書いてきたものを1冊の形にまとめてみるわ」と宣言し、取り組み始めたのが今年の初めでした。

 しかし、単に今まで書いてきたものをまとめるだけではつまらないので、前半は新たに書きおろそうと思いました。そうして、今までどこにも書いてこなかった10〜20代の話を書き始めたんですが、20代前半で初めて韓国を訪れた辺りから、私の筆はピタッと止まってしまったのです。なぜならその韓国旅行は、学生時代の先輩であり、その後結婚することになった元夫の誘いで実現したものだったからです。

 私と韓国との関わりを誰かに語る時、20代で経験した最初の結婚生活について避けて語るのは、とても難しいことです。相手と暮らすために引っ越した街で私は留学経験のある韓国語の先生に出会い、韓国語の勉強を始め、在日コリアンの家族と深く交流することになりましたし、30歳の時にソウルに留学できた一番大きな理由は、離婚がきっかけだったからです。

「なぜ韓国語を?」
「どうして韓国に留学したんですか?」
「最初に韓国を訪れたきっかけは?」

 初めて出会った方からこれまで何度もそんな質問を受けるたびに、当たり障りない返答をせざるを得ませんでしたが、韓国と自分の関わりについて本を1冊書いてみようと決めてからは、「自分の過去をなかったことにはしたくない」という気持ちが湧いてくるようになったんですよね。

    たとえ振り返りたくない切ない過去だったとしても、それを乗り越えてきたおかげで今の自分がいるわけだから。みなさんもきっと、そうですよね?

 そんな時、偶然結婚式に関するある記事を読みました。そしたら、過去に経験した結婚式のこと、最初の結婚生活のことをありありと思い出し、書くなら今だなと思ったんです。ただし、これは誰にでも読める形ではなく、ご縁のある人にだけ読んでもらえたらと、有料記事にしました。(記事の前半は無料でご覧いただけます)

 7678字のこのエッセイには、私が経験した2回の結婚式と、最初の結婚生活のはじまりと終わり、韓国の結婚式について見聞きしたことの詳細について書いています。

 相手があることなので詳しく書けなかった部分もありますが、「家父長制」や「ジェンダーバイアス」で苦しんだ最初の結婚生活を経て、またどうして家父長制が根強く残る韓国の人と再婚したのか?2度目の結婚式はどのように行ったのか?その辺について正直に書いてみました。

 こうして自分の過去をなかったことにせず、勇気を出して書いてみたら、2つのことが起こりました。1つ目は、購入して読んでくださった方がいて、感想まで聞かせてくださったことです。その方の了承を得た上で、感想を一部ご紹介します。

 noteの記事、とてもよかったです!!有料記事を買ったのは実は初めてだったのですが、これまで読ませてもらったたくさんの文章からくる安心感があったし、これだけの長さと内容のある文章を書き上げるのは簡単なことではないのだから、有料公開の試み、良いと思います!Minaさんのエッセイ今後も読みたいです!

 スマホを手にしてから世界中の無料コンテンツがあふれている状態に慣れすぎて、手頃なコンテンツを流し見てぼんやり時間を過ごしてしまうことも多いですが、読みたい本や文章に対してはしっかり対価をお支払いして、それを読むことで自分もよい時間を過ごしたいなと最近思っています。

 実は私も、これまで有料記事を買ったのは数回しかありません。買って良かったと思ったこともありますし、思っていたより文章量が少なくてがっかりしたこともありました。

    なので、購入してくださる人をがっかりさせたくない、少しでも何かその人が心の引き出しに閉まってきたことを取り出して、眺めて、今の自分を省みる助けになれる、そんな文章を書きたいと思っていたんですが、一番最初に読んでくださった方が、まさにそういう経験ができたと感想をくださり、とても嬉しく、感動しました。

   そして2つ目は、今回この記事を書いていなかったら、おそらく一生知ることのなかった話を母から聞いたことです。最初の結婚式について事実確認したい部分があり、母に連絡したところ、「墓場まで持っていこうと思ってたんやけど…」と言って、私がこれまで知らなかった過去の結婚に関する話をいくつか教えてくれる、という出来事があったのでした。

   母が心に秘めてきた話を聞いて、私はやっと全部終わったんだな、これで心置きなく前に進める。私は自分の書きたいように書ける。書いていいんだと、ゴーサインを受け取ったような気もしました。

    韓国の小説や映画には、過去の出来事や過去に生きた人たちの声をなかったことにせず、今の人たちに伝えようとする作品が多くあります。いつもそれらに触れるたび、今生きている人たちが自分の人生について書き、話して残していくことの大切さを思います。

「自分の過去をなかったことにしたくない」 
  「私の歴史は、私が書き残す」

    と、そういう気持ちにさせられるのです。みなさんも「自分なんて」と思わずに、「自分語りするなんて格好悪い」と人の目ばかりを気にせずに、機会があれば、そしてふさわしい時と場所があれば、経験してきたことを誰かに話したり、書いて残したりしてみてはどうでしょうか?きっと、誰かのためになる瞬間があるはずです。

    もしそれを誰も読んでくれなかったり、聞いてくれなかったとしても、自分自身が読んで、聞いてくれています。それだけでも随分心の整理がつき、癒されるものだと私は実感しています。


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